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喰情千界  作者: 遥斗
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第18話



「――ガ、あ、あァッ!?」


壁に激突した鬼が、恐怖に角を脈動させながら、狂ったように黒い爪を凪へと振り下ろした。人間を紙切れのように引き裂く、凶暴な一撃。


しかし、凪は微動だにしなかった。


いや、動いたと思った瞬間には、すべてが終わっていた。

暁人たちの目には、凪の身体がブレたようにしか見えなかった。彼女が手にした鈍色の武装が夜の闇に一閃の軌跡を描き、次の瞬間には、鬼の両腕が綺麗に宙を舞っていた。


「ひ――」


鬼が悲鳴を上げる間さえ大えない。

凪は流れるような動作で半歩踏み込み、武装の先端を鬼の額――前方に飛び出した赤黒い角の根元へと、寸分の狂いもなく突き立てた。


パキィン!!!


硝子が砕け散るような高い音が路地裏に響く。

感情を吸い取る機関であった角が粉々に粉砕された瞬間、鬼は白目を剥き、言葉にすらならない絶叫をあげてそのまま崩れ落ちた。灰褐色だった肌が急速に元のサラリーマンの血色へと戻り、そのままピクリとも動かなくなる。


ほんの数秒の出来事だった。

自分たちが生身の限界の力を振り絞っても傷一つつけられなかった怪物を、彼女は文字通り、塵を払うかのように瞬殺してみせたのだ。


「……あ、……え?」

快が呆然と声を漏らし、暁人もまた、言葉を失ってその場に立ち尽くしていた。

目の前に立つ小柄な背中。それは確かに、昼間まで一緒に笑い合っていた、あの心優しい霧島凪のはずだった。


凪はゆっくりと武装を収めると、はぁ、と深く、心底面倒くさそうにため息をついた。


「……あーあ。見られちゃった」


凪は肩を落とし、つまらなそうに首を回しながら振り返る。

夕闇のネオンに照らされた彼女の瞳には、紬の前で見せていたあの春の陽だまりのような温もりは、影も形もなかった。光を反射しない、底の知れない冷徹なガラス玉のような眼差し。


「……霧島、さん……? お前、何、を……」

暁人が掠れた声で問いかける。


「一応、あんたたちの監視役です。第三執行部隊、索敵担当、霧島凪」


凪はぶっきらぼうに、事務的な口調でそう言い放った。


「 監視って、なんだよそれ……っ!」

暁人の頭の中が、一瞬で真っ白になった。自分たちが「監視」されていたという事実。目の前の霧島凪という少女の豹変も含めて、処理しきれない情報が頭を殴りつけ、激しいパニックが襲う。


「おい、霧島……! ふざけんな、お前何なんだよ!? ずっと俺たちを騙してたのかッ!?」

快も流血した腕を抑えながら、混乱と恐怖が混ざった叫び声をあげる。


だが、そんな二人のパニックを気にかける様子もなく、凪は冷淡に制服のポケットからスマートフォンを取り出すと、画面を数回タップして耳に当てた。


「こちら霧島。港区繁華街裏路地にて野良の鬼を一件処理。……そう、例の二人が勝手に接触して暴れた。死んではない。早く回収班を回して。……了解」


流暢に、淡々と冷たい報告を終えると、凪は電話を切り、冷酷な視線を再び暁人と快に向けた。


「そこで待ってて。動いたら容赦なく足の骨折るから」


命令だった。一切の感情を排した、絶対的な拒絶の響き。

二人はその圧倒的な威圧感に気圧され、それ以上言葉を紡ぐことすらできず、ただ床に立ち尽くするしかなかった。


凪は二人の惨めな姿を冷たく見下ろしたまま、ぽつりと、底冷えするような声で言葉を紡いだ。


「白峰さん、お家で美味しいご飯作って待ってるね、って言ってたよ」


「……っ」

暁人の胸が、どくりと嫌な音を立てた。


「あの子、あんたたちが遠くに行っちゃいそうで怖いって、泣きそうな顔で私に相談してきた。自分は二人の帰る場所だから、しっかりしなきゃダメだって、健気に笑って、今もお家であんたたちの帰りを待ってる」


凪の一歩一歩が、暁人たちの胸を容赦なく踏みにじるように近づいてくる。


「それなのに、あんたたちは何? 正義の味方ごっこ? バケモノを倒すヒーローにでもなったつもり? ……馬鹿じゃないの。あの子のあの純粋な思いを、あんたたちのくだらない自己満足で踏みにじって、死にかけの惨態晒して。……本当に、最低」


言葉の刃が、暁人と快の胸に深く突き刺さる。

何も言い返せなかった。自分たちがやってきたことが、どれほど愚かで、どれほど紬を傷つける裏切りだったのかを、この冷酷な少女の正論が容赦なく暴いていく。


数分後。


静まり返った路地裏の入り口に、数台の黒塗りの高級車が音もなく滑り込んできた。

バタン、とドアが閉まる重い音。


車内から整然と出てきたのは、独特なデザインの制服に身を包んだ男たちだった。


暁人と快は、その制服を見てハッと息を呑んだ。

見覚えがあった。あの最悪の夜、バケモノに襲われて絶望の淵にいた自分たちを瓦礫の中から救い出し、その後、今の住処や生活の基盤のすべてを整えてくれた、あの『退魔庁』だったのだ。


(……どうしてここに……?)

(霧島さんも……あの人たちの仲間なのか……!?)


救助してくれた恩人たちの登場に安堵するよりも早く、彼らが霧島凪の呼び出しによって現れたという事実、そして彼女がその組織の人間として自分たちを「監視」していたという繋がりが、二人の脳裏にさらなる大きな混乱と衝撃をもたらしていた。



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