第15話
カチ、カチ、カチ。
朝のテレビから流れるアナウンサーの声が、リビングの空気を機械的に震わせている。
ニュースの内容は、昨晩起きた繁華街での強盗事件。
それを、快は食い入るように見つめていた。箸を持ったままピクリとも動かず、その瞳は画面に映る容疑者の顔や、事件現場の防犯カメラの映像を凝視している。
まるで、次の『獲物』を探す、飢えた獣のように。
「……快。飯、冷めるぞ」
隣に座る暁人が、わざとぶっきらぼうな声をかけて、快の肩を軽く小突いた。
快はびくりと肩を揺らし、ハッと我に返ったように「あ、ああ、悪い!」と無理に白い歯を見せて笑う。
だが、暁人の胸の奥にある不安は、昨日よりも確実に膨れ上がっていた。
快の目的が、おかしい。
「誰かを守るために力を使う」と言っていたはずなのに、今のあいつは、まるで自分の体内で暴れる化け物を鎮めるための『生贄』を、必死になって外に求めているように見える。完全に、ダメな方向に向かっている。
ここで無理に止めれば、快の精神は一瞬で決壊する。そう直感しているからこそ、暁人はそれ以上踏み込めず、ただ張り詰めた視線であいつを見つめることしかできなかった。
「はいはい! 朝から物騒なニュースは見ないの!」
キッチンの向こうから、明るい声とともに紬が歩み寄ってきた。
紬は快の手からリモコンをひょいと奪い取ると、チャンネルをバラエティ番組へと切り替える。画面がパッと華やかなスタジオの風景に変わり、芸人たちの賑やかな笑い声がリビングに響き渡った。
「ほら、これ美味しそうだよ。今度の日曜日、みんなでこのパン屋さん行ってみない?」
「お、美味そうだな! 紬の奢りなら、俺パン十個は食うわ!」
「なんで私の奢りなのよ、もう!」
ぷくっと頬を膨らませる紬に、快は大声を上げて笑う。
テレビの笑い声に混じって、食卓にはいつもの、絵に描いたような『きょうだい』の日常が戻ったように見えた。
だが、紬がキッチンへお盆を戻しに背を向けた、その一瞬だった。
「……暁人」
快の笑顔が消え、声のトーンが数オクターブ落ちる。
バラエティ番組の爆音の陰に隠すように、快は顔を近づけ、紬には絶対に聞こえないような低音で呟いた。
「今日の夜、繁華街の方にランニング行こう。……ついてきてくれ」
暁人は、箸を握る手に思わず力が入りそうになるのを、必死で抑えた。
心臓の奥が、嫌な音を立てて脈打つ。
暁人は快の横顔をじっと見据え、その腹の底を探るように、低く、静かに問いかけた。
「……なんで繁華街なんだよ。あそこは夜、警察の巡回も多いだろ。わざわざ行く理由がねぇ」
「いや……あそこさ、最近ヤバい不良たちの新しい溜まり場になってるって、ネットで聞きつけたんだよ。だから、ちょっと『様子』を見にさ……」
快はそう言って、またニカッと笑ってみせた。
けれど、その目が、全く笑っていない。
むしろ、早く夜が来てくれないと、今すぐにでも自分の右腕が暴走して、この家を壊してしまうかもしれないと怯えているような、病的な焦燥がその瞳の裏でギラギラと狂めいていた。
様子を見る、じゃない。
あいつは、自分の凶暴性を合法的にぶつけるための暴力を、自ら進んで買いに行こうとしている。
暁人は、その歪んだ快の「答え」に眩暈を覚えながらも、ただ生唾を呑み込むことしかできなかった。
「……分かった」
「サンキュ、頼むわ」
短い、密やかな取引。
「――ねえ、二人とも」
不意に、背後から声をかけられ、二人の身体が同時に硬直した。
振り返ると、お盆を胸に抱えた紬が、いつの間にかそこに立っていた。
その顔には、いつも通りの、少し呆れたような、優しいお姉ちゃんとしての笑顔が張り付いている。
でも、二人は知っている。紬の耳が、人一倍いいことを。
今の会話が、本当に聞こえていなかったのか。それとも――。
紬はゆっくりと歩み寄り、二人の顔を順番に、念を入れるようにじっと見つめた。その瞳の奥には、水底のように深い、けれど絶対に譲らない強い光が宿っていた。
「最近二人とも、夜遅くまでランニングして、すごく疲れてるみたいだから心配。……私たちはね、せっかくこの新しいお家をもらえたんだよ。だから、怪我なんてしないで、3人で楽しく、仲良く過ごさなきゃダメだからね。分かった?」
それは、ただの心配の言葉ではなかった。
二人が向かおうとしている暗闇から、必死に二人をこちらの世界へ引き留めようとする、紬なりの、懇願であり、命令だった。
『お願いだから、これ以上、私を一人にしないで』。声にならないそんな悲鳴が、紬の笑顔の裏側から、透けて聞こえるようだった。
「……おう、分かってるって」
「ああ……分かってる」
快も、暁人も、それぞれの嘘と覚悟を胸に秘めたまま、紬の言葉に、ただ小さく頷くことしかできなかった。
バラエティ番組の笑い声だけが、冷たく、白々しく、3人の食卓を包み込んでいた。




