第13話
「――っ、くそ」
深夜二時。
自分の部屋のベッドで、俺は跳ね起きると同時に、痛む右手を左手で強く凝り固まるように抑え込んだ。
また、あの悪夢だ。燃える天井、先生たちの悲鳴、そして――あのバケモノの、耳障りな笑い声。
荒い呼吸を繰り返しながら、自分の右手を月光に透かしてみる。
分かっている。気づかない振りをすることなんて、もう限界だった。
快だけじゃない。俺のこの身体の奥底でも、あの夜から何かが確実にドクドクと育ち、力が、身体の強度が、日に日に異常なレベルで跳ね上がっている。
蛇口をひねれば、力を入れていないのに金属がみしりと軋む。ドアを開けるだけで、ノブが歪みそうになる。
(……誰に言えるかってんだよ、こんなこと)
快はあそこまで追い詰められて、ようやく俺たちに吐き出した。
紬は今だって、あの夜の影に怯えて、毎日泣きそうな目を隠して飯を作ってくれている。
そんな二人に、「実は俺の力も上がってる」なんて言えるわけがない。これ以上、あの家を絶望で満たしてどうする。俺が黙っていればいい。俺一人だけが、この胸のクソみたいな疼きを噛み潰していれば、それでいいんだ。
「おっしゃ、暁人! 今日はあっちの裏通りを回ってみる。なんか最近、怪しい奴らの噂があるんだよ」
放課後。夕暮れの路地裏で、快はフードを深く被り、不敵に笑って見せた。
部屋に引きこもっていたあの時の、死にそうな顔はもうない。
今の快は、危ういながらも、自分で「悪党をぶっ飛ばす」という大雑把な、けれど彼なりの答えを見つけ出して、前を向いて突っ走っている。
正直、羨ましいとさえ思った。
あいつは馬鹿で、真っ直ぐで、だからこそ、自分の化け物じみた力を「誰かを守るためのヒーローの力」だと、そう思い込める強さがある。自分で自分の折り合いをつけて、一歩を踏み出せたんだ。
そんなあいつの答えを、俺が危ないからなんて綺麗事で無下にできるわけがないだろ。
「おい、先走りすぎるなよ。俺は後ろから見てるだけだからな」
「分かってるって! 暁人が後ろにいてくれるだけで、俺は思いっきりやれるんだよ!」
快はそう言って笑うと、音もなく壁を蹴り、路地の奥へと消えていった。
俺はその後ろ姿を追いかけながら、自分のポケットの中で右手をきつく握りしめる。
快をサポートする。お兄さんぶって、あいつのバックアップに徹する。それが今の俺の役割だ。
でも、それだけじゃない。
俺があいつの「夜回り」に付き合う本当の理由は、ただのサポートなんかじゃない。
快が、いつか自分の力に呑まれて、本当の「化け物」になってしまうかもしれない。その境界線の一歩手前で、あいつの首根っこを掴んで、人間の側に引き戻してやれるのは――同じ悪夢を見て、同じように不気味な力を宿している、この俺しかいないんだ。
あいつが暴走して、取り返しのつかないことをしそうになったら。
その時は、お前が『痛ぇよバカヤロー』って泣いて怒るまで、俺のこの呪われた右拳で、何度だってぶんなぐって目を覚まさせてやる。
そのためなら、俺の身体がどうなったって知ったことか。
「……ただいまー」
夜遅く、快と一緒にリビングのドアを開けると、そこにはまだ明かりがついていた。
ソファでうたた寝していた紬が、びくりと肩を揺らして目を覚ます。その目は、少し赤かった。
「……遅かったね。ご飯、温め直すね」
紬は無理に笑顔を作って立ち上がる。その小さな背中を見るたびに、胸の奥がぎりぎりと引き裂かれそうになる。
紬は怒っている。
危ないことはやめてくれと、あの夜、泣いて縋ってきた。
俺だって、紬にこんな顔をさせたくない。できることなら、今すぐ快の襟髪を掴んで家に引きずり戻して、3人で一生、鍵を閉めた部屋で閉じこもって暮らしたい。
でも、それは絶対に無理なんだ。
逃げても、あのバケモノの影は、俺たちの悪夢から消えちゃくれない。快の力が、俺の力が、それを証明している。いつかまた「あの日」が来たら、その時は逃げる場所なんてどこにもない。
だから、戦うしかないんだ。
快が前を向いて拳を振るうなら、俺があいつの盾になる。あいつのブレーキになる。
紬には、もう二度と、あんな血の海を見せない。あんな絶望に満ちた悲鳴を上げさせない。
(俺の事なんて、どうでもいい)
俺が化け物になろうが、心が擦り切れて壊れようが、そんなことは二の次だ。
この、血の繋がらない、けれど俺のすべてであるこの家族を、今度こそ俺が守り抜く。
「ごめんな、紬。ランニングがちょっと長引いちゃってさ。飯、めちゃくちゃ腹減ったわ」
俺はわざとぶっきらぼうに笑って、紬の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
手のひらに伝わる、守るべき小さな体温。
この温もりを絶対に失わないためなら、俺はどんな泥を被ったって構わない。腹の底で燃え盛るどす黒い覚悟を、俺は誰にも気づかれないように、深く、深く、呑み込んだ。




