第7話 失って初めて、自分がどれだけ幸福か知った
私が着いた先は、とてもにぎわった街並みが並んでいた。コロッセオと呼ばれる場所だろう。大きな円形の大きな建物がそこに存在している。
あの場所では、たくさんの人間が殺し合い、その様を愉ししながら人が見ている。借金奴隷、戦争の奴隷、理由は色々で、自分の体を使ってしか、もう返すあてがなくなった人たちの行き着く先があの場所だ。
左に見えるのは、男性の欲望が渦巻く娼館の並びだろう。気色の悪い笑みを浮かべた男性たちが、その場所へと向かって歩き出す。これから蹂躙する女性のことを思い浮かべて、下腹部を膨らませていた。
「こちらへどうぞ」
そう言って私のことを案内する奴隷商の主。商人とは思えない、その屈強な肉体で一体何人の奴隷をいたぶってきたのだろう。漏れ出る魔力量からも凄腕の魔術師であることが分かる。そんな彼が鍛える理由など、自分の手で、嬲りたいという欲求意外ありえないだろう。
きっと冒険者として活躍する、そんなこともたやすく彼はできるだろう。何でもできるあたなと私。その違いは何なのだろうか?彼の底知れなさに、私が逃げることもできず、気に入られることもないと知っている。だから従順に従う選択肢しかなかった。
「それが私達にとって最も利益がある。そう、判断したからですよ」
あの時の冷徹な視線は、今も私に恐怖を刻み込んでいた。人だったものに対する敬意や、同情など微塵もない視線。それを思い出すだけで、身体が少し震える。私はもう取り繕うことが出来なかった。たった一言。その物言いに視線に自分を物だと認識させる。それが最も恐ろしかった。
オークションが開始されるまでの間。私は何人もの奴隷と一緒にぎゅうぎゅうに押し詰められる。もしくは、檻のなかでじっと待つ。そんな世界を想像していたが、どうやら違うらしい。
部屋は八畳とそこまで大きくはない。けれど、必要なものはかなり揃っている。私が休むためのベッド、それと退屈しないようになのだろうか、本が置かれていた。
それに少し疑問を持つ。これから商品として売り出す奴隷を、たった一人の少女、なぜここまでの扱いをするのかと。それが本当にわからなかった。顎に手を当てて考えるが、見当もつかなかった。当初はね……。
手元に置いてあった、5冊の本。それを5時間ほどで読み終える。そうなると待っているのは退屈と、これから訪れる私の未来について想像する時間だった。
当然のように想像するのは、拷問を掛けられる私の姿。なまじ、拷問に対する知識があるからこそ、具体的な想像をしてしまう。爪を剥がされるのは勿論、梔子という道具で皮膚を裂かれる姿。それを魔法で治し、再度拷問にかける。
痛いと泣きわめこうが、顔を鼻水で汚そうが彼らは助けてくれないだろう。ただ、私の心が壊れない範囲で拷問を楽しむ。
……そっか。私の心が壊れないために、本を用意したのか。少しでも気を紛らわせるために。まだ少しでも、彼が私のことが気に入って、なんてそんな甘い考えが浮かんでいた自分に、ひどく悔しい気持ちになる。こんな状況でもまだ私は、微かな希望を求めているのだということを思い知らされる。
せめて最悪にはならないようにと、どうしようもなく怖くなって、神に願ってしまう。その事実に。そんな弱い自分をひどく落胆する。本当はわかってる。奴隷になんてなりたくない。 いやだ、解放してって、心の奥底では泣き叫んでる。
こんなことなら、あの時に助言なんかしなきゃよかった。そうすれば、まだ家族として同じ食卓を囲むことができたんじゃないかって涙する。好きでもない男性でもいい。それでも誰かに取り入って、そこで家庭を築きたかった。
もうそんなことすら、私には叶わない。誰かにボロボロに使い捨てられて、生き尽くす先は、一人孤独に死んでいくという事実だけが、ただ私に圧し掛かってくる。楽に死ねるのならいい。最悪、拷問にかけられてなんてことは、よくある。もしかして、それ以上もあるのだろうか……。そんな見えない恐怖に襲われて体を震わせる。それだけは嫌だった。
***
夜になって自分とより深く向き合うせいかな、この世界のあり方を憎んだ。
……どうして奴隷という制度が許される世界なのだろうか?神様は実際に存在して、それを止める権利もある。なのに、奴隷制が廃止されることはない。それを許容する世界なんて滅べばいいのに……。
周りの全てが憎くて、でもふと気持ちが整理される瞬間が訪れる。どうしても奴隷制のメリットも浮かんできてしまう。管理できる労働力。世界を推進させるための礎だと。
自分だって奴隷に落とされる前には仕方ないと割り切っていた。それを思い出す。ただ、自分が奴隷に落ちて、喚いているだけだと。
そんな最低な私だからきっと神様は見捨てたんだろう。一人部屋の中で、そんなことを考える。切り替えて眠ろう。そうすれば、何も考えなくていい。そう思うのに、妙に現実的な恐怖のみ想像される。ナイフが突き立てられたような感覚に腕をさするが何もない。 ……怖い、怖い、 怖い、怖い、 怖い。
身体が震えて、自身を落ち着かせるように抱きしめる。それでも、怖くて、そんな恐怖から逃れたくて、私は食事と一緒に運ばれた果物ナイフを握り締める。
ランプに照らされて、キラリと光が反射する。そこに映った自分の顔を眺めて、覚悟する。そうして、手を振り上げて、自分に突き立てようとして……身体が動かなくなった。
そう、だよね。自害することも、傷つけることすらも、契約魔法によって禁止されているのだから当然だろう。私はその事実に落胆し、諦めて果物ナイフを元の位置。机の上に置いた。
少し冷静になりながら 一人考える。考えて考えて、思うようになるのは、精神が早く壊れないかなってこと。どうやったら自分を追い込める。もっと恐怖するようなことを思い浮かべて、その先に絶望すれば……。
けれど、それすらも許されない。そう思った瞬間に、まるで思考がもやにかかったかのように、何も考えられなくなる。そっか、思考すらも制限されるんだね。私が物だから……。
そんな私の鬱々として空気を感じ取ったのか、外に時々出される。青空の下を動いて、そうするとなぜか少しだけ気分が晴れるのだ。その生活も早いもので、5日もすれば徐々に慣れていく。それが怖い。人は適応するとはよく言ったものだな……。
それでも、何日かに一回は、やはり恐怖心が湧いてくる。嫌な想像ばかりが胸の一生を埋め尽くして、助けてと泣き叫びたくなる。怖くて、壁を叩いて助けを求めたくて、でもその行為すらもすることはできない。自分を傷つける行為に該当するから。
行動を制限されて初めて、これまでどれだけ自由だったかってことをようやく認識する。好きな時に本を読んで、ノートにまとめて、自分の考えをアウトプットして、どこかに発表する。その準備をして、ただ部屋に閉まっておく。そんな生活。
あぁ、あの考えの先、どうすればいいのかな。そう考えると少し楽になった。だから、無茶を承知で、奴隷商人にねだった。紙とペンが欲しいと。
するとなぜか彼は了承してくれる。没頭して考え出す。考え続ける。あの最後に自分に課した課題を、それを自分が奴隷になる前に書き上げる。もしもそれを誰かが見て、その結果私のことを同じ頭脳を使うそんな存在として求めてくれる人がいるんじゃないかって。
そんなことを切に願って書き続けた。最後の希望として。




