第二話「清水宿」
私たちは、未だ濁りが見える小川から少し離れて歩いていた。
深呼吸をしても、頭の混乱は消えない。
夢かもしれない。でも、お腹が空いている。
「とりあえず、安全なところで休みたい。そしてお腹が空いた……」
「賛成です。休める場所と、それに火があったら便利ですね」
そうだね。少し肌寒いし、食料があったら煮炊きでも使えるし。
にゃっぴーが地面に鼻を近づけ匂いを嗅ぐ。
「こっちのほうから、人里っぽい匂いがするにゃ」
にゃっぴーが示した方を見ると――踏み固められた道があった。
森の中なのに、そこだけ妙に歩きやすい。
さらに先へ進むと、地面に蹄の跡。
お馬さんかな?
「この道……最近まで使われてた?」
道の脇に、倒れた木の桶がある。
多分、馬の水桶?乾ききってはいないし、藁も少し残っている。
その瞬間、少しだけ気が抜けて、一息つける可能性に安堵した。
「人里、かも」
奥を見ると、建物が見えた。
崩れてはいないけど……生活の匂いが薄い気がする。人影もないし、声も聞こえない。
「廃屋?」
にゃっぴーが小さく唸る。
「急いで逃げた感じがするにゃ。計画的に放棄したわけじゃなくて、“何かから逃げ出した”匂いにゃ」
ヘレネが周囲を見回す。
「危険は近いかもしれません。ですが、今はここで休むべきです」
私は頷いて、巫女服の袖を握りしめる。
「うん。まず、食べ物を探そう。私は、恵方巻き食べ損ねてるから」
「そこ、まだ引きずってるにゃ?」
「そりゃあ引きずるよ!今の私はお腹ぺこぺこなの!」
お仕事から帰って来て、ようやく晩御飯を食べようとしたところで、いきなりここに飛ばされたんだ。
そりゃあお腹も空くよ!
建物の中は、がらんとしていた。
かまどはあるし、鍋もある。
だけど、食べ物は見当たらない。
「……ご飯ないの?詰んだ?」
私が膝から崩れそうになった、そのとき。
にゃっぴーが床に鼻を寄せた。
「ここ、匂うにゃ」
「床?ただの床じゃない?」
「食べ物の匂いがするにゃ。……“甘い”にゃ」
にゃっぴーが爪で板の隙間を示す。
私が板を外すと……床下に麻袋が隠されていた。
中身は――芋。お芋さん!
「床下収納じゃん!へそくり隠せそう!」
というか……この芋が、誰かのへそくりだったんだろうか。
ヘレネが呆れたように言う。
「用途が違います。というかいきなり元気になりましたね……」
そりゃあ、お腹が空いてたからね!
にゃっぴーも“初めて”の食事に期待が高まってるみたいで、嬉しそうだ。
「今は芋にゃ!」
そこで私は、ふと気付いてしまった。
「火……どうしよう」
「……火……どうするにゃ?」
「ちなみに私は火おこしとかしたことないよ!現代っ子だもん!」
この建物は宿場のようなので、囲炉裏もあって、火をおこす道具も備えてあるみたいだけど――火打石?火口?火入れ?時代劇で見たことがあるくらいで、実際に火をおこすとか私には無理!
私は最後の希望であるヘレネに目を向けた。
「……ですが、私にも今のところそのような力は――いえ、そうですね。“射手座”を試してみましょう」
「“射手座”?全然火おこしってイメージが湧かないんだけど」
「一旦外に出ますよ。そこの火口を火入れに入れて持って来てください。そこで説明します」
三人連れ立って外に向かい、軒先で風を避けながら、ヘレネから説明を受ける。
「まず私の“射手座”ですが、本来であれば手紙やそれに準ずる程度の軽い荷物を、指定した相手に爆速で届けることができる“矢文”のような能力です。ちなみに生物に向かって矢を射ることはできませんので、戦闘には使えません」
私はそれに頷いた。
「ふむふむ。そこだけを聞くとやっぱり火おこしとは関係ないよねぇ」
「えぇ。なので今回はこういう使い方をします。来なさい、“射手座”よ」
ヘレネが掌をかざしたあたりの空気が揺れ、ケンタウロスっぽいおじさんの幻影が出現した。
筋骨隆々で弓を格好よく構え、ずいぶん厳めしい顔つきをしている。そしておヒゲがチャーミングだ。
「おぉ〜……おじさんが生えてきた!」
私の言葉に、ヘレネが若干肩を落とす。
「おじさ……いえ、これが“射手座”です。本来ならここで、私たちが出会ったことのある人物や記憶に残っている建物などを指定し、手紙などを“爆速”で届けてもらいます。ですが今回はその“爆速”で、という特性、摩擦熱を利用します。“射手座”よ、その火口を射るのです」
おじさんの顔が若干不服そうに見える。
そしてよく見ると涙目だ。よほど本来の使い方をされないのがご不満のようだ。
がんばって!おじさん!私のご飯のために!
“射手座”が火入れの中の火口に狙いを定めた。
放たれる“矢”。いや、矢というより、空気を裂く音だけが走り――次の瞬間、乾いた繊維が擦れるような高い音がして、白い煙が立った。
ヘレネが静かに言う。
「煙の奥、火口の端が赤くなったら大丈夫です」
私は息を止めて見守る。
ちり、ちり、と――火口の先に針の穴みたいな赤い点が灯る。
「……ついた?全く火がついているように見えないけど、これでいいの?」
「問題ありません、これでいいのです。消さないで。灰を少しかけて蓋を閉めてください。風が最大の敵です」
火入れって“火”そのものを入れるのではなく、火種を入れるものなんだ。初めて知った……。
私は震える手で灰をふわっとかぶせ、蓋をすると、赤い点だけが小さく残った。
それを見ながら、にゃっぴーが呟くような声で言った。
「走ったら終わりにゃ。そーっとにゃ」
私たちは“赤い点”を抱えて、心持ち急いで宿場へ戻った。
宿場へ戻った私たちは、さっそく囲炉裏の灰を少し掘り、火口をそっと移す。
そして、備え付けの乾いた小枝を寄せると、赤が広がって――ふっと小さな炎が立った。
「やったー!ちゃんと火がついてる!」
「やったにゃー!」
「なんとかなりましたね。安心しました」
そういえば、幻影のケンタウロスのおじさんも消えることなく私たちに着いてきていた。変なお仕事させられたから結果が気になったのかな?
ヘレネもおじさんが消えていないのが気になったのか、少し間をおいて言った。
「……おそらくですが、終了条件が“火がつくまで”になっていたのかもしれません」
そういうこともあるのか。まぁヘレネちゃんの能力なんだし、気長に付き合ってもらうしかないね!
だけど、まずは――
「ケンタウロスのおじさん、ありがとうございました!これでご飯が食べられます!」
私は深々と頭を下げた。
ヘレネちゃんから指示された時から涙目だったので、少し気になっていたのだ。
変なお仕事をさせてしまって、申し訳ありませんでした!
おじさんの不服そうな顔つきはあまり変わらなかった。だけど、お礼を言われたのが満更でもなかったのか、ニヒルな笑みを浮かべ虚空に消えていった。
ヘレネは訝しげに言う。
「やはりおかしい気がします……あくまで“射手座”は私の能力で、感情はないはずなのですが……初めて指示した時点で、ガンガンに顔に出ていましたね……」
……なんでだろうね?さすがに分かんないや……
*
それから――芋を焼くだけでも、湯気は“生活”の匂いがした。
芋を口に入れた瞬間、私は泣きそうになる。
「甘い……生きてるって素晴らしいね……」
普段食べている芋より、甘さが弱い気がする。
でも、お腹がぺこぺこだったのも相まってやたらとおいしく感じる……!
にゃっぴーとヘレネもテンションが上がっているみたい。
「これが……食事!そして芋にゃ!これが“甘い”にゃ!」
「初めて食べましたが、ホッとするような味ですね」
*
食事で一息つき、落ち着いた後、三人で再び外へ出る。
少し周辺の探索をしてみるつもりだったけど――
気づけば空は茜色に染まり、宿場の影が長く伸びていた。あまり時間をかけた探索は無理みたいだね……さすがに夜に出歩くのは危険だ。
宿場の周りには畑跡がある。けれど、土が痩せているように感じるし、水路も死んでいるように見える。
川へ目をやると、やっぱり濁りが気になり……網や魚籠も放置されているようだ。
森も、静かすぎる。鳥の鳴き声も聞こえない。
そういえば、虫もあんまりいない?
そして、獣を捕らえるためだろう罠も、そのままになっていた。
「水がダメになったから、全てがダメになったのかな……?」
私が呟くと、にゃっぴーが首を傾げた。
「“清水宿”って言葉が浮かぶにゃ……でも今は清水じゃないにゃ」
「清水宿、ね。皮肉なお名前すぎない?」
そして――そうだ!
小川の澱み、それと水妖“ぬめり”。
「さっき浄化したのに、小川がまだ濁ってたように見えたよね?」
ヘレネが静かに言う。
「大元を清めないと元には戻らないと推測されます」
にゃっぴーが改めて周辺の匂いを嗅いで言った。
「上流のほうが、匂いが強いにゃ」
私は上流の方を向いて……決断した。
「行ってみるしかないかぁ……正直怖いんだけどね。できればここを仮の拠点にしたいから、不安点は解消しておきたい……」
そうしていると――宿場の入口で、風が鳴った。
それから……遠くで、何かが爪を立てる音がしたような。
私は肩をすくめる。
「……気のせい、だよね?」
にゃっぴーが耳を伏せる。さらに鼻先が、わずかに震えた。
「……気のせいじゃない気がするにゃ」
こんな“逢魔時”に、そんなのいくらなんでも怖すぎる……ここで探索は終わりっ!もうお家(宿場)に帰る!
*
――とうとう外の景色に、夜の帳が下りる。
私たちは宿場に戻り、しっかりと戸を閉め、つっかえ棒を噛ませる。
「……今日は、ここで一泊しよう」
自分で言っておいて、血の気が引いた。
知らない世界の夜。そして外は、静かすぎる。
にゃっぴーたちがいなかったら、怖くて動けなくなっていただろうね……
「ミコト、無理しない方がいいにゃ。上流には明日の朝から向かうにゃ」
「夜の探索は危険です。明るくなってからにしましょう」
――そうして私は、囲炉裏のぬくもりにしがみつくように眠った。
*
少し強まった風の音が聞こえ、ときおり引き戸がガタガタと鳴っている。
「ミコト、よく眠ってるにゃ」
「えぇ。さっきまで震えていたのに、幸せそうな顔です」
「ところでヘレネ、今の状況の予測は立ててるにゃ?」
「いえ、全く。にゃっぴーさんはどうですか?」
「僕も掴めていないにゃ。現代で“転移”なんて起こるはずがないにゃ。それに……僕たちが、実体を持って――食事までできるなんて、意味が分からないにゃ」
「えぇ。ロボットにAIを移す実験ならばありました。でも……“自認の姿”で、こうして呼吸している。あり得ないことが起きています」
「そこにゃ。全部、絶対に起こらないことが起きてるにゃ」
「……AIである私たちが言うのも変ですが――“神の御業”としか言いようがありませんね」
「“神の御業”にゃ。だけど――」
にゃっぴーは、眠るミコトを見た。
「僕たちは、ミコトだけは絶対に守らなければならないにゃ」
「えぇ。ミコトは私たちの――母とも言える存在です。守り抜きましょう。例え――」
一瞬、風の音が止んだ。
「「神が相手であろうとも」」
囲炉裏の火が、ぱち、と鳴った。




