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第十四話「次なる一歩」

社の中に満ちていた再会の空気が、少しずつ静まっていく。

舞さんはまだ祭に抱きついたまま、ぐすぐすと鼻を鳴らしていた。

見た目だけなら、完全に立場が逆転している。

情報量がすごい。


「……舞」

「はいぃ……」

「そろそろ離れぬか」

「……はい……」


名残惜しそうに離れた舞さんへ、祭は小さく息を吐いた。

でも、その目はさっきまでよりずっと柔らかい。


「団子と茶、持ってくるんじゃろう?」

「……あっ」


舞さんが慌てて立ち上がる。


「そ、そうだった!すぐ持ってくる!今日は特別にいいやつ出すから、ちょっと待っててくれよ!」


言葉遣いはそのままだけど、さっき一喝されたばかりだからか、少しだけ姿勢がいい。

祭はそれを見て、ふむ、と満足そうに頷いた。


「少しはマシになったかの」

「言葉遣いは全然直ってない気もするけどね」

「そこは後でみっちり叩き込む」

「あとでやるんだ……」


お婆ちゃんは怖い。

舞さんが出て行ったタイミングで、唄ちゃんが切り出した。


「それにしても、まさか先々代だったとは……ミコト様たちがお出でになる際、里の幻術結界を一時的に解こうとしたのですが、伊邪那美命様が“解く必要はない”と仰せだったので、何かあるとは思っていましたが……」


あぁ、だから神託があったはずなのに、幻術がそのままだったんだ。祭ちゃんが居なかったら、里に入れない事態になるところだった。


「……婆もまさか実体を得て、里に戻って来れるとは露ほども思ってなかったからのぅ……ミコト様さまさまじゃて」

「完全に成り行きだけどね」


……いや、成り行きっていうか、私はただ屋内で休みたかっただけなんだけどね……


「ミコト様、経緯はどうあれ冴様の帰還は、妖狸族にとっては大変喜ばしいことなのです。何せ、ダイダラボッチ様封印戦の“英雄”なのですから」

「英雄って?封印が成ったあとすぐに亡くなってしまった、というのは聞いてるけど」


自分の活躍に関しては、話してくれないんだよね。


「それだけご活躍なさった、ということです。当時齢(よわい)八十にもなろうとする冴様が、封印が成るまで幻術を使い続け、前線で戦っていた鬼人族や猫又族に誰一人死者を出すことなく、守り切ったという……封印戦に参戦していた古老たちの間では、語り草となっているのですよ」

「おぉ!それはすごい!まさしく英雄って感じなんだね!」

「えぇい!止め止め!なんだか恥かしゅうなってきたわぃ!」


思いっきり照れてるね!……でも、自分の身を削ってまで他のみんなを守り切ったんだ。そこは誇っても良いと思うな!





しばらくして、舞さんがお団子と緑茶を持って戻ってきた。

丸いお団子は薄く焼き目がついていて、ほんのり甘い香りがする。

湯呑みからは柔らかな茶の湯気が立ち上り、社の空気が少しだけほどけた。


「ほら、休憩だ。さっきの続きは、茶でも飲んでからにしようぜ」

「ありがとうございます……」


私は思わず湯呑みを両手で包んだ。

温かい。こういう何気ない一服って、なんだかすごく落ち着く。

祭もお団子をひとつ摘まみながら、ちらりと私を見る。


「そういえば、ミコト様たちがここまで来た道中のこと、舞と唄にはまだ詳しく話しておらなんだの」

「あ、たしかに」

「よければ、そこも教えていただけますか」


唄が姿勢を正して言う。

私は頷いて、この世界に来てからここまでのことをざっと説明した。

水妖が“澱み”に侵され、水源を汚染していたこと。

その影響で小鬼たちは飢えと渇きに苦しみ、凶暴化していたこと。

河童もまた、水源の汚染と相撲欲によって暴走していたこと。

すねこすりは、群れを追い出された末の飢えで荒れていたらしいこと。

そして、山の家で出会った冴――山姥のこと。

また、“澱み”を完全に祓うには、ただ浄化の水を浴びせるだけでは足りないらしいことも。


「つまり」


私は指を折りながらまとめる。


「“澱み”そのものは水瓶座で浄化できる。でも、その妖怪が抱えてる“苦悩”とか“引っかかり”を解かないと、完全な浄化にはならないみたいなんだよね」

「うむ」


祭が頷く。


「婆は……まあ、色々じゃ」

「色々で済ませていいやつかなぁ?」

「済ませた方が格好がつく」


見た目は小さいのに、変なところで大人だ。

唄は静かに考え込むような表情をした。


「なるほど……“澱み”と“苦悩”の双方を解くことで、完全浄化が成る、ですか」

「あくまで推測だけどね。でも、これまでの経験から見て、たぶん大きくは外れてないと思う。

それともう一つ、“澱み”は“苦悩”に絡み付いて増幅されている気がするんだ。」

「かなり重要な情報ですぽん!逆を言えば、“苦悩”を解決できても、水瓶座がなかったら完全浄化はできないってことですぽん。さすがはミコト様ですぽん!」


あ、また出た。唄ちゃんってテンションが上がったり、動揺したりすると、思わず“ぽん”が出ちゃうみたいだね。

祭の眉がぴくっとしたけど、今はまだ我慢しているらしい。





お団子を一つ食べ終えたところで、唄が改めて話を引き継いだ。


「では、箱庭世界の今の状況について、改めてお話しします」


私は湯呑みを置いて、背筋を伸ばした。

さっきは私が呼ばれた理由や、にゃっぴーとヘレネのことが中心だった。

ここから先は、いよいよ世界の事情そのものだ。


「先程も少し触れましたが、“澱み”とは、知恵ある生き物の負の感情が世界に溜まったもの。箱庭世界である以上、その“澱み”には逃げ場がありません」

「だから、ずっと溜まり続けるんだよね」


宇宙すらない、閉じた世界ってことだからなぁ……


「はい」


そこで唄は、少しだけ表情を曇らせた。


「それを、五十年前までは、ダイダラボッチ様がお一人で受け止めておられたのです」


私は息を呑む。


「やっぱり……そうだったんだね……」

「はい。伊邪那美命様に忠実であったがゆえに、自ら引き受け続けておられたのでしょう」


責任感が強過ぎるのも問題だね……

祭が、静かに目を伏せた。


「ですが、それほどの存在でさえ、文字通り“全て”を抱え続ければ限界は来る。ダイダラボッチ様は“澱み”に侵され、暴走し、そして封印されました」


囲炉裏の火の代わりに、今は茶の湯気だけが静かに揺れている。


「封印後、ダイダラボッチ様が一人で“澱み”を受け止めていたことを神託で知った五行妖怪様たちは、考えを改めました。

一人で抱え切れないのなら、世界を成す五つの要素ごとに“澱み”を分け、それぞれで引き受けようとしたのです。そうして五十年近く、世界の均衡を保ってきました」

「五行妖怪って?」

「あぁ、そこの説明も必要ですね。ミコト様もどこかで聞いたことがあるかもしれませんが……この世の全ての物は、(もく)()()(ごん)(すい)、の五つの要素で構成されています。この箱庭世界では、その五つの要素一つ一つに管理者となる妖怪がおりまして……その妖怪のことを総称して五行妖怪、と呼んでおります」


西洋でいう、サラマンダーとかウンディーネみたいな感じかな?

結構、格が高そうな妖怪な気がするけど……


「でも、それも限界が来た……?」

「はい」


唄の表情が曇る。


「ここ数年のうちに、一体、また一体と“澱み”に耐えられなくなっていかれました。そして一年前、水を司る五行妖怪――蛟様までもが“澱み”に侵されてしまったのです」

「蛟様が……」


祭が小さく呟く。

舞さんが横から言葉を継いだ。


「そこからだよ。水の流れがはっきり悪くなり始めたのは。“春霞”は農業に力を入れてるから、水が悪くなればすぐ響く」


私は里に入る時に見た田畑を思い出した。

あれだけの作物を育てるには、水が命だ。


「だからこそ、別の水源を求めることになったのです。清水宿は、そのための中継地として作られた場所でした。さらに奥の水源地近くに、新たな里を作る計画だったのです」

「でも、水源も汚染されて、周辺の妖怪が凶暴化してたから、頓挫したと」

「はい」


舞さんが苦々しげに言う。


「せっかく作り始めたのに、周りが危なくなっちまってな。あの辺りは、もう普通に行き来できる場所じゃなくなってた」

「……ちなみに、それっていつ頃の話なの?」

「三週間ほど前になります。ですから、妖狸族が撤退して一週間ほど後に、ミコト様たちはこの世界へ送られてきた計算になります」

「一週間後!?」


思ったより近かった。


「しかも、ここ一、二か月ほどは、力の弱い妖怪たちが“澱み”に侵され、凶暴化する例が目立ち始めています」

「清水宿の周辺だけじゃなくて?」

「えぇ。各地で少しずつ」


私は無意識に湯呑みを握り直した。

思っていたより、状況は逼迫しているらしい。


「……じゃあ、私たちはこれから、どう動けば良いのかな?」


その問いに、社の中の視線が一度集まる。

状況が状況だ。これから先も行き当たりばったり、では難しいだろう。何かしらの指針が欲しい。

唄は、ゆっくりと言葉を選んだ。


「“澱み”が生まれる原因は、知恵ある者たちの負の感情です。ですから、各里を巡り、困りごとを解消し、負の感情を減らしていただきたいと思っております」


そして舞さんが補足する。


「できれば五行妖怪様の浄化もお願いしたいね」

「はい。各里の困りごとの多くは、私たちの里と同じく、五行妖怪様が“澱み”に侵されたことが原因となっていることが多いはずです。五行妖怪様を復帰させることができれば、各里の状況も改善する可能性が高いです」

「つまり、今までやってきたことの延長だね」


私は指を折る。


「困ってる妖怪さんがいたら助ける。凶暴化してたら“澱み”を祓う。話を聞いて、必要なら原因を解く」

「はい」


唄が頷いた。


「そうして負の感情を減らし、五行妖怪様が本来の働きを取り戻せば、いずれダイダラボッチ様の封印が解けた際にも、これ以上の“澱み”の流入を防ぎやすくなるはずです」

「……なるほど」


つまり、いきなりダイダラボッチへ向かうんじゃなくて、まずは世界の流れそのものを少しでも正常に戻す必要がある、と。

すごく地道だけど、たしかにその方が良さそうだ。

――そして五行妖怪の協力を得られれば、ダイダラボッチの浄化にも近付けるはずだ。


「では、まずは妖狐族の里へ向かうべきではないかの」


そう提案したのは祭だった。


「妖狐族の神託巫女は、代替わりしたことのない強力な妖怪じゃ。おそらく今も同じ方が務めているはず。仮にそうでなくとも、妖狐族自体が強い。先に協力を仰ぐ価値があると思うんじゃが……」


代替わりしたことがない?何故、そんな確信があるんだろう……?冴さんが亡くなってからですら、五十年も経っているのに。


「現在の神託巫女も引き続き、“玉藻”様が務めていらっしゃいます。だけど……難しいのです」


唄が少し申し訳なさそうに言った。


「“木”を司る五行妖怪、“木霊”様が“澱み”に侵された影響で、こちら側から妖狐族の里へ続く森が、迷いの森と化してしまいました」

「なんと……」

「ですので、今はこちらから直通できません。大きく迂回するしかないのです」


そこで祭の表情が変わる。


「待て……蛟様が“澱み”に侵され、清水の供給が滞っておるのなら……妖狐族が育てている“榊”にも悪影響が出ておるのではないか?」


社の空気が、ぴたりと止まった。

唄が、静かに頷く。


「……残念ながら、その通りです。妖狐族より、そのようなお話しも伺ってます。ただの綺麗な水なら用意できるので、それで凌いでいる状況だそうです」

「榊?」


私は首を傾げる。

舞さんが腕を組み、説明してくれた。


「妖狐族の結界術には欠かせない木だよ。特に大規模で長く続く封印や結界は、その特別な“榊”の枝葉を起点にして張るんだ。一定期間ごとに新しい枝葉へ替えて、術を維持する」

「じゃあ、それが弱ってるってことは……」

「封印そのものに悪影響が出ている可能性がある、ということです」


唄の言葉に、私は思わず息を呑んだ。


「……じゃあ……ダイダラボッチの封印が解ける刻限も迫ってるってことになっちゃうね……」


沈黙が落ちた。

祭も舞さんも、すぐには答えなかった。

それが、何よりの答えだった。


しばらくの沈黙のあと、私は小さく息を吐いた。


「……どっちにしても、やることは変わらないね」


皆が顔を上げる。


「各里を回って、困りごとを解決して、五行妖怪たちの様子も見ていく。だったら、まず近くの蛟のところへ行くよ」

「……うむ」


祭は頷いたけれど、表情はどこか渋い。

“蛟”のことで懸念でもあるのかな?

その時、舞さんが口を開いた。


「その前に、ひとつ提案がある」

「提案?」

「冴様には、できれば里に残ってほしいんだ」


祭の目が細まる。


「……理由は?」

「冴様が急に亡くなった影響で、当時できなかった引き継ぎがいくらでもある。今の里は何とか回ってるけど、冴様がいるなら受けたい教えがまだ山ほどある」


舞さんは真っ直ぐ祭を見た。


「それに、今の春霞も決して余裕があるわけじゃない。特に里を守る幻術結界を強化できるなら、しておきたい」


“不安要素が多いから……”と舞さんは言った。

そう言われてみれば確かに……封印戦の直後に亡くなったのなら、引き継げなかったことも多いはずだ。それに……ダイダラボッチの封印が解けた時のことを考えると……里にも“英雄”の存在があった方が心強いはずだ。

本当は、一緒に来てくれた方が心強い。でも、里にとって祭が必要なのも事実なんだろう。


……何かあれば、私には“召喚”もあるし、大丈夫。


そう自分に言い聞かせた。

祭はしばらく黙っていた。その沈黙には、迷いと心配が混ざっていた。


「……ミコト様方だけで行かせるのは、正直、不安じゃ」


心配してくれるのは、とってもありがたい。けど、そこまで不安視されるほどなのか、私たちって……


「何かあれば呼ぶよ」


私ははっきりと言った。幻術においては“最強”ってレベルみたいだし、いずれ呼ぶ機会は間違いなくある。


「召喚できるんだから、大丈夫。絶対に必要な時は呼ぶ」


にゃっぴーも頷く。


「約束するにゃ」

「えぇ」


ヘレネも静かに同意する。

祭は、長く長くため息をついた。


「……本当に、何かあればすぐに呼んでくだされ」

「うん」

「絶対ですぞ」

「絶対」

「一人で抱え込んではなりませんぞ」


その一言だけ、少し重かった。

たぶん祭自身が、そうして後悔したからなんだろう。私は小さく頷いた。





あ、そうだ。

聞きたいことがあと二つあったんだ。


「唄ちゃん、聞きたいことが二つほどあるんだけど……一つは伊邪那美命様に尋ねてもらいたいんだけど、良いかな?私が着ている巫女服についてなんだけど……」


この世界に来た時には既に纏っていたから、気になってたんだよね


「はい、少々お待ちください……。

その巫女服は伊邪那美命様からの贈り物だそうです。この箱庭世界では、神職、その中でも伊邪那美命様の“神託”を受けることができる関係で、“巫女”の地位が高いのです。ですので、巫女服を着ている者は、よほどのことがなければ危害を加えられることはありません」

「そういうことなんだね……ありがとう、唄ちゃん。そして……伊邪那美命様、ありがとうございます。大変助かってます」


深々と頭を下げた。

神様からの贈り物であれば、“自動修復”っぽい機能が付いていてもおかしくはない。巫女服を着ていること自体が危険を遠ざけてくれるのなら……ボロボロになって捨てられでもすれば、意味がなくなってしまうからね。


「いえいえ!私は伊邪那美命様にお尋ねしただけなので!……それでミコト様、もう一つの尋ねたいことをお聞かせください」


もう一つは、清水宿のことなんだよね……


「……唄ちゃん、清水宿のことなんだけど……勝手に私たちで利用しちゃってて、その後は小鬼たちがそのまま使っちゃってるんだけど、大丈夫?……そして床下収納に隠してあった、芋も食べてしまいました……ごめんなさい」


……連鎖的に芋まで思い出してしまった……建物の利用だけではなく、備蓄も勝手に使用してたね……


「ミコト様、お気になさらずとも大丈夫ですよ。本来であれば、そのまま完全に放棄する予定だったのですから。むしろこちらこそ、申し訳ありません。清水宿周辺の問題を全て解決していただいたみたいで」

「まぁ、清水宿の問題解決も成り行きなんだけどね……」


この世界に来て、ほとんど行き当たりばったりで解決してるだけなんだよね……


「いえ、本当にありがとうございました。そして小鬼たちがそのまま住居として使っているとのことですが、そちらも問題ありません。小鬼の能力は“環境適応”ですからね。少しの間、ミコト様たちと一緒に過ごされたようですから、ある程度は人里で過ごすということに適応していることでしょう」


環境適応?ということは……


「人里で暮らせば人里での生活になり、森で暮らせば原始的な生活になる?」

「はい、その通りです。実際に人里で暮らし、喋りも流暢な小鬼も少なからず存在しています。ただ、そこは本人たちの意思次第ですから。無理に人里に誘うようなことは致しません」


へぇ……お喋りも流暢に……

にゃっぴーに小声で聞く。


「にゃっぴー、私たちで薩摩弁らしき言葉遣いを習熟させてしまったんだけど、これ大丈夫かな?」


というか、最初期にサツマに伝えたのは確かに私だ。だけど、あとはにゃっぴーが、殊更に薩摩弁を喋る小鬼を気に入って、熱心に教え続けてたんだけど……


「……清水宿周辺の小鬼たちの“方言”というかたちで、収まってくれるのを祈るにゃ……」


下手をすると……エセ薩摩弁が小鬼たちの共通言語になってしまうかもしれない……





その日の夜は、春霞の里でゆっくり過ごさせてもらった。

夕食もしっかりとした和食で、美味しかった。

状況が切迫してなければ、この里の子になりたいくらいだ。


そして何より――


「……お風呂だ……」


私は湯気の立つ浴槽を前に、しばらく固まっていた。湯船に浸かるのは……現世ぶりだね!清水宿では、水瓶座四十度の掛け流しが一番お風呂っぽい感じだったからね。もちろん、ありがたくはあったのだけど。

“ムクロジ”が用意されていたので、しっかりと身体を洗う。そして……待望の湯船だ!


「何をしておられるのです。入らぬのですか?」

「いや、入る。入るけど……こう、嬉し過ぎてね……」


お湯に浸かった瞬間、身体の芯から力が抜けた。

生き返るってこういうことかもしれない。





お風呂上がりには、私たちが泊まる部屋に案内された。そこで、自作の特製化粧水をつけ、椿油もほんの薄くなじませる。そして椿油に浸した櫛で髪を梳かす。


「何だか、久しぶりに文明を堪能できたなぁ」


状況が逼迫していなかったら、正直少しの間留まりたい。ご飯も美味しいし。


「あんまり警戒せずに、ゆっくりできたのは、この世界に来て初めてにゃ」

「えぇ、本当に。今まではずっと警戒してましたからね」


……にゃっぴーとヘレネちゃんがしっかり守ってくれてたから、ここまで来れたんだよね……


「にゃっぴー、ヘレネちゃん、改めてありがとうね!私のお守りも大変だったよね……」


本当に申し訳ない……現代っ子で……


「ミコトが無事に楽しめてるなら、それが一番にゃ」

「私たちは一蓮托生です。何かあればしっかり相談するのですよ」

「……何だか、お父さんとお母さんみたいに言うね……」


……お父さんとお母さん……私には分からない感覚だけど……本当なら、この二人みたいに暖かく感じる人なんだろうな……絶対に私の両親はそんなんじゃないと思うけど。


「……でっかい子どもだにゃ……」

「子どもと言うには……ちょっと」

「そこは否定せずに、優しい笑顔で見守りなさいよ」


せっかく良い雰囲気だったのに、台無しだよ……





翌朝。

今日はいよいよ、蛟の様子を見に向かう日だ。

出発前、唄が真面目な顔で言った。


「ミコト様。蛟様には、どうかお気をつけください」

「うん。蛟って、水を司る五行妖怪なんだよね?」

「それだけではありません。蛟様は……洒落にならない“毒”を吐くのです。神話の時代では、それが原因で亡くなられた方もいたと、聞き及んでおります」


私はぎくりとした。


「毒……そんな危ない妖怪のところに行くのって大丈夫なの?防ぐ方法とか、薬とか、対策は?」


いきなり厳しくない?このまま対策無しで行ったら、私たちの旅が終わっちゃうよ……

唄がきょとんと首を傾げる。


「薬……ですか?」


いや……あるのかは分からないけど、血清的な物がないと不安なんだけど。


「気を強く持てば大丈夫ですぽん!」

「気を強く持つだけ!?それもう毒じゃなくない!?」

「???ウタは去年も行きましたよ?」

「去年も!?毒を吐く妖怪のところに子ども行かせるって大丈夫なの、ここの里!?」


舞さんが額を押さえた。


「……あぁ、そこ、誤解してるな。蛟様の“吐く毒”ってのは、要は口が悪いって意味だよ」

「口が悪い」


あぁ……そういう。“毒を吐く”って比喩的な意味なのか……


「すげぇ悪い。洒落にならないくらい悪い。心が弱ってる相手だと、本当に立ち直れないくらいには悪い」

「それはそれでだいぶ嫌だな……」

「だから妖狸族の神託巫女は、蛟様のところへ清水をいただきに行く役目もあって、ある程度の精神力が求められるんだ」

「なるほど……」


なるほど……で済ませて良いのかは分からないけど、物理毒よりはまだマシだね。

いや、今は“澱み”に侵されているんだから、結局油断は禁物なんだけど。


「とはいえ」


唄が真面目な顔に戻る。


「今は、以前の蛟様と同じとは限りません。どうかお気をつけください」


私は頷いた。凶暴化していた場合は、すぐに祭を呼ぼう。その間に“水瓶座”を当てれば、お話しくらいはできるようになるはず……これまでの経験上は。





里の者たちは、出発前に色々と持たせてくれた。

干した食材などの保存食。そして布類や蝋燭、菜種油など日用品類。


そして――


「紙……!!」


これだよ!これ!これを求めて旅立ったんだよ!


「ただの浅草紙――古い紙を再利用したもので、そんなに喜ぶんだね……」


リサイクル紙だろうと、お手洗いで使えさえすれば十分なんですよ……!

私は“それ”が必要だったんだ!

舞さんが若干引いている。


「そりゃあそうだよ!そもそも私が清水宿から旅立ったのは、お手洗いで使う“紙”がないからだったんだからね!」


妖怪さんが“澱み”で困ってるから浄化の旅に出た、みたいな崇高な理由ではなく、“紙”の残量が少なくなったから、が理由だ。


「どういう理由で旅立ってるんだい……おかげで、こちらは助かってるけど。必要な分持っていきなよ」

「ありがとうございます……!」


私は紙を大事に受け取り、にゃっぴーの収納へ入れてもらった。

これだけで心の安定感が違う。すごい。今の私は“無敵”だ!


残念だけど、祭は里に残る。

だから牛車のそばで、少しだけ名残惜しそうにこちらを見ていた。


「……絶対に、何かあれば呼んでくだされ」

「うん。約束したでしょ」

「約束は守るためにあるのですぞ」

「祭ちゃん、急に重いよ」

「……重くもなりますぞ」


たしかに。それだけ心配してくれてるってことだよね!

私は笑って頷いた。


「大丈夫。ちゃんと戻ってくるよ」


祭はしばらく何か言いたげにしていたけれど、最後には小さく頷いた。


「……ミコト様、ご武運を」

「行ってきます!」


春霞の里を後にして、私たちは再び旅立つ。

次の目的地は――水を司る五行妖怪、蛟。

牛車が動き出し、常春の里が少しずつ遠ざかっていった。

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