第十話「旅のはじまり」
清水宿を発ったのは、朝の光がやわらかく差し込む頃だった。
道なりに進む牛車の軋む音が、静かな森に混ざって響く。
見送りに出てくれた小鬼たちやキヨ、カクに手を振り返しながら、私は何度も後ろを振り向いた。
「……本当に、旅が始まったんだね」
ほんの少し前まで、ここは“ただの危ない場所”だった。
だけど今は、ちゃんと暮らしが戻ってきている。
囲炉裏があって、水があって、食べるものがあって、笑う声がある。そんな場所になった。
にゃっぴーが荷台の上で丸くなりながら、片目だけ開ける。
「今さら寂しくなったにゃ?」
「そりゃあね。だけど……ずっとここに居るわけにもいかないから」
紙の残量を思い出して、私は小さく息を吐いた。
この異世界で最大級に現実的な問題が、まさか紙だとは思わなかったけど。
ヘレネが前を見たまま言う。
「出発の判断は正しいと思います。清水宿はもう問題ありません。それに……私たちにも、次に進む理由があります」
「うん」
何故、私はこの世界に来たのか。
何をするために呼ばれたのか。
その答えは、きっとまだ先にある。
だから――進むしかないのだ。
*
清水宿から街道へ出る道は、思ったより進みやすかった。
いや、正確には“牛車で進みやすかった”というべきかな。
“牡牛座”の裏技で呼び出された乳牛さんは、朝からどこか物悲しい顔で牛車を引いてくれている。
「ごめんね……本当に助かってるよ……」
「モォ……」
鳴き声まで、なんだか哀愁がある。
ヘレネはそんな乳牛さんを見ても、今日も平然としていた。
「そもそも、その“牛”は私の能力ですから。見た目は悲しそうですが、一切の“翳り”はありません」
……そういうことじゃないんだよなぁ……
道の左右には木々が続き、時折小さな鳥の声が聞こえる。
完全に見慣れない景色のはずなのに、不思議と心が落ち着くのは、清水宿でしばらく生活していたからだろうか。
「旅って感じがするねぇ……」
「まだ始まったばかりにゃ」
「そうだけど、ほら。牛車に乗って道を進むって、異世界感あるじゃない?」
「紙の残量で急かされてる旅だけどにゃ」
「そこは仕方ない!」
夢と現実が混ざりすぎているけど……私たちらしくて良いと思うんだ!
*
お昼頃。
日が少し高くなったところで、街道脇の木陰に牛車を止めて休憩を取ることにした。
ある程度の道があるとはいえ、木組みの牛車は想像以上に揺れた。
軽く布は敷いているけれど、クッションではない。振動が直接来るので、腰とお尻が痛い……。
というわけで、ちょうど昼時でもあったし、お昼ご飯の時間だ!
お昼ご飯は、前日のうちに出してもらっておいた“牡牛座”牛乳だ。消える前にきちんと消費しないといけない。
保存が利かないのは不便だけど、旅の序盤の栄養源としてはありがたい限りだ。
一応、“水瓶座”で手を洗って、みんなで牛乳を飲み始める。ぼんやりと道の先を見ながら、ふと思い浮かぶことがあった。
「……ねぇ、今さらだけど」
「なんにゃ?」
「こういう街道って、盗賊とか出たりしないのかな?」
にゃっぴーとヘレネが、同時にこちらを見た。
「……たしかに、可能性としてはありますね」
「ミコト、そういうのを思いつくのがちょっと遅いにゃ」
「いや、だってさー清水宿周辺は妖怪ばっかりだったじゃん」
でも、小説とかお芝居とかでよくあるじゃない?
街道、山道、野宿、そして盗賊。
異世界ならなおさら、警戒して然るべきだと思うんだ。
まぁ今更だけど。
よくよく考えたら、女性が気軽に出歩いて大丈夫なのかな……だんだん不安になってきた……。
そう考えた、その時だった。
にゃっぴーの耳が、ぴくりと動いた。
「……にゃ?」
「にゃっぴー?」
にゃっぴーは立ち上がると、じっとある方向を見た。
何かを聞き取っているような、でも耳だけじゃなくて、もっと別の感覚で何かを掴んでいるような顔付きだ。
「……なんか、分かるにゃ」
「え?」
「ミコトに何か近付いてるにゃ。方角も分かるにゃ。危険度は……“極小”にゃ」
「極小?」
「今すぐどうこうって感じじゃないけど、悪意のある何かが近付いてるにゃ」
私は思わず、辺りを見回した。
「えっ、なにそれ。新能力!?」
「たぶんそうにゃ。“犬は人に付き、猫は家に付く”……って名前の能力にゃ」
「犬って入ってるけど……?」
「そこに関しては分からないにゃ……でも、猫のことわざではあるらしいにゃ」
詳細が気になるけど、今はそういう場合じゃない!
ヘレネが周囲を警戒する。
「極小、とはいえ警戒は必要ですね」
「でも、どの程度のものかは見ておきたいにゃ」
にゃっぴーはそう言って、視線を固定したまま尻尾をゆっくり揺らした。
「極小なら、今のうちに確かめておいた方が、今後のために役立つにゃ」
たしかに、それはそうかも。
危険を察知できても、その“危険度”が実際にどの程度なのか分からないと、いざという時の判断に困るからね。
私たちは固唾を飲んで、その方角を見つめた。
しばらくして、草むらの向こうから、小さな影がぴょこりと現れた。
茶色いイタチ、あるいはテンのような姿をした、小さな生き物だった。
「……あの子が?」
ヘレネが警戒したまま言う。
「これが、危険……なのですか?」
「“極小”にゃ」
にゃっぴーは、まだ耳を立てたままだった。
小さな生き物は、にゃっぴーとヘレネの警戒をまるで無視するように、トコトコとこちらへ歩いてくる。
そして、まっすぐ私のところへ来ると――
すり。
「えっ」
すりすり。
「……え?」
やたらと私の脛のあたりに身体を擦り付けてきた。
可愛い。めちゃくちゃ可愛い。
でも、何してるんだろうこの子。
「……ただ懐いてきてるだけにしか見えないけど、本当に危険なの?」
にゃっぴーが少し目を細める。
「……“脛刮ぎ”って視えるにゃ」
「すねこそぎ?」
なにそれ?“すねこすり”の亜種みたいな子かな?
「ミコトの脛を削り落とそうとしてるにゃ。あと、薄くだけど“澱み”も見えるにゃ」
「“こそぎ”って、そういう意味!?冷静に見てる場合じゃないでしょ!」
私は慌てて後ずさった。
でも見た感じ、巫女服の裾にちょいちょい引っかかってるだけで、全然削れてない。
この子、もしかしてすごく非力なのでは……?
「ヘレネちゃん、“水瓶座”!」
「えぇ――“水瓶座”よ、来なさい!」
清い水が、“すねこそぎ”へ降り注ぐ。
「きゅーっ!?」
思ったより高い声で鳴いた。
水を浴びたその子は、びしょ濡れになってその場で小さく震えた。
そこで初めて、その毛並みが真っ白だったことに気付く。濡れて毛がしんなりしたことで、かなり痩せているのも分かった。
「白い」
「アルビノ……みたいですね。瞳も赤いです」
にゃっぴーがぽつりと言う。
「たぶん、それで群れから追い出されたんじゃないかにゃ?」
私は思わず、その子を見つめた。
さっきまで“脛を削ろうとしてる”って聞いていたはずなのに、今はただ小さくて、痩せてて、びしょ濡れで、可哀想な子にしか見えない。
「にゃっぴー、手拭い出してもらって良いかな?」
「はいにゃ」
私は手拭いを持って、その子にゆっくり近づいた。
「ごめんね……寒いよね?ちょっと失礼するよー」
そう言いながら、ゆっくりと手拭いで包み、水気を取ってあげる。
ついでに、お腹も空いてそうだし……
「牛乳、飲む?」
私はそっと木皿に少しだけ牛乳を注いで、差し出した。
白い子は、最初だけ警戒したけれど、すぐにぺろぺろと舐め始めた。
そして飲み終わると、今度は削る気配など一切なく、ただ素直に私の足元にすり寄ってきた。
「きゅーきゅっ!」
「可愛い……!!」
改めて、にゃっぴーが視線を合わせる。
「“すねこすり”って視えるにゃ」
種族名が変わったってことは、本当に凶暴化していたのか……。野生っぽいのに、少し関わっただけでとても懐いてくれたし……多分、“差し迫った問題”は“群れから追い出された寂しさ”辺りだったのかも?
私は、その子を抱き上げた。
軽い……すごく軽い。
「じゃあ、お名前付けてあげるね。真っ白だし……“シロ”で」
「きゅっ!」
その瞬間、“シロ”にやわらかい光が降り注いだ。
───────
サモニャー
スロット1:にゃっぴー LV.2(※送還不可)
スロット2:ヘレネ LV.2(※送還不可)
スロット3:空き
スロット4:空き
控え(“名付け”済み):キヨ(水妖“清水”)、サツマ(小鬼)、カク(河童)、シロ(すねこすり)
───────
透明っぽい板も出てきて、“シロ”も控えに入っているね!
「……ミコト、完全に見た目だけで名前付けてるにゃ……」
「単純で可愛いではありませんか」
「馬鹿にしてない?」
でも、シロは気に入ったみたいだから良し!
*
休憩ついでに“お花摘み”も終わらせた……“野外で”は、さすがにキツい(泣)。文明が恋しい……
そして、にゃっぴーが差し出してきた大きめの葉っぱは丁重にお断りした。確かに“紙”の残りは少なくなってきてるけど、葉っぱは無理……
*
小さな現実問題にしみじみしつつ、休憩を終えた私たちは再び街道を進んだ。
シロはしばらく私の膝の上にいたけど、途中から荷台の隅で丸くなって眠り始めた。
よほど疲れていたらしい。
「旅のおともが増えたにゃ」
「可愛いね」
「危険度極小の実例としては、かなり分かりやすかったですね」
……危険度極小の実例って言い方……
ヘレネちゃんは時々、すごくドライなんだよなぁ……。
*
午後になってしばらく道を進んだ時だった。
街道脇の林から、何やら気配を感じて、牛車を止める。
すると、姿を見せたのは――五人の小鬼だった。
一番前にいたのは、女性の小鬼。
群れのリーダーなのか他の小鬼と比べ、少し身長が高い。
その後ろに、どうやら番いらしい男女が2人、そしてその子どもらしき小鬼が二人。
向こうもこちらに気付いて、警戒しているようだったけど――何故か私を見て、目を見開いた。
……驚いてる?
「巫女様……?しかも、人間!?」
「初めて、見た!」
「“あれ”は、本当、だった!」
小鬼たちが、とてもざわついてる。
確かに巫女服は着てるし、人間だけど……そこまで驚くこと?もしかして人間が珍しい?
私は牛車から降りて、できるだけ穏やかな声で話しかける。
「ねぇ、少し聞いてもいいかな?なんで私を見て驚いてるの?確かに私は人間だけど、ここでは珍しいのかな?」
女性の小鬼が、じっとこちらを見返してきた。
「……それは、神様から、神託が、あったから、です」
言葉は少したどたどしいけど、しっかり通じている。そして……サツマたちの群れより言葉が流暢だ。だけど――神託?
「ねぇ。その神託でどういうことを言われたのか、教えて欲しいな」
「……近いうちに、我が呼んだ、人間が来る。危害を、加えない、ように。との、ことでした」
……やっぱり、本当に私を呼んだ神様がいるんだ。
でも、そうとしか考えられない。
見知らぬ場所に降り立って、こうして妖怪と話までできているのだから。
「……他には、どういう神託があったの?」
「私たちは、そこまで、しか……詳しく、聞きたい、なら、あそこの山、越えた、ところ、にある、といわれる、“妖狸族”の、里を、尋ねると、いいです。そこには、神託の、巫女様、いるです」
“ようりぞく”、そして“神託巫女”……そこに向かえば
色々と分かる可能性があるんだね。
「分かったよ。教えてくれてありがとう。そういえば、キミたちはここで何をしていたの?」
「……私たち、群れ、出て、きました。血が、近すぎた、からです。他の群れ、探して、ました」
小鬼たちなりの生存戦略か……
「そうなんだね。私たち、ほんの少し前まで近くにいた小鬼たちと一緒に暮らしてたの。その子たちのところに行ってみる?」
その言葉に、五人の小鬼たちの空気が、ほんの少しだけ揺れた。
念の為、サツマに念話を飛ばして確認する。
(サツマ、来れる?他所から来た小鬼の群れがいるんだ。話してみない?)
(いける、ごわす)
「じゃあ、サツマ召喚」
ぽん、と現れたサツマに、五人組の小鬼たちが目を丸くする。
そりゃ驚くよね。私は事情を説明して、あとは当事者同士で話してもらうことにした。
その方が絶対いい。
サツマと女性の小鬼は、ぎこちない言葉ながらも、ちゃんと話し合っていた。
「小鬼たちで話し合ってもらってる間に、少し情報を整理しようか。やっぱり、私をここに送った神様がいるみたいだね」
「……まぁ、そうだろうにゃ。現実的に“ありえない”ことが起こっているのは、わかってたにゃ。それこそ、“神”が起こさない限りは、にゃ」
「えぇ。それに、その“神”から神託もあったとのこと。ただ、“神託巫女”という存在も気になります。小鬼にも神託が降りたというのに、あえて“神託巫女”が必要なのかと」
「うーん……そういえば、サツマたちは神託のこと、何も言ってなかったよね?」
「確かににゃ。ミコトのことを詳しく聞かれたこともなかったにゃ」
「……“澱み”に侵されている者には、神託が届かなかった、もしくは聞こえなかった、という可能性もあります」
「……やっぱり情報が足りないね。このまま道を進んで、山越えできれば“ようりぞく”の里があるみたいだし、そこで詳しく聞くしかないかな。あ、“ようりぞく”ってどういう種族なんだろう?」
「おそらく“妖狸”、たぬきの種族かと」
「化かされそうな種族だなぁ……」
「特にミコトは気をつけないとにゃ」
「まるで私だけ引っかかるみたいな言い方はやめてよね……」
否定できないけど。
――時間は少しかかったけれど、小鬼たちの話し合いが終わったようだ。最後には双方とも納得したらしい。
「……いっしょ、よい、ごわす」
「……そちら、行く」
よかった。
これで清水宿の小鬼たちの群れも、安泰だね!
私はサツマを一度送還し、向こうの群れにも事情を伝えて歓迎の準備をしてもらうことにした。
それから、五人組の小鬼たちには、清水宿までの道筋を丁寧に伝える。
「気をつけてね!」
女性の小鬼は、少しだけ迷ったようにしてから、小さく頭を下げた。
「……ありがとう、ございました」
そう言って、五人は私たちとは逆の方向へ去っていった。
牛車の上に戻りながら、私は小さく笑う。
「なんか、良いよね。清水宿が賑やかになっていくのって」
「清水宿が、群れの拠点になってきてるにゃ」
「えぇ。よい傾向です」
「……そういえば、清水宿の元の住民はどうなったんだろうね?放棄されてたように見えたから、私たちが利用させてもらっていたけど……」
「そこも含めて、“妖狸族”に聞いてみたら良いと思うにゃ」
「ですね。近いといえば近いところに里があるみたいですし、もしかしたら元住民もいるかもしれません」
何にせよ、このまま進むしかないってことだね。
*
日が傾き始めた頃、私たちは山の麓近くまで辿り着いた。
ここから先は、明日越えることになる山道だ。
今日はこの辺りで野宿するのが良さそうだ。
まずは牛車を止めて、夕食かな。
“牡牛座”牛乳で、簡単な夕食を済ませた頃には、空はすっかり暗くなっていた。
見上げれば、星が綺麗だった。
私は牛車の中から、ぼんやりと夜空を見上げる。
「……旅って感じだねぇ」
「昼も言ってたにゃ、それ」
「でも本当にそうなんだもん」
野宿なんて、本来なら絶対したくない。
虫もいるし、身体は痛いし、紙のことも気になるし。
でも、それでも今は少しだけ、この状況を“旅”として受け入れられている気がした。
その時だった。
「……ヘレネちゃん?」
隣で同じように空を見上げていたヘレネが、少しだけ眉を寄せていた。
「少し、気になることがあります」
「なに?」
「私たちは清水宿から、それなりに移動したはずです。ですが、星の位置関係が、思ったほど変わっていません」
「……それって、おかしいの?」
「えぇ。本来なら、ここまで移動すれば、もう少し見え方が変わるはずです。まるで――この世界の空そのものが、固定された天蓋のようです」
私は黙って夜空を見上げた。
星は綺麗だった。
でも、その綺麗さが、どこか作り物めいていると言われれば、そんな気もする。
もしかすると……この世界の空って、私が知ってるものとは違う仕組みになってるのかもね……
にゃっぴーが、私の横で丸くなりながら言う。
「ミコト、あんまり考えすぎると眠れなくなるにゃ」
「うん……そうだね」
今はまだ、分からないことだらけだ。
でも、このまま進めば、“妖狸族”の里もある。
そこで色々と聞けたら良いな……
私はシロをそっと抱き寄せた。
白い小さな身体は、驚くほど温かかった。
「……あったかい」
「きゅー……」
シロは眠そうに鳴いて、私の腕の中で丸くなった。
明日は、山を越える。
その先には、きっと次の景色が待っている。
そう思いながら、私は静かに目を閉じた――




