第九話「旅支度」
異世界生活、十日目の朝。
私は、起きてすぐにお手洗いに向かい、そこで残りの紙を確認した。
……うん。まだ、ある。あるけど……確実に減ってきている。
節約して使ってきたから、最初に思っていたよりは保ちそうだ。
それでも、残りはあと十日分ほど。
のんびり構えていられる数字じゃない。
「……よし」
私は紙を丁寧にしまって、顔を上げた。
「そろそろ、本気で旅立つ準備をしよう」
にゃっぴーが欠伸をしながら言う。
「ここも拠点として、使えるようにはなったけどにゃ。やっぱり出て行くにゃ?」
「そうだね。森には獣、そして小川にはお魚も戻って来てる。小鬼たちも、もう問題ないと思う。それに、キヨちゃんもカクもいる。だから――そろそろ旅立ちの時だね」
ヘレネも頷いた。
「えぇ。昨日“カク”を浄化できたことで、新しい能力も増えました。キリも良いでしょう。ある程度新能力の確認や旅立つために必要な物を揃えたら、旅立ちましょう」
もちろん、名残惜しくもある。異世界に来てから、私たちで整えてきた拠点だ。
だけど……いつまでも、ここには居られない。
紙の残量が主な理由だけど……そもそも何故、私はこの異世界にやってきたのか。その理由も知りたいからね。
*
まず、最初に確認するのは、ヘレネちゃんの新能力だ。昨日解放された“双子座”と“蠍座”。一体どういう能力なんだろう。ワクワクするね!
「では、“双子座”の検証から始めましょう」
ヘレネがそう言って掌を掲げると、その背中に、重なるようにもう一人のヘレネちゃんの幻影が現れた。
分身の術だ!ちょっとカッコ良い!
……いや、でもこれ、画像で見る“乱視”の見え方みたいだ。
「わぁ……目が疲れそうだね……」
「ミコトは、気にする部分が独特ですね」
「独特」
褒め……られてないね、これは!
改めて、ヘレネが“双子座”について説明してくれる。
双子座を使うと、今ある星座能力の性能が上がり、さらに二種類までなら組み合わせることもできるらしい。
ただ、実際に一度組み合わせるまでは、ヘレネちゃんでも効果が分からないとのこと。
すごい便利な能力だな!危険がない今のうちに、色々試してみなきゃね!
*
まずは、ということで、既に実績のある組み合わせで試してみることになった。
「融合せよ、“水瓶座”、“牡牛座”よ」
そして、現れたのは、水瓶を抱えた乳牛の幻影だった。
「うん……どういう効果なの?」
「……水瓶から、浄化効果のある牛乳が出せるみたいですね」
「それ別に水のままでも良くない!?」
*
次に、“水瓶座”と“蟹座”の組み合わせをお願いした。この組み合わせなら、有用な能力になってそう!
「融合せよ、“水瓶座”、“蟹座”よ」
……いつもの体高1メートルくらいの大きさではなく、少し大きい沢蟹程度の親方が、小さな水瓶を装備して現れた。
……効果の予測がつかない。
「ヘレネちゃん、この小さな親方はどういう能力になってるの?」
「持っている水瓶から、ウォーターカッターを噴出させ、より細かい切断ができるようです。例えば、宝石のカットや刃物の錆び落としなどですね。もちろん、動物には使用不可です」
とりあえず、小鬼用に保管してあった黒曜石の欠片を渡してみた。
親方は、それを軽く見回した後、ものの数分でブリリアントカットにして、私に差し出してきた。
「あ、ありがとうございます。“蟹座”親方……」
いや、これすっごいな……
めちゃくちゃ脆い黒曜石すら、こんな細工できるんだ……小さくなっても、親方は親方だね。
職人みが強い。
*
さらに、別の組み合わせも試してもらう。
「“射手座”と“牡牛座”の組み合わせも気になるね。良ければお願いしてもいい?」
こう、爆速で牛乳を届けてくれる牛乳配達おじさんが出てきそうだよね。傾向からみると。
ヘレネは眉をしかめながら言う。
「なにか、嫌な予感がしますが……融合せよ、“射手座”、“牡牛座”よ」
虚空から幻影が現れる。
それは――下半身の部分だけ、乳牛になったケンタウロスおじさんだった。
いや、こうなってくるとケンタウロスではないし、おじさんでもない、ような……
とにかく、名状しがたい何かだった。
しかも、初手から涙目である。
「おぉ……あの……うん……」
私は何とコメントして良いのか分からず、反射で目を逸らした。
「ミコト。目を逸らしてはダメですよ」
ヘレネの声は、やけに静かだった。
「いや、だって」
「これはあなたの“罪”なのです」
「「!?」」
私とおじさんが同時に振り向いた。
「しっかりと目を開いて見なさい!この世の不条理を煮詰めたような存在を……!」
おじさんの涙が決壊した。
「ヘレネちゃん!?何て言い方してるの!止めたげてよぉ!」
にゃっぴーがぽつりと言う。
「そもそも、どういう効果の幻影にゃ……」
郵便配達の能力はそのままで、届ける“荷物”に栄養価が上乗せされるらしい。
意味が分からない……
まぁ、何かの拍子に、食料を送る可能性もあると言えばあるからね。その時が来たら頑張ってもらおうかな……その時が来たらね!
*
「では、次に“蠍座”ですね」
乳牛おじさんは、なかったことにされた。
「“蠍座”の能力は、一言で言えば“鍼治療”の能力です」
ふむふむ。効果は慢性痛の緩和、自律神経の調整、血行や代謝の改善、免疫力・自然治癒力の向上、さらにはアンチエイジングにも効果がある、と。
効果を表すためには、最低でも十分間は治療が必要で、完全な効果を求めるのなら、一時間は必要らしい。
そして、やはりその尾針を使って治療してくれるとのことだ。
……蠍にガンガンに刺されている絵面になるのだけど……
さすがに、ここでは脱げないから、夜に試してもらおう。鍼治療は初めてだから楽しみだね!
「そして、意図的に針刺しミスをおこなわせることもできます」
「何の意味があるのそれ!?」
ただ痛いだけでしょ!?
「例えばですが……“敵”に対しても使える、軽い攻撃手段にもなり得るということです。地味に痛いと思いますよ?針を刺されるのは」
それはそうだけどね!
ちなみに“目潰し”には使えず、通常の鍼治療の範囲での使用に限られるとのこと。
“目潰し”に使うという発想が出てこなかったよ……
*
次に確認したのは、“召喚”でどこまで荷物を持ち運べるのか、だった。
(サツマ、来れる?)
少し間があってから、返事が返る。
(いける、ごわす)
「じゃあ、サツマ召喚」
ぽん、と現れたサツマは、両腕いっぱいに木の実や薬草を抱えていた。
「おお……ちゃんと持ってこられるんだ」
「でも、おいが、もてるぶん、だけ、ごわす」
なるほど。
つまり“物”を転送する能力ではなく、サツマ自身が持てるものを、そのまま持ってくるだけなんだ。
今度はカクにお願いして、小川で獲った魚でも試してみた。
「生きてるものは、本人以外は持ってこられない……って感じかな」
ヘレネが頷く。
「その解釈でよいでしょう。召喚は、あくまで本人をこちらへ呼ぶものですから」
つまり、召喚できるのは本人と、身につけている物、そして本人が持てる範囲の荷物だけ。
本人以外の生き物は連れてこられないらしい。
さらに、召喚は一日に一体、一回まで。
送還したら、その日はもう呼べない。
念話であらかじめ、持ってきて欲しいものを伝えれば、欲しいものも手に入る。
“名付け”できた妖怪さんが増えれば増えるほど、有利になる能力なんだね。
*
検証を続けていくのと同時に、旅立つための荷物もまとめていたんだけど、どうしても問題になったのが――量だった。
旅に必要そうなものを並べてみると、思った以上に多い。
「……これ、麻袋に詰めて持っていける?特に、化粧水みたいに徳利に入れてあるやつとか」
「徳利は、どう考えても無理ですね。諦めましょう」
「諦め……」
せっかく、潤いが戻ってきたのに……
私が絶望していると、何故かにゃっぴーが、荷物の山に前足を置いた。
その瞬間。一部の荷物が、ふっと消えた。
「え?」
私は目を瞬いた。荷物が一瞬で消えた。
にゃっぴー自身も、きょとんとしている。
「……入ったにゃ」
「何処に!?」
にゃっぴーが、何もない空間を前足でぺしぺしする。すると、さっき消えた荷物が、ぽん、と戻ってきた。
「えぇ!?」
視界の端に、例の“透明っぽい板”が浮かぶ。
───────
“あってもなくても猫のしっぽ”
追加ストレージのご契約は「こちら」
現在のご利用可能容量:2m³
※生物の収納はできません
※液体は容器に入っている場合のみ収納可
※時間経過あり
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「課金誘導があるんだけど!?」
「“あってもなくても猫のしっぽ”にゃ。簡単に言うとアイテムボックスにゃ」
「アイテムボックス!」
マジで!?これ……コスメ持って行き放題じゃん!ヒャッハー!
「僕が触れた物だけ、出し入れができるみたいにゃ」
「それでも、すっごい助かるよ!」
「かなり助かるにゃ」
ちなみに、“追加ストレージのご契約はこちら”をタップしても、何も表示されなかった。神様のイタズラかな?
そこからは、荷造りの時間だった。
ただし、何でも持っていけばいいわけじゃない。
小鬼たちの生活に差し障るほど持っていくのは違う。だから私は、必要最低限を何度も選び直した。
「……これと、あれも……いや、これはやっぱり要らないかな……?」
にゃっぴーが呆れたように言う。
「ミコト、化粧水と椿油を見つめすぎにゃ」
「だって絶対必要なものでしょ?」
というか、それを持っていったところで、小鬼たちの生活には差し障ることはないと思うんだ。
仮に椿油が必要であれば、森で採取できるからね。
最終的に、持っていくことにしたのは、乾燥生薬類、甘草抽出物、特製化粧水、椿油、櫛、布や小物、手桶、干した食材類、岩塩、小刀、紙、その他の必需品各種。
このくらいかな?良かった。コスメ持って行けて……にゃっぴーさまさまだよ!
*
その間にも、清水宿のまわりは少しずつ整っていった。
キヨは小川を見てくれる。
カクは水辺の様子を気にしてくれる。
小鬼たちは森へ入り、採集と見回りを続けてくれる。
気付けば、キヨとカクが小鬼たちに混ざって話している姿も、珍しくなくなっていた。
「……うん」
私は、その様子を見ながら小さく息を吐いた。
もう、大丈夫だ。森はほとんど元の姿を取り戻しつつあるし、小川には魚がいる。
キヨも、カクもいる。
小鬼たちも、もう“守られるだけ”じゃない。
清水宿は、ちゃんと回る。
……それに、いざとなれば念話も使える。何か困ったことがあれば、気軽に伝えてくるように言い含めておこう。
*
旅の足は、木組みの牛車になった。
“蟹座”親方が、黙々と木材を削り、組み、整えていく。それは、見た目以上に頑丈そうだった。
そして前簾は、宿に残っていた適当な布で代用した。
問題は、これを誰が引くかだ。……というか、アイテムボックスがあるなら、牛車って本当に必要だったのかな?なんで作ってもらったんだろう。
「そこで、“牡牛座”の裏技です」
ヘレネがそう言った瞬間、私は何とも言いづらい表情になってしまった。
「裏技……基本的に幻影が望んでいないことを、させるやつだよね?」
「まぁ、そうですね。望んでいないもなにも、ただの私の能力ですけどね」
幻影に感情があるっぽいことを、意地でも認めないんだね……
さっき、乳牛おじさんが泣いてたことをもう忘れたのかな?
ヘレネが“牡牛座”を呼ぶと、乳牛の幻影が、いつものように現れた。
「ここで、最初の鳴き声を止めます」
「モ――」
ヘレネが、すっと手を振る。
「――」
鳴けなかった乳牛さんが、項垂れて荷車の前に立った。
「うわあ……」
これ……やっぱり……
「この状態なら、牛車として使えます」
乳牛さんの表情を見てみると、若干物悲しい表情だった。
これ、絶対感情あるよね!
使える裏技なんだけど、絵面が悪い!
そして、条件もちゃんとあるようだ。
その日、使用できるのは、牛乳創造もしくは牛車モードのどちらか一方のみ。
もし牛車モードを選んだ場合、その日は牛乳の創造ができない。逆もまた然り、と。
牛車モードで進める距離は、一日三十kmまで。
やっぱり距離が嵩むほど牛さんは痩せる。
……その使えば使うほど、見た目に反映してくる仕様は止めてくれないかな……
「……うん。便利だけど、使いどころは選ぼう」
「そうですね。能力に一切の“翳り”はありませんが、外面が悪く見えますからね」
……そういうことじゃないんだよなぁ……
*
この三日で、新能力の検証、荷造り、小鬼たちの生活の確認など、色々と済ませることができた。
そして――異世界生活十二日目。旅立ちの前夜。
翌日は移動に“牡牛座”を使う予定だから、その日は牛乳を出してもらえない。
だから私は、前日のうちに必要な分だけ、限界まで牛乳を出してもらうことにした。
「ごめんね……本当に助かってるよ……」
本当に申し訳ない……
五回目の牛乳を出し終えた乳牛さんの幻影は、息が荒く、少し目が虚ろだった。
「ぜぇ……ぜぇ……モ……ォ……」
なんか、目を合わせづらい。
「牛さん、ありがとうございました!」
私は深々と頭を下げた。
目を合わせないようにしているわけではない!断じてない!
*
異世界生活、十三日目の朝。
牛車の確認をして、荷物を見直して、私は最後にもう一度だけ清水宿を見渡した。
サツマが前に出る。
トヨシロも、ダンシャクも、ベニも、こまちも、はるかも、とうやもいる。
キヨも、カクもいる。
「ミコト、いってらっしゃい、ごわす」
(ミコト、きをつけて)
「ミコト姐さん、いってらっしゃいっす!」
「うん。行ってくるね!」
まだ不安が、全部消えたわけじゃない。
でも、何ができて、何ができないかは、もうちゃんと分かった。
森はほとんど元に戻った。キヨも、カクもいる。
小鬼たちも、もう“守られるだけ”じゃない。
だから、私たちがいなくても、大丈夫。
……残る問題は、ただひとつ――紙の残量だけだ。
私は牛車に乗って、前を向いた。
「よし。行こうか」
清水宿を背にして、私たちはようやく旅立った。




