白い結婚のはずですが、夫はずっとわたくしの幸せだけを願っていてくれたようです〜白い結婚だと知った王女の幸せ〜
つい先ほど婚姻の誓約書を交わしたばかりの七つ年上の夫、ヴェルフ・アイゲルがわたくしの前に跪き、無感情に口を開いた。
「ヨゼフィーネ殿下、貴女はここで何もしなくていい。ただ居てくださるだけで構いません」
一国の王女の婚姻とは思えないほど、ただ誓約を交わすだけの参列者もいない質素な式が行われたのち通されたのは、初夜のために整えられた夫婦の寝室。
愛してもらえるなどとは思っていない。それでも、これから共に過ごす相手として歩み寄ることができたらと、わずかでも幸せな生活を夢見ていた愚かな自分に気づけば、心の中で苦笑するしかない。
ヴェルフがすっと立ち上がる。
「恐れながら、私はまた戦の前線に戻らねばならないため、今夜にでもここを発ちます。屋敷のことは執事や使用人たちにすべて任せています。では──」
夫となった男はわたくしを振り返ることなく、そのまま寝室を出ていった。
──ヴェルフ・アイゲル。
伯爵家の庶子にして、今や周辺諸国からも恐れられる最強の騎士。激しい戦火をもろともせず、この王国の窮地を幾度となく救った英雄。その功績は数知れず、この国にとってはなくてはならない存在。
二十年前、好戦的な帝国が我が王国に攻め入り、領土を奪い合う大きな戦が起こった。一時は和平条約が結ばれたものの、それぞれの君主の代替わりとともに条約はいとも簡単に覆され、以来ずっと国境のあちこちで小競り合いが続いている。
そんな現状もあり、騎士ヴェルフをこれからもこの国の従順な獅子として縛り付けるために与えられたのが、〝アイゲル〟という名の新たな侯爵位と新居となる大きな屋敷、そして陛下であるお父さまと王太子のお兄さまが寵愛する王女──、わたくしの降嫁だった。
婚姻を交わした日、ずいぶん待たされた頃にようやく夫婦の寝室に現れたヴェルフは、わたくしを一瞥することなくすぐさま跪き、『何もしなくていい』『居るだけでいい』と何の感情も読み取れない顔で言ったのだ。
夫婦ではなく、主従関係のようなへりくだった態度と言葉。当然だろう。彼にとっては断ることなど許されない王命による政略結婚、望まぬ妻にほかならないのだから。
わたくしが、陛下とお兄さまが寵愛する王女などというのは、見せかけだ。彼らはわたくしのことを自由に動かせる駒のひとつとしか見ていない。
『──お前の婚姻が決まった。騎士ヴェルフに嫁げ』
何の前触れもなく突如、陛下はわたくしにそう命じた。
なぜと問いたいことは山ほどあったが、少しでも疑問や反論を口にでもしようものなら謹慎か体罰が待っている。
この国の王女として生まれた自分に選択肢などありはしない。
豪華な金の冠を被った、従順で自我のない空っぽの人形。
国のために嫁げと言われれば、敵国にでもこの身を差し出さねばならない。
むしろ敵国の人質にならずに済んだことを喜ぶべきだろう。
だから期待など何もしない──。
◇ ◇ ◇
それからわたくしがヴェルフと次に会えたのは、一年後のことだった。
彼が戦地から一時戻ってきている。
その連絡を、王城から送られた使者を通じて知ったのは、今朝のこと。
これまで彼からは手紙のひとつもなかった。
ヴェルフは戦の前線にいる。軍の指揮を執る彼が手紙ひとつ送れないのは仕方ないことだ。何がきっかけで情報が漏れるかわからない。だからそれに対して口を出すつもりはない。
彼は国のために戦ってくれている。無事なのかどうか心配していたわたくしは、彼の帰還を知りほっとした。
陛下への報告を先に済ませた彼が屋敷に到着したのは、日もすっかり暮れた頃だった。
一緒に夕食をとることになったが、ダイニングルームに響くのはお互いがナイフとフォークを動かす小さな金属音だけ。
「何か、ご不便なことなどはありませんか?」
ふとヴェルフが手を止めて言った。
「殿下がお望みのことがあれば、執事に言いつけてください」
わたくしは一年ぶりに見る彼の顔をじっと見つめる。最初の対面はわずかだったので、こんな精悍な顔をしていたのかと改めて感じる。騎士だからという以上に、その視線は射るような力強さがある。
ただ、彼がどういう意図でそう言ってくれているのかは読み取れなかった。元王女の背後にいる陛下への最大限の配慮か、もしくは妻となった女への彼なりの誠意か。
それに、わたくしはもう王女ではない。だが彼は呼び方を変えるつもりはないのだとはっきりと悟り、より一層自分たちの間に高い壁があるのを突きつけられる。
「……ええ、ありがとうございます」
わたくしは複雑な思いを言葉にすることなく、王女らしい淑やかな笑みを浮かべてそう返した。
食事が終わるなり、お互い引き止める言葉もなく、ダイニングルームを出る。
ヴェルフはわたくしをエスコートして、今わたくしが与えられている侯爵夫人の私室まで送ってくれたが、夫婦の寝室を挟んだ向こう側にある彼自身の部屋には入らず、まだ仕事があるからと執務室へ行ってしまった。
そして翌日も、その翌日も、彼は陛下とこれからの戦略について話し合う必要があるからと、王城へ朝早く出かけていき夜遅く帰ってくるため、顔を合わせる機会はほとんどなかった。
◇ ◇ ◇
「……そうよね、余計なことをしたわ」
ヴェルフの執務室。執務机の脇に置いてある屑入れを見下ろしながら、わたくしはぽつりと言葉を漏らす。
屑入れには、見覚えのあるハンカチが投げ込まれている。
命をかけて戦ってくれている彼に対して、安全な王都の屋敷にいる自分がたまらなく申し訳なく感じていた。
再び戦地へ赴くヴェルフのために何かできることはないか。そう考えたわたくしは彼の無事を願い、彼のイニシャルと剣と盾をモチーフにした刺繍を施したハンカチを渡すことにした。
直接渡す勇気が持てず、ずいぶんと迷ったあとで、彼の執務室の机の上にそっと置いておいたのだが、それは今や無情にも屑入れの中に投げ込まれている。
(ついさっき戻ってきたときに気づいて、捨てたのね……)
ヴェルフは少し前に王城から屋敷に戻ってきていたが、またすぐに出かけて行ったようだった。
階段を上がった様子がなかったので執務室には寄っていないと思っていたが、そうではなかったのだろう。
わたくしが再び執務室に入ったのは、やはりハンカチを渡すのはやめておこうと思い、彼に気づかれないうちに回収しに来たからだった。
涙は出ない。でしゃばってはいけない。わかっていたことだ。
ふと執務机の上を見れば、無造作に置いてある分厚い辞書があった。ページの間からは、手紙の封筒の角がわずかに覗いている。
気になりそっと引っ張ってみる。
『マーゴット』
封筒の隅、差出人には女性の名が書かれてあった。同じものがもう一通あった。
手紙を辞書に押し込むと、わたくしは執務室を出た。
その後、前線からの急ぎの連絡を受けたヴェルフが再び戦地に行ってしまったとわたくしが知ったのは、翌朝もうすでに彼がいなくなったあとだった。
◇ ◇ ◇
戦が終わる気配はないまま、わたくしたちが結婚してから三年が過ぎた。
陛下とお兄さまは、ヴェルフをあちこちの前線に行かせてばかりだった。
三年の間に彼が王都に戻ってきたのは婚姻一年後の最初を含め、たった四度だけ。
その間、彼が主であるはずの侯爵邸に滞在していた日数は、合わせても一か月にも満たないのではないだろうか。
わたくしが安全な場所にいる間も、ヴェルフは危険と隣り合わせの戦場で国のために戦ってくれている。
それと引き換えに、彼が手に入れられたものは何なのだろう。
爵位、屋敷、王女──。
彼は昔から戦で功績を上げることを望んでいたらしいが、実家の伯爵家よりも高位である侯爵位を得たというのに、権力をひけらかすことも、散財することもない。わたくしが彼と顔を合わせたのは数えるほどしかないが、それでも富や権力に執着しているそぶりはほとんど感じられなかった。
ヴェルフがこの国のために尽くしてくれたことに比べ、彼が手にしたものは多くはなく、爵位や屋敷はまだしも、わたくしとの結婚なんて対価にもなりはしない。それどころか、わたくしという余計な荷物を押し付けられ、騎士としては都合良く使われることになり、貧乏くじもいいところではないか。
この三年の間、わたくしもただ屋敷にこもっているだけではなかった。
牢獄のような王宮を出て陛下とお兄さまから離れられたこともあり、監視の目はまだあるものの、わたくしなりにいくつかの情報を密かに集めることができていた。
その中には、以前から敵国の帝国の皇女がヴェルフを気に入り、王国を捨てて帝国に来れば高い地位を約束すると誘いをかけているというものもあった。
本当かどうかはわからない。
でもおそらくその危険を耳にしたからこそ、三年前、陛下は焦りを感じて彼に爵位を与え、縛り付ける目的でわたくしを降嫁させたのではないだろうか。
そして情報はほかにもあった。
ヴェルフは実父の伯爵に引き取られる前、平民として暮らしていたのだが、故郷の村にいる幼馴染の女性を想い続け、いまだにつながっていてやり取りしているようだ、というものだ。
それを知ったとき、わたくしの中で『マーゴット』という名が浮かんだ。
以前彼の執務室で偶然目にした手紙、その差出人として書かれてあった女性の名だ。
もし彼に想う相手がいるのならば、わたくしは王命による政略結婚を強いられた邪魔者でしかない。
そんな状態ではヴェルフがわたくしと距離を置くのは当然とも言えた。
彼はエスコートするとき以外、決してわたくしに触れない。
やはり本当の意味で妻にするつもりはないのだろう。
もしかしたら婚姻が決められたときから、白い結婚を決意していたのかもしれない。そしていずれ戦が終れば、わたくしと離縁できる可能性を探すつもりでいるとしてもおかしくはない。
(そういえば、彼の故郷は……)
ふと思い出すことがあった。
過去に重要な拠点が奪われ、我が軍は大きく苦戦して後退し、ヴェルフの故郷の近くにまで戦火が迫ったことがあった。
しかしそのとき、ヴェルフが軍を率いて奇襲をかけ、敵を撤退、形勢を逆転させたのだ。
彼の故郷は戦火に呑まれることなく、村人も全員無事だったと聞いている。
そしてその裏で、わたくしも助けられたひとりだと言える。
じつは水面下では、帝国の好色家の皇帝から王女であるわたくしを花嫁、つまり人質として差し出せと、圧力をかけられていた。
だが、形勢が変わったことでその話は消えた。
あのときの無謀とも言える彼の行動は、大切な故郷を守る以上に、故郷にいる想い人のために身を挺して戦ったのだとしたら。
わたくしが得た情報が本当かどうか、彼の口から聞かなければ本当のところはわからない。
彼が故郷の幼馴染の女性を選ぶのか、それともこんな王国に見切りをつけてより高い地位を望める帝国へ行くのか、それとももっと別の望みがあるのか──。
わたくしたちの婚姻は王命によるもののため、彼から離縁を願い出るのは難しいだろう。
(でもわたくしからなら──?)
◇ ◇ ◇
──あれは、わたくしとヴェルフが婚姻する四年ほど前のことになるだろうか。
そのときわたくしは、陛下から戦地を激励せよとの命を受け、国境にほど近いレゲンスの城砦に赴くことになった。
レゲンスはここ数年、帝国が集中して攻撃を仕掛けてくる地でよく持ち堪えていたが、英将と名高い指揮官が敵の矢に倒れ、代わりに就いた軍務副大臣の子息が指揮するようになってからは戦局が悪いほうに傾き始めていた。騎士や兵士らの士気も目に見えて下がっている。
新しい指揮官を直々に任命したのは陛下だ。失敗があってはならない。
そのために必要な物資を届け、陛下のお言葉を伝え、士気を高める。それがわたくしの役目だった。
しかし城砦に着く前に、先を進んでいた先遣隊から城砦に敵襲ありという知らせを受けた。
どうやら北方を接している帝国ではなく、東方の公国が隙ありと見て奇襲をかけてきたらしい。
わたくしに同行していた高官らは今すぐ引き返すべきだと言い、わたくしが決断できずにいると、我先にと逃げていった。
本当ならわたくしもすぐにここから離れるべきだった。
身を守ることすらできない小娘がいれば、足手纏いにしかならない。しかも王女という身分で、敵に捕まれば取り引きの材料にされるだけだ。それでも逃げることはできなかった。味方が攻め込まれているというのに、ここで見捨てるなどあってはならないと感じた。
決断してからは時間との勝負だった。
一番近くの領地へ駆け込み、領主に援軍を要請した。弱腰の領主に断られるが、王女の自分がこの地で死んだときに責任が取れるのかと詰め寄った。
そして、『戦時下では王族の一存で領主を任命できる』という古い法律を持ち出し、現領主の権限を奪い、代わりに話の通じる彼の弟に権限を与えた。さらにほかの領地にも急使を出し、嘘は承知で陛下から全権を担っている王女であることを強調して至急援軍を頼んだ。
急ごしらえだったものの、攻め込んでいる公国側はこうも早く援軍が来るとは思っていなかったようで、最初の交戦から粘ることなく引き下がっていった。
死者や怪我人は避けられなかったが、城砦が落とされる最悪の事態は免れ、被害は最小限に抑えられた。
「そういえば、あのときの騎士は元気になったのかしら……」
一番近くの領地に駆け込む道中、わたくしは顔も体も血まみれの重症の騎士を拾った。身につけている防具の模様から味方だとわかった。
しかし今は急いで援軍を求めに行かなければならない、一刻を争う。誰もが、行き倒れている怪我人を構える余裕はない、今は仕方ないと苦渋の思いで首を横に振ったが、わたくしは見捨てることはできなかった。
馬の速度は落とせない。二人乗りするならば、体重が軽い女性のわたくしの馬に乗せることが最善だろうと判断し、周りを説得した。
乗馬は昔から得意だった。王太子のお兄さまよりも。だが、陛下は良い顔をなさらなかった。女は社交の嗜み程度の腕があれば良い、上手くなる必要はないと言われてからは控えるようになった。
血まみれの騎士は、権限を与えた領主の弟に世話を任せた。そしてそのまま城砦を救うべくすぐにその地をあとにしたので、その後彼がどうなったかは知らない。
気になったものの、レゲンスの城砦を離れ王都に戻ると、陛下からは勝手なことをしたと頬を叩かれて三か月の謹慎処分を言いつけられ、誰とも連絡を取ることが叶わなかったからだ。
それでも、何もできない空っぽの人形だと思っていたわたくしでも、誰かの役に立てた。
その出来事は、わたくしの人生に初めて大きな意味を与えてくれた。
◇ ◇ ◇
わたくしとヴェルフが結婚してから、五年の歳月が経っていた。
その頃になると、長年続いた戦にようやく明るい兆しが見え始めていた。
好戦的なことで知られていた敵国の帝国、先頃その皇帝が亡くなり、皇子が即位。新たな皇帝は和平路線を望んでいるようなのだ。
もし和平条約を再び結ぶことができれば、戦も終わりを迎えられるだろう。
平和になれば、ヴェルフは王国に縛られる必要はなくなる。
半年前に会ったときには、彼は珍しく何か言いたげな様子でもあった。
もしかしたら敵の皇帝が病に伏しているという情報を掴んでいて、戦が終わったあとのわたくしたちの関係について気になっていたのかもしれない。
(……貴方は幸せにならないといけないわ、ヴェルフ)
わたくしは心の中でつぶやく。
面と向かって名前を呼んだことは、ほとんどないけれど。
この五年間、わたくしたちは本当の意味で夫婦ではなかった。
彼がわたくしを押し付けられた邪魔な荷物だと思っていたとしても、それでもわたくしは、我が国のために身を賭して戦ってくれる彼を尊敬していた。
ここまで自らを犠牲にしてくれたヴェルフが、幸せになれないなんておかしい。
『行動しなければ何も変わりませんから』
あるとき、ヴェルフが言った。
いつだったか、王都に戻ってきて夕食を共にしている中、剣術の習得か何かについて触れたときに返ってきた一言だった。
勇敢な騎士である彼が言うと、言葉の重みが違った。
思い起こすその言葉が、わたくしの心を揺さぶる。
「……本当にそのとおりだわ」
離縁状はすでに用意してある。わたくしがいなくなることを残した手紙も──。
陛下やお兄さまに都合良く使われる人生はもうまっぴらだ。
自分のせいで、誰かを無意味に縛り付けることも──。
戦が終わったときの混乱に紛れて国外にでも出てしまえば、何とかなるかもしれない。
元王女のヨゼフィーネはすべてを捨てて姿を消し、平民の女として生きていく。
できるかどうかわからない。でも──。
◇ ◇ ◇
『──ヴェルフ・アイゲル、戦死』
まさかの知らせだった。青天の霹靂とはこのことだろう。
もう間もなく和平が結ばれれば、戦は終わるはずだった。
しかしそれを覆したのは、ほかならぬ我が国の陛下と王太子であるお兄さま、重鎮の諸侯らだった。
表面上は帝国と和平条約を推し進めるそぶりを見せておきながら、裏では相手側に攻め入り、領土を奪う計画を指示していたのだ。
そしてその無謀な企みの犠牲になったのは、前線にいるヴェルフたちだった。
遺品として帰ってきたのは、彼が着ていた甲冑の破片のみ。
大勢の人間が死んだ。騎士や兵士たちだけでなく、戦火に巻き込まれた民たちも犠牲になった。
それでも、陛下たちは諦めようとはしなかった。
自分の命が脅かされることのない高みから見下ろしながら、自らの欲望のためだけに大勢の命を犠牲にする。
領土拡大が繁栄につながるという大義を掲げているが、そこにあるのはもはや私利私欲でしかない。幻想に取り憑かれた者たちの妄執だ。
わたくしはヴェルフの遺品を握り締める。
「──行動しなければ何も変わらない、そうでしょう?」
わたくしには騎士のように重い剣を振るう力もない。軍師のように優れた戦略を練る才もない。
あるのはこの身ひとつだけ。
でも王女だったこの身が旗印になるなら、喜んで捧げよう。
◇ ◇ ◇
──国王も王太子も、老いた諸侯らも、すべてまとめて捨てる準備はできている。
決意から半年後、わたくしは突如として反旗を翻した。
水面下で動き、すでに巻き込んでいた大勢の協力者たちが一斉に立ち上がった。
従順で自我がなく何もできない、人形のような空っぽの王女──。
そんなわたくしのまさかの行動に、国王たちはろくな対抗もできず、引きずり下ろされ、あっけなく捕らえられた。
そして、有史以来初めての女王として玉座についたわたくしは、すぐさま敵の帝国の新たな皇帝に面会を取り付けた。
こちらの前国王らの和平を欺く行いを謝罪すると同時に、長きにわたる戦の発端は帝国が我が国に攻め入ったことである事実認識を求め、そのうえで帝国と共に和平への道を歩む強い決意を伝えた。
正式な和平条約の締結にはまだ時間がかかるが、戦は終わり、今度こそ本当に明るい未来が見えている。
戦火に呑まれた地は急速に復興が進み、目に見えて活気が出てきている。
これからは領土を奪い合うのではなく、お互いを尊重し、共に繁栄する道を歩んでいけるだろう。
◇ ◇ ◇
その日、わたくしはとある場所を訪れていた。
長く続いた戦によって命を失った者たちが眠る、共同墓地だ。
遺体が還ってきた者も還らなかった者も、等しくここに眠っている。
その一角にある白い墓碑の前で、わたくしは膝を折り、花束を手向ける。
墓碑に刻まれているのは──。
『ヴェルフ・アイゲル ──王国の剣と盾、安らかに眠れ』
彼がどんな花を好むのか、今となってはもう知るよしもない。だからアイゲル侯爵邸の庭に植えられていた花を思い出しながら選んだ。
執事によるとわたくしとヴェルフが住み始める前、屋敷を整える際に彼が庭の花も指示したということだから、嫌いな花ではないだろう。わたくしも好きな花なので、意外な共通点があったのだと今さらながら気づく。
ヴェルフは生前、遺言状を残していた。
死と隣り合わせの騎士だ。最悪のことは常に頭にあったのだろう。
遺言状に前国王の御璽が押されているところを見ると、何らかの取り引きのもと、合意されたことがうかがえる。
『共同墓地への埋葬を望む』
『資産や屋敷、侯爵家にまつわるすべての財産の受取人は、妻のヨゼフィーネとする』
『侯爵位はヨゼフィーネが産む子どもが受け継ぐものとする』
遺言状を見たとき、涙が溢れた。
彼から妻などと言われたことは一度もない。それでも残されたものを前に、彼の想いを感じた気がした。
白い結婚だったことは、夫だった彼が一番知っていたはず。それでもわたくしが産む子が爵位を継ぐなど、いったいどんな気持ちでそれを記したのだろう。
「──マーゴットとは、貴方の想い人などではなかったのですね」
国王らに反旗を翻した一件、その協力者の中にマーゴットはいた。
本名は『マルテ』という男で、裏にも顔がきく情報屋だった。ヴェルフとは旧知の仲で、酒を酌み交わすほど親しかったらしい。
マルテはよく働いてくれた。彼が正確で細かな情報を流してくれなければ、あのとき国王派の人間を寝返らせることは難しく、玉座を奪うまでにより多くの時間を要し、不必要な血が流れるのを避けられなかっただろう。
それに、昔レゲンスの城砦のときに知り合い関わった多くの騎士や兵士たちが、わたくしを支持してくれたのも大きかった。
彼らはあのときのことをずっと恩に感じてくれていたのだ。
そして彼らが率先して、わたくしに協力してくれるよう国の端々にまで呼びかけてくれた。
「あのとき、レゲンスの城砦の近くで怪我して倒れていた騎士は、貴方だったんですね……」
マルテが教えてくれたことだ。
『姫さん、あいつは貴女に命を救ってもらってからずっと、貴女の幸せだけを願ってましたよ』
国王らを引きずり下ろしたあと、しばらくしてからマルテがぽつりと言った。
そんなはずはない。彼は押し付けられた王女を邪魔だと思っていたはずだ。
白い結婚、捨てられた刺繍入りのハンカチ、顔を合わせても会話らしい会話もなかった。
『白い結婚は貴女のためです。自分が死んでも嫁ぎやすいように、と。刺繍入りのハンカチだって、ここだけの話、あいつうざいくらいに自慢してたんですから』
嘘だ。屑入れに捨てられていたのを見た。わたくしからのものなんていらなかったのだ。
『え? あいつは姫さんが捨てたんじゃないかって言ってましたけど。屑入れから拾ったハンカチを喜ぶ反面、〝差出人がマーゴットのお前からの手紙を偶然目にされて、きっと気を悪くされたんだ。お前のせいだ!〟ってすごい取り乱して、襟首掴まれて殺されるかと思ったんですから』
では、なぜ屑入れに……? 疑問が湧いたが、使用人の誰かのしわざだったのかもしれないと思い至る。
侯爵邸には前国王の息がかかった使用人も紛れていたが、ヴェルフが直に選んだ使用人も配置されていた。
ヴェルフを慕う者からすれば、王女のわたくしは彼を戦地へと何度も送り出す身勝手で横暴な国王の娘、政略結婚で降嫁しただけの妻としか思えなかっただろう。そんなわたくしが贈るハンカチなど捨ててしまえと感じるのも当然だと思えた。
『まあ、会話があんまりなかったのはあいつのせいですかね。ただ代わりに言い訳しておくと、前の国王が騎士のあいつに首輪をつけておきたい思惑があるのには気づいてましたし、そのせいで姫さんが利用されたのは自分のせいだっていう負い目を感じてましたから、まあ、いろいろあって素直に言葉を交わせなかったんでしょう』
わたくしはそっと手を伸ばし、墓碑に触れる。
ヴェルフがどんな気持ちでいたのか、もう尋ねることはできない。
「どうして……? わたくしがいたせいで、貴方は危険な前線に数え切れないほど、何度も何度も駆り出されました。都合の良いように扱われました。貴方こそ、本当に幸せになるべき人だったのに……」
──ふいに足音がした。
振り返った直後、わたくしは目を疑う。
「そんな、まさか……」
そこに立っていたのは、墓碑に名が刻まれているはずの人物──。
彼は怪我を負っているのか、不自由な足を支えるため杖をついている。
その右手首に巻かれているのは、見覚えのある刺繍入りのハンカチ──。
考えるよりも先に、わたくしは走り出していた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)
今回はシリアス路線でお届けしてみました! 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
(だいぶ前に書き上げていたのですが、気づけばタイミングを逃して今のお届けになってしまいましたˊᵕˋ:)
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