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43『落ち着くところに落ち着い……た?』


国王陛下の、二人の王子様よりももっと鮮やかな濃緑の瞳が真っ直ぐに私を貫いた。だけどその眼差しはとても優しくて、冷え固まった私の身体は少しだけ熱を取り戻した。




断罪は……多分、ない。希望的観測を大いに含むが、陛下の穏やかな瞳と先程のヒューイット様の発言からも窺えるように、あるとすれば王太子殿下との婚約。


兄でさえ覆せない事ならば、受け入れよう。

父母が望むのであれば、従おう。



でも怖い。凄く、怖い。

私の覚悟なんていつも口ばっかりで、いざ現実を前にすれば簡単に吹き飛んでしまうのだ。

一歩進む為の足が、酷く重く感じられる。




ざわざわ、ざわざわ。



立ち竦む私を周りの人達が訝しむ。返事をしなくてはと焦れば焦る程、声は喉に貼り付いて形にならない。


「フィー、大丈夫だ。怖いのなら私の手を取れば良い。もっと私に甘えれば良いのだ」


耳を擽る軽やかな笑い声と、私を溶かす程に熱い眼差しが頭上から注がれた。目が合えば彼はその人間離れした麗しい顏をとろとろに蕩けさせて微笑んだ。

途端に私の背後の女性陣から黄色い悲鳴が上がった。どうやら遠目でもこの微笑の破壊力は抜群らしく、そのまま何人かが卒倒してしまったみたいだ。


「一緒ならば怖さなどあるまい。陛下がお待ちだ、さあ行こう」

だが兄は何事もなかったかのようにその笑みを一際輝かせて、私の手を取った。


いやいや、絶対見えてますよね? この惨状。


相も変わらずその美貌に魅了された犠牲者達に一欠片の関心も興味もない人だなぁ……などと他人事のような感想を抱いたが、この手が離れてしまえば私も彼女達と同じ『遠くから見るだけの女』になるのだ。そう思うとまた、胸が酷く痛んだ。




兄に手を牽かれて登壇した私は、国王陛下のすぐ隣に立たされた。立派な体躯の陛下は威圧感も凄くて萎縮する私だが、何故か兄の密着度がやたらと高くて違う意味での緊張が激しくて、正直……それどころじゃない。



広い会場に、陛下のお声が響き渡る。

「さて、皆も既知であろう、ここにいるフィオネッタ・モンドレイは『妖精王の愛娘』である。我が国の始祖にして妖精姫と呼ばれたアリアス以来の妖精の血筋だ。王家にとって彼女の誕生は正に僥倖(ぎょうこう)、故に彼女には新たに名を授け王族の一員──いや、もっと単純に、我ら夫婦の娘として護り慈しむと決めた。今日この時よりフィオネッタ・モンドレイは名をフィオネッタ・ララフィ・クレイヴと改め、王家にその籍を置く事と相成った」



…………え?

あれ? なんだろう、想像していたのと違う。

え? どういう事? 私が王族? 国王陛下夫妻の……娘?



し……ん、と静まり返る場内。

うん、そうですよね。理解の範疇を越えちゃって、ちゃんと頭が働かないですよね?


どうやらそれは王太子殿下も同じだった模様。先程までの余裕綽々な表情が一転、ぽかーんとして、ちょっとだけ……可愛い。


「加えて慶ばしい事にこの度オルディアスがカインシェスより正式に爵位を引き継ぎ、新たなるモンドレイ公爵となった。この機に、(かね)てよりオルディアスが切望していたフィオネッタとの婚姻を、王として父として、今ここに認めようと思う」


にやり──と、陛下は悪戯小僧のような笑みを浮かべ会場をぐるりと見回した。



…………はい? え? ええと、今の、一体どういう事?

婚姻? オルディアスとフィオネッタって、仰った?

オルディアスはお兄様のお名前で、フィオネッタは……私?


では、お兄様と私の、婚姻? 婚姻って、あの、結婚って事? 結婚って、夫婦になるって事ですよね?


いやいや、貴族同士の結婚って簡単ではない筈。まずは婚約を王に認められた後、少なくとも二年の期間を経てもう一度王から婚姻の許可を得なくてはいけない筈。なのにその諸々を全てすっ飛ばして、いきなり結婚?



「くっ! ふふ、あはは。全くお前は、百面相していてもなんと愛らしい事か」


噛み殺せなかったのだろう、兄の唇からは笑いとそんな台詞が溢れ落ちた。その意地悪な顔を見れば察しの悪い私でもさすがに気付く。

「全部お兄様のお考えだったのですか!?」

「私が無策でこのような場に立つとでも?」


……思いません。ええ、お兄様はそういう方ですよね!


「いやぁ、まさか本当にルディが妹の夫(おとうと)になるとはなぁ」

「! ヒューイット様も最初からご存知だったのですか!?」

思わず不敬にも詰問してしまったが、ヒューイット様は気にした様子もなくあっけらかんと答えて下さった。

「うん? だから言っただろう。君は私の妹になる、と。それと、もう兄妹なのだから以前のように呼んでくれないか」


ううっ! 言った、確かに言った。じゃあ『弟の妻、だから義妹』って意味だと思ったのは私の早合点?

「で、でも、王族とか、け……結婚……とか」

「ああ、兄から可愛い妹への最初の助言をあげよう。うちの両親はそれはもう娘が欲しくて仕方なかったから随分と浮かれていてね、君を溶けるくらいに甘やかす準備は万端だぞ。公爵、いや、前公爵夫妻だな──に凄まじい対抗意識を燃やしているからな、精々覚悟しておきなさい」


ちょっと、なんですかその怖い助言は。


いや、まさかそんな……とお二方へと視線を動かして、すぐさま私はそれが事実だと思い知る。


うわぁ、怖い。若干血走った眼が本当に怖いです。陛下は興奮気味にそわそわしているし、王妃様に至っては白皙の頬を真っ赤に染めて今にも駆け寄らんばかりにこちらを凝視しているではないか。


このお二方が、私のお父様とお母様になられるの?


……という事は、じゃあ……


「あの、では、もう私は……お父様やお母様を、そうお呼びしてはいけないのですか?」

血の気が引いた私は思わず兄に縋り付き、彼の服を強く握り締めた。なんて事だ、私にとって父母はあの二人だけなのに。だが、そんな私を見下ろして兄は優美に微笑む。


「安心しろ。夫の両親(おや)は妻にとっても義父母(おや)なのだから、これからも気兼ねなく父と、母と呼んで差し上げれば良い。ああそれと、どちらの両親も初孫を大層期待しておられるようだから、……ふふ、早速今夜から励まねばならぬな?」

「今夜から……励む?」


兄はその笑みを妖艶なものに変化させるのだが、一体なんの話だろうか?


頭上にたくさんの疑問符を浮かべる私の耳元に、兄は蠱惑的な弧を描く唇をそっと寄せる。耳朶に掛かった吐息は甘く熱っぽいのに、私の全身は得体の知れない恐怖にぞわぞわと総毛立った。


「私達新婚夫婦の初夜なのだぞ、今夜は眠れぬと思え。何分(なにぶん)私も初めての事、上手く手加減出来るかは分からぬからな」


しょや? しょや、……初夜!?

初夜ってあの、その、夫婦の初めての……夜の……

私だってそれくらい知識としては持っているけれど──って、手加減って何を!?


分からない、分からないけれど、頭が沸騰しそう。身体が燃えるように熱くて涙が勝手に溢れてきて、無性に恥ずかしくなった。


「え、……あの、その、あの」

「子は何人欲しい? お前の望むままに(こしら)えよう。私は愛する妻の要望には全力で応えたいのだ」


彼はいつになく昂っているようだ。鮮やかなロイヤルブルーの瞳には美しくも歪な炎がゆらゆらと揺らめき、呼吸は普段よりも浅く早く、全身からは甘い香りが放たれる。


そして何故か、ぐんぐん近付いてくる顔。私が蛇に睨まれた蛙のように動けずにいるのを良い事に、兄は恍惚と目を細めると私に……キスをした。

しかも今までのような、軽く(ついば)むように触れるだけのキスではなくて、唇を噛み千切られてしまいそうな強く深いキス。


こんな公衆の面前でする行為じゃない!!


駄目だ、もう、爆発する。脳も心臓も破裂してしまう。この人は私を殺す気なのか。


「なんとも仲睦まじいではないか。さあ、皆もこの若い二人を祝福してくれ!」

だがそんな私に気付いているのかいないのか。陛下がそう煽れば、会場には地鳴りの如く歓声と拍手が巻き起こった。誰も彼も口々に祝辞を送り、感極まって涙ぐむ人までいるようだ。


「ここにいる皆が証人だ。これでもう決して私からは逃れられぬ。だから私の愛を残さず受け入れておくれ、可愛い私のフィオネッタ」


誰よりも麗しい人。

妖しく芳しく艶かしい人。

そんな人が笑う。世界で最も美しく恐ろしい笑顔で。とてもとても幸せそうに笑う。


「い、いつから……お兄様はいつから、ここまで、お考えになられて……」

訊くのは怖い。でも訊かずにはいられない。覚悟を決めて私は震える声で訊ねた。あれ、以前にも似たような事を訊いたっけ……


「いつから……か。私とて全てを見透している訳ではないが、以前にも答えた通り最初からだ。さすがに『お前が産まれる前から』などと大法螺は吹かぬが、お前が産まれた瞬間には決めた。この子を私の妻にする、とな。そしてその為に打てる手は全て打ったし必要なものは全て揃えた。お前は私の予想など簡単に裏切って散々振り回してくれたが、それも全て可愛らしいだけのものだ。その度に私の心を魅了するのだから……堪らない」


いたく悦に入った様子で兄は声を立てて笑った。それはまるで獰猛な肉食獣が満足げに喉を鳴らしているような。


宛ら私は補食される憐れな小動物か。結果として私の喉の奥は痙攣し、何かを無理矢理捻ったような音が、ひいっ──と小さく響いた気がした。



無理。無理です。絶対無理です!! 無理無理無理無理ーーーー!!



出来る事ならば、そう泣き叫びたかった。じりじりと迫り来る兄から、脱兎の如く逃げ出したかった。


でも無理、それこそ無理だ。


鳴り止まない歓声をどこか遠くに聞きながら、私は自分がずっと兄の手のひらの上で踊っていたのだと今更ながら悟ったのだった。




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