0『幕間・結構複雑で案外単純な人間関係』
壇の後方にある広々とした控え室、そこに四人の大人が顔を揃えた。オルディアスとカインシェス、アレクセイとミスティア。
怒涛の展開の連続に容量超過のフィオネッタは失神寸前で、オルディアスがそんな彼女の側を離れるなど普段では有り得ないが、聞かせたい話でもない。非常に残念だが母や従姉とその婚約者に介抱は任せて、この面倒事を早急に片付けるべく元凶に目をやった。
「謀りましたね、ルディ兄さん!!」
「謀ったなどと人聞きの悪い。私はお前とは違い、愛するフィオネッタを得る為に最後まで全力を尽くしただけだ。……何もせずとも本当に欲しい人が得られるなど、そのような幻想の上に胡座を掻いていたお前とは違うのだ」
目が合うなり激昂し、眦を吊り上げて詰め寄るアレクセイに応えるオルディアスは冷たく笑い、そう挑発を返す。
因みに、この控え室にはカインシェスがオルディアスには及ばずとも膨大な魔力で強固な遮蔽壁を張っているので、外に声が漏れ出る心配は一切ない。
「っ! フィオネッタは私の妻になる子です!! ずっと前からそう決められていたのに兄さんが横から奪い取った!! しかも陛下まで懐柔するなど一体どのような言葉を用いたのですか!?」
「ただ利害が一致したまでの事。陛下や王妃様は可愛い娘を渇望されていた、私はあの子の憂いや葛藤を取り除きたかった。双方にとって最善の選択が偶々こうだっただけだ」
「……空々しい事を! 大体、公爵も一体何をお考えですかっ!? 貴方がフィオネッタを手離すなんて」
「ええ、僕?」
思わぬ飛び火にカインシェスは驚くも、
「いやぁ、僕もルディの『フィーが今以上に父上に甘えてくれるようになりますよ』なんて甘言に乗せられちゃってねぇ。でもまあ捉え方の相違? かな。僕達にとっては苦渋の決断だったんだよ、例え形だけとはいえ僕以外がフィーの父親になるなんて悔しいじゃないか。まあその辺りはバリィともしっかりと話し合ったし、それにこれなら他所の男に──例えば君にねアレク、可愛い娘を奪われる心配はなくなるでしょ? 結果、フィーはずっと僕達の娘でいてくれるのだから万々歳だよ」
などと笑みさえ浮かべ飄々と応える。だがその蒼の瞳は酷く冷たく、言葉の端々に見え隠れする鋭い蕀にアレクセイは一瞬言葉を詰まらせた。
「──っ、しかし、大叔父上、」
「もう。子供のように癇癪を起こすのは止めなさい、みっともないわ。ルディの病的な執念深さはカイン兄様譲りだもの、手段を選ばない人には勝てっこないでしょ」
「おや、随分な言い様だね。相変わらずティアは僕に冷たいなぁ」
極めて往生際の悪いアレクセイを呆れた様子で窘めるミスティアと、彼女の台詞にいたく傷付いたような真似をするカインシェス。ミスティアはそんな彼をじろり一睨み。
「エレちゃんの前では『貴女の心を待ちます』だなんて紳士ぶっておいて、その間に出る芽は片っ端から潰して全ての逃げ道を塞いで最後はその手を取るしかなくなるように追い詰めたのは、一体何処のどなただったかしら?」
「ええ、酷いな。僕は心から彼女を愛しているのに」
「別にそこは疑っていないわよ。でも足を掬ってやろうっていう連中を野放しにしておくから、『自分の目的の為に王太子に姪を献上した外道』だなんて根も葉もない噂が未だに消えないんでしょ」
兄妹のように育った歳の近い叔父と姪は、身内だけで集まった場ではすぐに砕けた口調に戻る。
「根も葉もない噂? 大叔父上は当時王太子の婚約者だったエメンダ嬢を奪ったのでは? ……母さんを、その代わりに宛がって」
「ほら、だからこういうおバカさんが出てくるのよ。誰から聞いたかは知らないけれど、それは違うわ。元々わたくしとヨハン様は想い合っていたの。でも婚約者にはエレちゃんが据えられてしまって、だから兄様に協力して頂いたの。それこそ利害の一致よね?」
ミスティアの言葉にアレクセイは色を失う。
「そんな……大叔父上の横恋慕なのだとばかり。だからルディ兄さんもそういった手に出るのではと……」
「私はそのような無駄は好まぬと言った筈だが?」
オルディアスはアレクセイの思い込みの激しさに心底呆れ返っているようだ。冷ややかな眼差しを送り、同じく冷たい声で更に続けた。
「それに、フィーに王族籍を与え王の庇護下に置く事は妖精王も容認している。それは陛下の言葉や現行の法律とも相俟って、『誰にも覆せぬ』事だ」
これがトドメか。妖精王の意思まで反映されているのならばオルディアスの言葉通り、アレクセイには手も足も出せない。
「……分かりました。では私は王太子を降ります」
「アレク! 貴方はまたそんな極端な」
アレクセイから完全に表情が抜け落ちた。瞬時に辺りは氷点下のように凍え、乾いた空気は無慈悲に肌を刺し、吐く息さえ煙るような錯覚に陥る。ここにいる三人は平然としているが、フィオネッタがこの場にいたのなら寒さと恐ろしさに震えただろう。
感情の喪失、これがフィオネッタが絡まない時のアレクセイという人間。凡そ生き物らしからぬもの。普段はそこに薄気味悪い笑顔を貼り付けて他者が望む『王太子』を演じているだけ。フィオネッタが見ている目まぐるしい表情や感情の変化がどれ程に稀少なものなのか、知らないのは彼女だけ。
「私が王太子の地位を望んだのはフィオネッタを得る為に必要だったから、ただそれだけです。私はあの子以外を抱く気など更々ありませんから、跡継ぎを作るという最低限の役割さえ果たせない私が王太子でいる意味は何もありません」
「馬鹿ね、それは余りにも早計が過ぎるわ。よく考えてもご覧なさいな、フィオネッタがルディに飽いて離縁したのなら帰ってくるのは王家なのよ。その時に法律を変えれば良いのよ。そしてそれが可能なのは時の王だけなのよ」
それはまるで悪魔の囁き。耳から入り込み全身を侵し、心臓まで至れば再び情愛の炎が胸を灼き、凍えた心は熱を取り戻す。
「……そうですね、そう、フィオネッタが帰る場所は私の所です。それにフィオネッタが兄さんを、公爵家を見限ればきっと妖精王も考えを改めるでしょうし」
途端に息を吹き返したアレクセイは声も高らかに、徹底抗戦を宣言した。
「私は絶対にフィオネッタを諦めませんよ!! 確かにあの子は兄さんを慕っている、悔しいけれど認めます。ですがあれは『恋』であって決して『愛』ではありません。ならばまだ私にも充分に付け入る隙がありますからね!!」
「ぶはっ!! くっ、くくっ、あははははははっ!!」
青筋を浮かべるオルディアスのすぐ隣で、我慢しきれなかったカインシェスは盛大に吹き出し、腹を抱えて大爆笑。
「あっははははは、ああ、駄目だ、面白い、面白過ぎる」
「やだ、兄様ったら、そんなに笑っちゃ……ふふ、ルディが……うふふ、気の毒よ」
窘めるミスティアも、必死で笑いを堪えているものだから目尻には涙。二人して見事にオルディアスの神経を逆撫でしてくれるものだ。
そんな事、誰に言われるまでもなくオルディアスが一番よく分かっている。
連日欠かさず、しかも日に幾度となく繰り返し愛を囁いているというのに、オルディアスはただの一度だってフィオネッタから愛の言葉を引き出せてはいないのだ。
面と向かって愛を告げられた事が一度もない。好きとさえ言われていない。
彼とて望む愛の前ではただの男だ。たった一つの愛を必死に求めて何が悪い。
ただ一言、愛していると言って欲しいだけだ。彼女にとって自分が、自分だけが特別なのだと、その証を出来れば形のあるものとして欲しいだけだ。それの一体何が悪い?
「いや、悪くはないよ。その気持ちは僕にもよく分かるしね。男なんて格好悪くてさ、跪いて愛を乞うしか出来ないものだよ。それでなくともフィーは意地っ張りだからね。まあ僕達にはちゃんと素直に言ってくれたけどね! あはははは、ああ可笑しい」
肩をポンと叩いて慰める──かと思いきや、再びの爆笑。
世界広しと言えど、ここまでオルディアスを虚仮に出来るのは彼だけだろう。
フィオネッタ以外に恐ろしいものなど何もないオルディアスだが、どうにもこの父には生涯勝てる気がしない。
ああ、非常に疲れた。ぐったりだ。今すぐにでも、やっと手に入れた愛する妻のあの成長著しい柔らかい胸に顔を埋めて、男をとことん堕落させる甘い香りを胸いっぱいに吸い込んで、子供のように頭など撫でられて癒されたい──心底そう願うオルディアスであった。




