41『御披露目会(後)』
まるで真冬の夜の空に静かに浮かぶ月のよう。
ただそこに佇むだけで会場中の人達の視線を集めるさまはやはり兄に似ている。
男女の差はあれど、涼しげな目元もすっきりと通った鼻梁も薄い唇も、その美しいもの全てがそっくり。
冴え冴えと輝く白銀の髪と意思の強さを感じさせる鮮やかな赤紫の瞳もため息が出る程に魅力的で、……彼女とお兄様が並んで立てば、好一対の美術品のように見る者に感動を与えるだろう。
だって彼女こそ本来ここに立つ人。彼女こそ、お兄様の本当の妹なのだから──
なんだか無性に恥ずかしくなった。我が物顔でお兄様の側でその腕にしがみついている自分の浅ましさが、堪らなく恥ずかしかった。
なのに私の心はとても強欲で、離れなくてはいけないのに離れられなくて、離れるのが怖くて寂しくて。
私なんかに執着されて、いい迷惑だろうな……と思うのだけど、なんだろう、お兄様ってば凄く嬉しそう? とびきりの美貌を熱で溶けた砂糖菓子みたいに蕩けさせて、甘い瞳で私を見つめている。
その笑顔は反則です。心臓が跳ね回って、痛くて辛いです。
胸が苦しくて視線を逃がせば、ぱち──と、彼女と目が合ってしまった。
途端に大きく目を瞠る彼女は、傍らに立つ青年(彼女をエスコートしてきたと思われる、兄と同年代の人)と何やら揉めた後、彼の制止を振り切ってこちらへ向かって歩き出した。
──え? こっち来るの? ちょ、ちょっと待って、まだ心の準備が。
焦る私とは裏腹にどかどかと大股で闊歩する彼女はその間もずっと私を睨み付けていて、大混乱の私はより一層強く兄の腕にしがみついた。
「……綺麗……」
手を伸ばせば届く距離まで詰め寄った彼女のその冴え渡る美貌に、私の口からは無意識に感嘆が漏れた。だがその声は聞こえなかったようだ。暫く無言で私を凝視した後、口を開いた彼女の第一声は──
「うっわ、何この美少女」
「……はい?」
何か今、聞き慣れない単語が聞こえたような……?
びしょうじょ? ビショウジョ? あ、もしかして微小女? 胸が? ……なんてね。
錯乱し思考が迷走を始めた私だが、目の前の『紛う方なき美少女』は興奮した様子で更に続ける。
「あ! ちょっと何!? 学園で見かけた時と髪の色が違うじゃない!!」
そう言うと彼女は更に一歩大きく踏み出し私の髪に触れようと手を伸ばしたのだが、お兄様にその手を容赦なく払い落とされ忌々しげに顔を歪めた。
「チッ!」
え? まさかの舌打ち?
「あ、あの、」
何やら険悪な雰囲気で睨み合う二人。非常に気まずい。堪り兼ねて私は声を発したが、すぐに兄に止められた。
ああ、そうだった。貴族社会では身分の高い側が先に名乗る事はご法度。曲がりなりにも首席公爵家令嬢として出席している私なので、それより高位となれば王族だけになってしまう。これって本当に面倒な決まり事だ。
「……初めまして、モンドレイ次期公爵様、ご令嬢様。わたくしはリリーナ・ミーンボックと申します」
私が口ごもっていると彼女は一つ鼻を鳴らし、それからしなやかな動作でドレスの裾を摘まみ完璧な挨拶をした。それは基本に忠実で美しく、勤勉で誠実な彼女の人柄を表しているようで非常に好ましく思えるものだった。
だが兄は冷淡だ。やっと会えた実の妹だというのに何故こうも興味がないのか。
「あの、ご挨拶有り難うございます。わたくしはフィオネッタ・モンドレイです。そしてこちらが兄のオルディアスです」
私は慌てて名乗る。しかし兄は黙ったままで、挨拶もしないだなんて一体何を考えているのか?
「ルディ、大人気ないぞー」
聞こえてきたのは、やんわりと兄を非難する声。見れば彼女──リリーナの背後に苦笑いを浮かべつつ立つ長身の男性。誰だろう? 初めて見る人だけれど……
「あー、君が愛しの妹ちゃんか。成る程なー、こりゃルディが必死に隠す訳だ」
彼は目が合うと少年みたいに笑って、ちょっと意味の分からない言葉を連発した。
……妹、ちゃん?
「ええと、あの……」
「あー、俺? 俺はルディの親友で」
「え? え、あの、お兄様にお友達がいらっしゃったのですか!?」
びっくりして声が上擦った。だって今まで兄の『友人』に会った事などなかったから。
「ははっ、妹ちゃん中々に辛辣だなー」
「こいつはコーネリアス・キャステッド、伯爵家の三男で私のただの幼馴染みだ」
腹を抱えて笑う男性に対して間髪を入れず訂正する兄の顔には、露骨に『不本意』が浮かんでいる。
「これにはリリーナ・ミーンボックの後見を任せているのだ」
「後見、ですか?」
成る程、だから彼女はこの場にいるのか。ああ、でも、それはここに彼女を呼ぶ為のただの方法なだけで、本当の目的は──
「当たらずとも遠からず、と言ったところか」
私の不安を見透かして兄はふっと表情を和らげる。
一瞬で奈落の底に落とされたような私の絶望感を、どんな言葉で表現すれはいいのだろうか。
王族主催の、大勢の貴族が集まるこの場所で、リリーナこそ公爵家の本当の娘だと広く宣言する。
それは正しい行為だ。
本来であればもっと早く行われるべきだった。
頭ではそう理解している。私は断罪されるべきだと。
なのにその光景を思い描いたなら、氷水でも浴びたように身体が凍り付いた。反して心臓は怒り狂ったように暴れて呼吸さえ困難で、私は胸の苦しさに喘ぎ涙ぐんだ。
「泣くな。私がお前を手離すとでも思うのか?」
私よりもずっと大きな手のひらが、私の頬を優しく包む。
「安心しろ。父上も母上も最早お前なしでは生きては行けぬ。何があってもお前は彼らの娘だ」
指先で私の涙を拭い、そう微笑む。
……そんな事、有り得るのだろうか?
本当の娘を迎え入れた上で、私が父母の娘でいられるなんて、そんな魔法みたいに都合の良い話があるのだろうか?
そんな夢を見ても、良いのだろうか?
その時突然、若い女性達の悲鳴にも似た歓声が会場の空気を引き裂いた。
「これは珍しい。両殿下が揃い踏みとは」
「王太子殿下? ご自分の時にでも一度顔を出されて終わりだったのに」
騒然とする中から、そんな会話が耳に届いた。
王太子殿下って……
皆の視線を追えば、ああやっぱり、その先には大変に見目麗しい二人の男性。
その姿に思わずため息が漏れた。
中身はともかく、立ち居姿は本当に憎らしいくらいに綺麗な人だ。私が知っているクレイル先生とは当然だけどまるで別人のよう。長めの前髪を後ろへ撫で付け、純白に豪奢な濃緑の刺繍が鮮やかに映える正装に身を包めば、女性なら誰もが憧れる完璧な『王子様』の出来上がりである。現に先程までお兄様に釘付けだった女性陣の視線はこぞってそちらに集中し、宛ら獲物を前にした肉食獣のようにきらきらと言うよりはギラギラと光輝いている。
しかし容姿端麗とはよく言ったものだ。私も大概お兄様やお父様で『美しい男性』は見慣れているつもりだが、彼の麗容はまた一線を画しているように思う。正に幼い頃の私が絵本で読んで少しだけ憧れた、正統派の王子様。
……こんな人が、私に求婚したなんて今も信じられない。
まあ、あれからなんの音沙汰もないところを見ると、どこまで本気だったのか疑わしいが。
それでももし私が、まだ恋も知らないごくごく普通の令嬢だったなら、その言葉を手放しで喜んで舞い上がっただろうか?
……分からない。だって私はもうずっと前からお兄様に恋をしているから。
それにしても、なんだろう……少し彼の様子が気になる。遠目に見ているだけだから確かな事は言えないけれど、その香る程に爽やかな笑顔が妙に引っ掛かる。
「あれが王太子? ……胡散臭い笑顔」
そう吐き捨てたのはリリーナ。あ、成る程! とは思ったけれど……声に出してはいけない。
しかし、相手が誰であろうと臆さず発言する辺りはサラに似ている。やっぱり従姉妹だからかなぁ。
「あ、あの、リリーナ様。そのような事を仰っては不敬罪に問われてしまいます」
だけどそれはそれ。慌ててそう嗜めるが、彼女は冷めた眼差しを私に向け言い放った。
「貴女って案外つまらない事を言うのね」
自分がつまらない人間だと自覚はしていても、初対面の人にずばりと言われればさすがに傷付く。だが次いで彼女が発した言葉に、それらは全て吹っ飛んだ。
「まあ、婚約者が悪し様に云われて良い気はしないか」
ん? 婚約者? 誰が? ……誰の?
「………………え? あの、え?」
一体なんの話? そう困惑していると、
「何? 知らなかったの? 今日は王子様の婚約発表があるって噂よ。で、家柄考えても貴女以上の人はいないでしょ? 貴女、『妖精王の愛娘』なんだから尚更ね」
「あの、いえ、ですが」
「それに、今まで公式の場に娘を出す事を頑なに拒んできた公爵家が、この会には自慢げに連れてきた。しかもこんなに着飾らせて。ああ、でも政略的な話なら本人の承諾なしでも決めちゃうか?」
鈍器で後頭部を強かに殴られたような衝撃だった。
この素敵なドレスも、素晴らしい装飾品も、ぴかぴかに磨かれた身体も、いつもより大人っぽい化粧も。
全て、王太子殿下との婚約が発表されるこの日の為に用意されたものだった?
……じゃあ、ひょっとして、この指輪も本当は……
左の薬指で未だ独りぼっちのそれを、私は震える右手で覆い隠した。




