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35『お嬢様と黒い犬』


そんな馬鹿な……

私は驚愕した。


巷で流行りの推理小説でも、犯人というのはなかなか自白しないものだろう?

以前、先生が薦めて下さった本でもそうだったなぁ、などと思い出す。あれは本当に面白くって全巻あっという間に読んでしまったもの。

……あれ、そう言えば図書室って司書さんがいるものだよね? でもいつも先生だけだった。人気のある図書室なのに利用する生徒にも会わなかったし。何故だろう、不思議だ。

ああ……、先生ではなく王太子殿下とお呼びしなくてはいけないのに。分かってはいるのだけど未だに慣れない。


いや、話が逸れてしまった。


「お兄様。犬や猫ではないのですから拾ったなど簡単に仰らないで下さい。……大体、いつも私が子猫を見付けても連れ帰ってはいけないと仰るくせに、ご自分は簡単に拾うなんて狡いです……」

「おい、お前も人を犬猫扱いじゃねぇか」

と、私の後ろから剣呑な声。

「え、何がですか?」

「無自覚かよ!? ……これだから極上箱入りのお貴族は」

「そもそもお前は動物アレルギーなのだから仕方あるまい。それに、野良犬ではなく有用な猟犬を得たのだと思えば良いのだ」

「誰が犬だ!! 兄妹揃って好き勝手言いやがって」

彼はガックリ肩を落とすと、顔を両手で覆って盛大に嘆いた。かと思えば突然、カッと目を見開いて私に食って掛かるのだ。

「!? お前、ひょっとして()()も『拾った汚い野良犬を綺麗に洗ってやろう』ってくらいの感覚だったのか!?」


ん? あれって、……なんだ???


一体なんの話だろうかと眉を顰めても彼は、

「ああ、くそ、なんでこいつなんだよ? こういう無自覚に人を引っ掻き回すの俺が一番嫌いなタイプなのに、なんでこんなのが良いんだよ俺、正気に戻れよ俺ぇ……」

などと、頭を抱えながら訳の分からない事をぶつぶつ呟くだけで全く要領を得ない。

ただ、褒められていないのだけは分かった。



ぞわっ──


「!? ……お兄、様……?」

突如として私を襲った殺気? 怒気? に全身が総毛立った。帰宅時から妙に不機嫌と言うか……怒りを抑え込んでいるような節はあったけれど、これは確実に、間違いなく──大激怒していらっしゃる。え、何故!?


()()()については今夜一晩かけてじっくりと、理解するまで言い聞かせなければならぬようだな? フィオネッタ」


うわぁ……惚れ惚れするくらいに鮮麗な微笑み。ああ、輝いています、なのに怖いです恐ろしいですお兄様、出来るものならば一目散に逃げ出したいです無理ですが。あ、チェインとヴァルさんが部屋の端まで脱兎の如く走って逃げた。うう、裏切り者達め……


「あの……お兄様、私とても反省しております。ちゃんとごめんなさいもします。ですから今ここで仰って頂ければ私その……ちゃんと……理解、します……よ?」


つい先日、お説教とは名ばかりの溺死しそうに甘い懲罰を受けたばかりだ。だから一晩中続くと明言されたこのお説教はなんとしても回避しなくては──そう賢しくも抵抗を試みたが、

「お前の部屋でも私の部屋でも構わぬが、また立て籠られると面倒だからな……今夜は私の部屋へ連れ帰るとしよう」

なんともにこやかに、晴れ晴れと笑まれて轟沈。それ最初から決定事項ですよね……?


そうして涙目で立ち尽くす私を尻目に兄は侍女に何やら命じ、それから私へと手を差し出した。『取れ』と無言の圧力が凄い。

しかし私が躊躇っていると一体どんな加虐心が沸き上がったのか、女神様も赤面必至の美しい微笑を浮かべながら特大の爆弾を投下してきた。

「フィー、それ程に自分を卑下するものではない。私にとって最も重要なのは『お前である事』なのだ。お前の心を煩わせる事柄など全て些末な事、気に病む必要はない。私は形や大きさには全く拘らぬし、()しんば()()であったとしてもしっかりと欲じょ……」

「よくじょ?」

「……一切問題なく反応するのだから」


反応って何が? そもそもなんの話? ……絶壁?

だが兄はその笑みをより妖艶なものにし、ぽかんとしている私にそっと耳打ちした。


()()()()()()()()()()()()()()()──という話だ」



………………うん?



「…………、ふぎゃっ!?」

思い当たった途端、なんか変な声が出た。人間って受ける衝撃が許容量を越えると悲鳴すらも喉の奥へと引っ込んでしまうらしい。

「……な、な、なんで? なんでお兄様がご存知なのですか!?」

上半身が、特に顔が燃えるように熱い。きっと今の私は真っ赤なのだろう。だけど裏腹に頭の中は氷水でも被ったように凍えている。だってどう控え目に表現しても、これは怖いでしょう?


どうして知っているの? 誰もいなかったのに。見ていたの? 聞いていたの? どこで? どうやって? そんな事ばかりがぐるぐると駆け巡る。


本当は逃げたい。後退って少しでも距離を取りたい。なのにいつの間にか指が絡め取られていた。私の指と指の間に兄はその整った長い指を滑り込ませ、がっちりと強く──だけど甘く優しく、それでいて(ねぶ)るように深く絡ませてくる。指先で指を一本ずつ撫でられれば、全身に電気が走った気がした。

「ひゃんっ!?」

身体がびくんっと跳ねた。さっきとは違う意味で変な声が出れば、恥ずかしくてまた顔に熱が集まる。空いている方の手で顔を隠そうとすればすぐさま捕まえられて、今度はそちらの指一本一本にキスを落とされた。

「!? お、お、お兄様、あの、あの……」

泣きそう。だが兄は止まらない。あろうことか人差し指の先をぱくっと()んだ。しかもなんならちょっと吸われた。


もう声も出ない。涙目で口をぱくぱくするばかりの私に随分とご満悦な様子で笑う兄が憎たらしいやら腹立たしいやらだが、何よりも周りの視線が痛い。見なくても分かるナタリアの絶対零度の視線に、チェインの呆れ返っている視線。それと、多分ヴァルさんは怒っているのかな? 鋭い視線がびしびしと背中に突き刺さって痛い。


うう、もう耐えられない。


「お、お兄様、お願いですから、お止め下さい。皆に、見られていて……恥ずかしい……です……」

「では私の部屋へ?」

「はい……はい。お兄様の、お部屋に……」

「二人きりとなるが致し方あるまいな?」

私は一も二もなく、何度もこくこくと頷いた。とにかくこの場から、皆の目の前から消えてしまえるのなら何処だって良いと思ったから。


だなんて、甘い考え。すぐに自分の迂闊さに気付き、オロオロと彷徨わせた視線が捉えた勝ち誇ったような兄の顔に、さあっと血の気が引く。


しまった、言質を取られた。


重ねて問う兄の上辺(うわべ)だけの優しさに乗っかってしまったと気付いたところで後の祭り、撤回は不可能。


「きゃあっ!!」

ふわりと身体が浮いた。軽々と抱え上げられ逞しい胸に顔を埋めたなら、兄の纏う濃密な香りに酔ってしまったようだ。眩暈がして、怖くて、……どんどん溺れていく自分がとても怖くて、ぎゅっとしがみつけば優しい笑い声が降ってきた。

「ああ、可愛いフィー。恐ろしいのならば私だけを見ていれば良い。その身もその心も全て私に委ねてしまえば良いのだ」

まるで猫のように喉を鳴らして(実際には巨大な肉食獣なのだけれど)、兄は私の髪に何度もキスを落とす。すこぶるご機嫌である。

「……お兄様が側にいて下さるのなら私には怖いものなんて何もありません……」

その(とうと)い蒼の瞳をいつも以上に近くに見つめながら、私は精一杯に訴える。本当ですよ? 嘘じゃないですよ? と。


だって私が怖いのはお兄様の心、だけだもの。


その心が生み出す甘い眼差しが。優しい声が。

触れる指の暖かさが、怖い。


翻弄されて惑わされて奪われて……私ばかりがこの想いに溺れて、寂しくて、苦しくて辛い。


こんなに好きなのにいつか必ず来るのだ、その瞳に私が映らなくなる時が。その瞬間を想像すれば、怖くて怖くて……身体の震えが止まらなくなる。

その時、私はどうすれば良いのだろう。こんな想いを抱えたまま、どう生きていけば良いのだろうか?






次の日、寝不足を押して登園し授業中に襲い掛かる睡魔との激戦に辛くも勝利した私は、帰宅したその足で彼を探し回り庭に出た。

「うろちょろしてんじゃねぇよ」

「私には万能な猟犬が付いていますから」

藪から棒のお小言に私はすかさず反論する。どうだ、とばかりに振り返り笑えば、彼──ヴァルさんは思いっきり渋面を作って一つ舌打ち。

「俺になんか用か?」

「はい。あの、お礼を言えていなかったので」

「礼?」

きょとんとするヴァルさんは二十五だと聞いたが年齢よりも幼く見える。それが可笑しくて緩む頬を引き締めつつ、私は頷き、深々と頭を下げた。

「助けて頂いて有り難うございます」

「おい!? 止めろ馬鹿、こんなチンピラに頭下げるお嬢様がどこにいんだよ!?」

彼は慌てふためくが私は一歩も引く気はない。

「いいえ。貴方は危険を顧みず私を護って下さいました。本当に有り難うございます、ヴァルさん」

「……はぁ。ったく、馬鹿が。……ヴァルで良い」

短いため息の後、彼が言った。聞き間違えたかと顔を上げた私を気まずそうに見て、

「名前、呼び捨てで良いっつってんだよ。んな、さん付けとか敬語とか……むず痒いんだよ」

と、なんともぶっきらぼうに言い放ってそっぽを向くが、その顔は確かに赤い。

「謝罪は受け入れてやる。だからこれからはヴァルって呼べ。いいな、フィオネッタ」

「! はい、分かりました、ヴァル。それなら私の事もフィーと呼んで下さい」

「てめぇ、調子に乗んな。呼べる訳ねぇだろうが」


べしっ!!


またしても額に手刀が叩き込まれた。



……だからそれ、本当に痛いんですってば。





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