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34『犬や猫より扱いが悪い』



いつだって彼は思いがけず現れては私を驚かせて、かと思えば、あっという間に姿を消してしまうのだ。




落下をし始めた私の身体を抱き寄せて、彼はくるりと身を()じった。


何を考えたかなんてすぐに分かる。

さあ……と血の気が引いて私は思わず叫んだ。

だけど彼は抱く腕に更に力を込めて、私の抵抗を封じてしまう。



どうしよう、どうすれば良いのだろう?

このままじゃ彼が大怪我をしてしまう。もしかしたら死んでしまうかもしれない。私なんかを護って彼が傷付くなんて嫌だ。

絶対に嫌!!



その瞬間、柔らかな黄金の光が音もなく私達二人を包み込んだ。突如として重力の枷から解き放たれた身体はまるで風船のようにふわふわと宙に漂った──が、

「お前、また光って……うおっ!?」

同じように光の膜に包まれていた彼が、何故だか突然その中からポーンと弾き出されてしまったのだ。


「えっ!? ど、どうして!?」


焦る私、と彼。だってまだ空中。再び青褪める私は慌てて手を伸ばして彼の腕を掴もうとしたのだけれど時すでに遅し、彼の身体が真っ逆さまに落ちていって……


「いっ──てぇ!!」


あれ? ええと、意外と低かったっぽい。どうやら腰を打ち付けたようだけど、ぷりぷり怒っているところを見るとどこも怪我していないみたい。

「くっそ!! あの性悪野郎、よくもやりやがったな!!」

とか一人で怒鳴ってるけど、……誰の事だろう?


あの時、()()火花が散って彼の身体を押し出したように見えたなんて、きっと私の思い過ごし──だよね?




「……あ、」

やがて光は密やかに、その輝きを空へと解き放った。その儚く散る姿が私の胸に残したのは、母の庇護を失った雛鳥のような心細さと淋しさ。


一体なんだったのだろう、あの光は……



『お前……妖精の力を使っただろ?』

不意に脳裏に浮かんだ、天の邪鬼(お兄様談)な妖精さんの言葉。

『感情が昂ったり、恐怖した事が──』


ああ……そうか私、凄く怖かったから。

……じゃあ、あれが妖精の力? 暖かくて何故だかとても懐かしい。

その望郷にも似た淡い想いが胸を締め付けては涙腺を刺激し、決定打となったのは彼の無事だけどその他色々なものが混ざって、不覚にも涙がぼろぼろと頬を伝い落ちた。

「!? おいっ、どうした!? どこか怪我したのか!? 痛いのか!? 大丈夫なのか、フィオネッタ!!」


急に泣き出した私に真っ青になって、急いで彼は駆け寄った。

……それ、狡い。


「おい、……って、何泣きながら笑ってんだよ?」

「だって名前」

「あ? 名前?」

訝しげに眉を寄せてはいるけれど、その目がうっすら涙ぐんでいる事には気付いてますからね。

「フィオネッタ、って。初めて名前を呼んでくれましたね」

そんなつもりはなかったのだけど、どうやら随分な不意討ちだった模様。大きく目を見開いたかと思ったらその直後、彼の顔は物凄い勢いで真っ赤に染まった。さっきから青くなったり赤くなったり忙しい人だなぁ。

「い、言ってねぇ!!」

「言いましたよ。しっかり聞きましたもの。いつもみたいに『おい』とか『お前』とか……『馬鹿』じゃなくて、ちゃんと名前で呼んでくれました」

名前を呼ばれるのはやっぱり嬉しくて、頬が緩む。

「てめぇ、いつまで笑ってんだよ」

「痛!? ……酷い」

どうやらその顔がお気に召さなかったらしく、彼は私の額に手刀を叩き込んだ。手加減はしてくれていると思うけれど……痛いものは痛い。この人は本当に私(の顔?)が好ましくないのだろう、頬を膨らませて睨み付けたらまた顔を反らされた。耳どころか首筋まで赤くするなんてよっぽど嫌なんだなぁ……再会してからはずっとこんな感じだもの、さすがに落ち込む。


「お嬢様ーーーー!!」

だけど、気落ちする暇も私にはないみたい。背中に突き刺さったチェインの叫び声に即座に反応したのは彼だった。

「うげっ、面倒なのが来やがった。おい、ちゃんと誤魔化しとけよ」

慌てて立ち上がると背を向け、迫り来るチェインから脱兎の如く逃げ出そうとしたが──そうはさせるものか。強い決意を持って私は彼の服をむんずと掴んだ。

「何すんだよ、離せよ!!」

「どうしてうちにいるんですか?」

「んなもん自分の兄貴にでも聞きゃあいいだろうが!!」


……やっぱりお兄様が絡んでいるんだ。ですよね、納得。


「勿論お兄様には説明を要求致しますが、その際は貴方にも同席して頂きますから」

「はあ!? お前ふざけんなよ、なんで俺が」

「動かぬ証拠、です」


あの兄の事だ、問い質してものらりくらりとはぐらかすに決まっている。あの人も私を馬鹿だと思っているから、『フィーの気のせいではないか?』などと平然と言って退()けるだろう。だから必要なのだ、そう、『動かぬ証拠』が。


別にお兄様に一泡吹かせたいとか一矢報いたいなんて思ってないけれど、これくらいの反撃なら許されるでしょ?

「なのでお兄様がお帰りになられるまで絶対に離しませんからね?」

そうやって意気揚々、兄の驚く顔を見られるまたとない機会に心躍らせる私だったが……一体どこで選択を間違えたのだろう?

手痛いしっぺ返しを食らうだなんて、この時の私は知る由もなかったのだった。


因みにこの後、駆け付けたチェインとナタリアにめちゃくちゃ怒られた。チェインは涙と鼻水を大量に流しながら半分何を言っているのか分からないくらいに泣いて。ナタリアは笑顔で。逆に怖い。

マリウスが言っていた『うちのカミさんマジ怖い』の意味がよぉーく分かった。

『お父様達には内緒にして』とお願いしても、

『お二方共、もうご存知かと思われます』とにべもなく一蹴されたし。


うん、今日のナタリア、マジ怖い。



最近、兄は帰宅が遅い。本格的に家督を継ぐに当たって、退職の手続きと後任の人事や引き継ぎなどに少々手間取っているらしい。とんでもなく有能な人だから引き留められるのも仕方ないのだろう。

なので私は夕食を先に済ませ、それから入浴する事にしたのだけども。



「一緒に入りますか?」

「!? ばっ、馬鹿か!? そういう事を軽々しく言うんじゃねぇ!!」

「……そんなに怒らなくても良いじゃないですか。冗談なんですから」

「お前のそれは冗談にならねぇんだよ!! 今日を俺の命日にしたいのかよっ!!」


頭を抱えて絶叫する彼。命日って……なんで?


兄が帰るまで逃がす訳にはいかないから常に私の近くにいてもらっている訳だけど、不便を強いているのだから申し訳ない気持ちもある。で、まあ、半分冗談半分本気でそう訊いてみただけなのに……

そりゃ確かにこんな貧相な身体、誰も見たくもないだろうけれどね。




入浴を終え濡れた身体のままぺたぺたと歩き浴室を出て、脱衣室に置かれた姿鏡の前でふと立ち止まれば深いため息が唇から滑り落ちた。

「……本当に貧相……」

磨き上げられた鏡に映る自分の姿は同年代の少女達に比べて全体的に()()()と言うか、特に胸の辺りがこう……切ない。


私の周りの女性陣は往々にして美しい。


ステイシアにしろサラーティカにしろ、ヴィヴィアナお姉様にしろナタリアにしろ、スタイルが抜群なのだ。

そしてお母様。童顔で、とても子供を二人も産んだとは思えないくらいに愛らしくて可憐でいらっしゃるのに、胸、腰、お尻と続くラインがなんとも豊かで艶かしくて、なのにとても品が良くて、もうただただ羨ましい限りだ。


結局いつも私は、似たような体型のチェインとお互いを慰め合っているのである。


改めて、鏡の中の自分に触れてみる。

今は温まって淡く色付いている身体は、本来は不健康そうにも見える色白。よく食べてよく動いてよく寝ているのに、血行が悪いのかな?

細い首と肩に腕。胸は……実はこれでも、この数ヶ月で少しばかり成長したのだ。それでもやっぱり慎ましやかで、こんなんじゃ──

「……お兄様もきっと、ガッカリされるよね……」



「……」


「…………」


「……………………」



「ガッカリって何!? 何を口走ってるの私は!?」

みるみるうちに全身が真っ赤に染まっていく。一体何をどう血迷えばこんな発想に至るのか、自分でも謎だ。


「べ、別にお兄様がご覧になられる事なんてないのだから何も問題ないし、別にお兄様の好みでなくったって、ガッカリされたって、全然……平気、だし……」


自分で言っておいて傷付くとはなんと滑稽なのか。

最初はとにかく恥ずかしくて、だけど今はとても惨めで、涙がじわりと滲んだ。

少し逆上(のぼ)せただけ……そう言い訳をして、私は大きめのタオルで全身を覆い隠した。この熱が、長湯の所為なのかそれとももう抑えきれない兄への想いに()るものなのかなんて、分かりきっているのに分からないフリをして、私は自分の心から目を逸らす。


だって、どれだけ妖精の子だと持て囃されても、私は相も変わらず地味で凡庸で何一つ人に誇れるところなどなくて、どうしたってあの人の近くには相応しくなくて。

十五になれば本当の姿になる──そう妖精さんは言ったけれど、何がどう変わるのかな?

誰もが振り向くくらいに美しくなれるのだろうか?

有り得ないのにそんな事、だけど、そうだったら良いのになぁ、それならあの大きな背中に頬を寄せても赦されるのかなぁ……だなんて馬鹿な夢を見てはまた、勝手に落ちていく涙が。





「ああ、拾ったのだ。行く当てもないと言うのでな、飼う事にした」

拍子抜けする程あっさりと、兄は自供した。




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