31『その最期は』
少し残酷と言うか痛々しい表現があります、苦手な方ごめんなさいm(_ _)m
「サラーティカがいなくなった……のですか……?」
「ああ、どうやら監視の者に魅了を掛けて操ったようだな。馬車も一輛なくなっていたそうだから、それで逃げたのだろう」
眠れない一夜をなんとかやり過ごして朝、思いがけない話に戸惑う私に兄は淡々と続ける。その淡泊さが空恐ろしく感じられるのは、私が過敏なだけなのだろうか?
「でも、魔力は封じられていた筈ではないのですか?」
拘束された時点で当然、魔力は封印される。
「その筈だが、封印が不充分だったのかそれとも……どちらにせよ随分な手抜かりだな。ああ、予め断っておくがこの件、私は関与しておらぬからな」
私の疑惑の眼差しに目敏く反応し、先手を打つ兄。
……本当だろうか? 少々疑わしいが、彼女に心底興味のない人がわざわざ自分から話し出してくれたのだから本当なのだろう。
「あの、お兄様。この事でサラの罪はより重くなるのでしょうか?」
そう問えば兄は、さも当然とでも言いたげな表情。……残念ながらそのようだ。
どうしてこんな浅はかな行動に出てしまったのか。確かに修道院での『教育』は苛烈を極めると聞いたが、お父様の話では真面目に勤め上げれば三年程でこちらへ戻れるとの事だった。私もそれを心待ちにしていたのに……思わずため息が漏れる。
「逃げおおせはしまい。結局、苦しみが増すのみだ」
口元を意地の悪い笑みで彩って兄は呟いた。間違っているのは重々承知の上で、何処かで自由に、元気に生きていてくれたならばそれで良い……そう思った私の胸の内をまたしても容易く見破って。
少女を乗せた馬車は悪路を進む。主要な街道は既に憲兵隊に封鎖されているだろうし、逃亡中の身としては極力人目は避けなければいけない。だから結局こういった、今は誰も通らない荒れ果てた旧街道を選んだのだ。
「とにかく、隣国まで行けば……」
隣国には彼女の協力者がいる。そこで名前も姿形も変えて新たな身分を手に入れればまた戻ってこられる。
「……フィー……」
名を呟いて、彼女は自身の震える身体を掻き抱いた。
──怖い。
捕まる事でも過酷な場所に送られる事でもなく、ただあの麗しの少女と引き離される事が怖くて怖くて。なのに今は逃げるしかなくて、ざわざわと胸は苛立つばかりで。
ぎゅっと目を瞑って、脳内に焼き付けた少女の姿を繰り返し再生する。
初めて会った時から特別な子だった。
きらきらしていた。
お人形さんみたいだった。
皆を笑顔にしていた。
ぴかぴか光っていた。
──私を見て。
そう思った時には、私の口からはとても酷い言葉が飛び出していた。
そうしたら凄く傷付いた顔で、瞳で、私を見ていた。
その瞬間の、少女の輝きを覆い隠した昏い陰に、全身が粟立つ程の歓喜を覚えた。
私だけが与えた傷、たくさん傷付いて壊れてしまえばいい。壊れたら私の手元にずっと置いてあげる。ずっとずっと大切に愛でてあげる。そうやって私のものになればいい。
誰にも渡すものか。
フィオネッタは私のものだ。
誰にも──オルディアスお兄様にも絶対に渡さない。お兄様がフィオネッタの所有者になるだなんて認めない。
また身体が震えた、それは歪で醜悪な支配を望む──また一つの愛の形。
その時、突如として激しい横揺れに襲われた。狂ったように嘶くと馬はぐんぐん加速をし、荒れた道も相俟って車体は大きく上下左右に揺さぶられた。座席から転げ落ちた少女はその度に身体を強く打ち付け、何度も何度も悲鳴を上げる。
「きゃあっ!? ……い、たい……、うぅ……あぁっ!!」
一際大きく車体が揺れた。ふわりと浮いた身体は座席に叩き付けられて、背中が軋んだ。息が詰まり視界が暗転し意識が遠退くが、絶え間なく続く痛みがそれを赦さない。
激しく咳き込めば、錆びた鉄のような匂いが鼻を突いた。
何が起こったのか?
馭者はどうしたのか?
やっと揺れが収まったものの、頭も打ったようで眩暈が酷い。唇を伝ってぽとりぽとりと滴る赤が作った血溜まりがまた忌々しくて、奥歯を強く噛んだ。
「なんだ、まだ生きてたのかよ? 死にゃあ死んだで別に構やしなかったがなぁ」
不意に耳に滑り込んだのは、真冬の、たっぷりと雨を含んだ雪を思わせる酷く冷たく重い声。身体中にへばりついてじわじわと熱を奪う。
聞き覚えのない男の声を訝しみつつ、痛む身体に鞭打って目線を上向かせれば、その声音に相応しい冷酷な瞳が彼女を見据えていた。それは闇よりも深く濃い漆黒、その奥に潜むのは燃え盛る濃緑の炎。
「よう、また会ったな?」
親しい友人にでもするみたいに軽妙な口調が却って恐ろしい。上げた口角とは裏腹に瞳に浮かぶのは嘲弄と軽蔑。
「そうそう、お前が懇意にしていた禿げ頭、とうに処刑されてるからな」
「……なん、で……うあっ!?」
問い掛けの途中で無造作に髪を掴まれた。
「ちょっと考えりゃあ分かんだろうが。あの次期当主殿が、身の程知らずの好色下衆野郎を放っておく訳ねぇだろうが」
突然襲った痛みに顔を歪ませる少女に構わず、かろうじて両膝が付く高さまで強引に身体を引っ張り上げると男は彼女の鮮やかな紅い眼を覗き込んで、にやり──と昏く嗤った。
「さてと……俺には効かねぇが、使えなくしとかねぇとな?」
男の動きは緩慢にさえ見えた。
音はなかった。
ただ美しい銀の輝きが目の前を滑って行っただけ。見惚れた一拍の後、灼け付くような鋭い痛みが彼女を襲った。
「……え? あ、あ、うあああああっ!? い、痛いっ!? い、た、いいいっっ!!」
始めに深紅が視界を染め、それも一瞬、すぐさま深い闇が彼女の世界を埋め付くす。
「い、痛い!! 痛い!! いだい!! いだい!! なんで!? 私の目、目が!? なんで──ぎゃあっ!?」
再び強く髪を引っ張られ少女は獣のような悲鳴を上げた。
「悪いなぁ、俺はあのお嬢ちゃんとは違ってお前への慈悲の心なんざこれっぽっちも持ち合わせちゃいねぇんだよ。お前に操られたまま死んでったうちの若い連中の仇、きっちり取らせて貰うぜ」
「……ふざけるんじゃないわよっ!! このくそ野郎!!」
男の突き刺すような殺意に、しかし怯え震え、赦しを乞うような女ではなかった。発狂しそうな痛みに苛まれながらも男の気配を探っては歯を剥き、手当たり次第に辺りに噛み付いた。男に掴まれたままの髪が引き千切れるのも厭わず、ガチン、ガチンとけたたましく歯を打ち合わせる音を響かせて、暴れ狂う。
「返せ!! 私の目を返せぇ!! くそっ、なんで治らないのよ!? なんで!? くそっ、くそっ!!」
「へぇ……眉唾だと思ってたがマジで魔力を抑えんのか、この短剣。こいつは凄ぇや、掘り出しもんだったな。ははっ、それにしても随分と凶暴な女だなぁ? まあそれくらいの根性がねぇとやっていけねぇよな、なんせお前の行く先は──地獄なんだからさぁ!!」
腹の奥底を重く殴るような怒声を響かせ男は、手の中で遊ばせていた短剣を再び滑らせた。
馬車から降りた頃には高らかに昇り、じりじりと容赦なく肌を焼く太陽。過ごし易い季節になってきたが今日は随分と暑いなと苦笑いする男──ヴァルはふと、二年半前を思い出した。
……美しくなっていた、あの頃よりも一層。
まだ幼さを多く残していた当時とは違い、緩急自在の曲線が全身を縁取り、手入れの行き届いた爪の先までも艶めいていた。あどけなさの中に見え隠れする品の良い色香は、男女も老若も問わずに人を魅了してしまうだろう。思いがけず近寄れば甘い香りが鼻孔から脳まで侵入し、軽い眩暈を覚えた程だ。
あれでまだ男を知らないと言う。『女』になれば一体どれだけの人間を翻弄するのだろうか? なんとも恐ろしい。
「まあ……中身は変わってなさそうだったけどな」
口元が緩む。あれは傑作だった。知らなかったとは言え王太子に啖呵を切るなんて、本当に面白い女だ。
一頻り笑ってからヴァルは辺りを眺め、口端を歪めて独り呟く。
「あの時と一緒……か」
二年半前。
フィオネッタを乗せた馬車が通ったのと全く同じ道を駆け抜けた末に全てを失ったこの皮肉に、かつてサラーティカと呼ばれた女が気付く事は終になかった。
その日、いつになく早い帰宅の父と兄の姿に抱いた嫌な予感は、現実のものに。
「フィー、落ち着いて聞いておくれ」
そう前置きする父は、しかし先を言い淀む。僅かに躊躇い、渋い表情のまま重い口を開いた。
「……サラーティカの死亡が先程、確認された」
手から滑り落ちたティーカップが足元で、私に代わって大きな悲鳴を上げた。
悪い夢ならばどうか早く、覚めて欲しいと──




