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28『オルディアスとアレクセイと』


まだ、何か、思い出さなくてはいけない大事(だいじ)があるような気もするのだけれど、思い出したくないと強く思うのは何故なのだろうか……?



手離した意識の隅っこで、幼い私が泣いていた。わぁん、わぁんと、声を上げて泣いている。

「泣かないで……私が泣くと、お兄様が怒るの。だから……泣かないで……」

だけど小さな私はちっとも泣き止んではくれなくて、ほとほと困り果てた私も気が付けば一緒に泣いていた。


悲しいのか、苦しいのか。悔しいのか、怖いのか。それさえ思い出せないまま──




「ああ、やっぱりフィオネッタは可愛いなぁ……」

どんな夢を見ているのだろうか。腕の中、渋い顔で魘されているフィオネッタに熱い眼差しを注ぎながら、彼は恍惚と呟いた。


彼──アレクセイ・ライズ・クレイヴは、無慈悲に胸を灼く熱に酔って、歓喜し、身悶え、震えた。まもなくこの少女が手に入る。幼い頃より待ち続けた、自分だけの花。愛らしく美しく、暖かくて柔らかくて、身体中どこもかしこも甘く香る少女。


「早く、その身もその心も、私だけのものになればいいのに……」


産まれる前から王太子妃となる事を定められていたこの少女に、最初から関心があった訳ではなかった。

物見遊山か野次馬根性か。公爵邸を訪れる兄に同行したのは、ほんの気紛れだった。

だけれども産まれたばかりの彼女を一目見た途端、世界は一変したのだ。


鮮やかに色付き、眩しく輝いて匂い立った、彼の世界。


恋に落ちた。


どうしても欲しくなった。


だから、王太子になる事を望んだ。『王太子妃』になる彼女を得る為だけに、自ら面倒な人生を選んだ。

あの瞬間、彼女だけが彼の全てになったから。




「!? いやっ!! 何するのよ!?」

広い図書室に甲高く響き渡った、サラーティカの絶叫。見れば、軍服の男達が少女を取り囲み、腕を掴んで立ち上がらせていた。


事態の展開にやや置いてけぼりを食らっていた()()だったが、冴え冴えと輝くオルディアスの、殺傷能力の高そうな目配せに瞬時に我に返り、本来の任務へと意識を切り替えていた。

彼等の本来の職務、それは──


「サラーティカ・ラングス、王太子殿下への魔術の使用及び、首席公爵家ご息女フィオネッタ・モンドレイ嬢の誘拐とその人身の売買を企てた罪にて貴女を捕縛する」


陸軍に所属する近衛兵である彼等が遂行すべき職務は、王族を護り君主に仇なす者を捕らえる事である。

だが、そんな彼等の冷ややかな声音に怯むサラーティカではなかった。低く唸り、歯を剥いた。

「離しなさいよ!! 王太子なんて知らないわよ、なんなのよ!! 私はフィーの所に行きたいだけなの、邪魔しないで!!」

血走った眼がフィオネッタを求めて彷徨う。しかし無情にもそれを遮るように立つのはオルディアスだ。そしてその顔からは一切の感情が削ぎ落とされており、その声には人としての温かみが一欠片も存在していなかった。酷く事務的に淡々と、告げる。

「侯爵は英断を下された。サラーティカ・ラングスの侯爵家からの除籍が承認され、家名を剥奪。名もただのサラとなり、極東の修道院への送致が決定した」

「うるさい……、うるさいうるさいうるさい!! どうして私からフィーを取り上げるの!? どうして私とフィーを引き離すの!? フィーが私を大好きだって言ってくれたのに! やっとフィーが私を見てくれたのに!! ……嫌だ、嫌、嫌ぁ……フィー、ねぇフィー、嫌だ、嫌だよぅ、離れたくないよぉ……、……やめて、私に触らないで、フィーに触らないでよ!! フィーの側にいるのは私なの!! 私がずっとフィーと一緒にいるの!! 離せ、離せぇっ!!」

「連れて行け」

暴れ狂うサラーティカには一瞥もくれず男達に命じると、オルディアスはフィオネッタへと視線を移す。その瞳に蒼い炎を揺らめかせて。




「……それ以上、フィーに触れるな」

低い警告の後、アレクセイの視界は遮られた。サラーティカが余程うるさかったのだろう、眉根を寄せて呻くフィオネッタが身震いする程に可愛くて我慢出来ず、頬擦りしようと寄せた顔を無遠慮に鷲掴みにされたのだ。

「……ルディ兄さん、邪魔しないで頂けますか?」

なんて狭量な男なんだ……そう気色ばむも、体格差もあって純粋な力勝負では敵わない。ぐぐっと顔を後ろに押され仰け反っている間に、腕からフィオネッタを(さら)われてしまった。

「兄さんはいい加減に妹離れをなさるべきでは? 半年後にはもうフィオネッタは成人し、正式に私の婚約者となるのですよ」

「それはフィーの意思ではない」

「だからと言って、約束を反故にされるおつもりですか? ああ、それとも……既成事実でも作られますか?」

にっこり笑んでの安い挑発だったが、この手の話題になると何故か彼は口を(つぐ)む。


図星だからだろうか?

それとも、連れて逃げる準備は万端なのだろうか?


オルディアスに、口で言う程の余裕などない事は明らかだ。焦って苛立って、持て余した想いに狂っている事くらいアレクセイにはお見通しなのだ。


──自分と同じだから。


基本的に、オルディアスとアレクセイは似ている。

お互い、それは認めている。

但しお互い、『自分はあれよりはまともだ』と思い込んでいて、端から見ていればどっちもどっちで実に滑稽で、そういった所も非常に似ている二人なのである。


何せ、日常的に彼女を自室に監禁している男と、僅か八つにしてまだ四歳の幼子を連れ帰り自らの居城に幽閉しようと目論み失敗した男だ。

しかもそれぞれ、まだ誰も触れていないフィオネッタの奥深く、穢れのない神秘を拓いて手に入れるのは自分だと信じきっているのだ。


どちらも充分にまともではないだろう。




「それにしても……兄さんは彼女に手厳しい。そんなに憎らしいですか?」

「あの女の、フィーに対する執着心は異常だからな」


カインシェス辺りがいれば、

「どの口が言うのかなぁ?」

と突っ込む事必至であろう台詞を真顔で吐き出す。


オルディアスは従妹をとことん嫌っている。それがただの嫉妬だと気付いている者はそう多くないが。

サラーティカは父である侯爵と同じ色合いを持つ。ミモザの髪とグラナートの瞳。延いてはそれは、フィオネッタが敬愛して止まない母エメンダの持つ色に非常に似通っているという事。

それがオルディアスがサラーティカを嫌悪する理由で、叔父であるエリオンに対して冷淡になる理由。

ただ色が近しいというだけでフィオネッタに好意を持たれている少女が忌々しい。

そして彼女にその色をもたらしたエリオンもまた同じ。


子供じみた、なんとも愚かでつまらない理由だ。


「同族嫌悪ですかね? でもそれだと、私に対しても同じようなものなのでは?」

「……お前はあの女とは違って、フィーに好かれてはいないからな」

「あはは、下手なご冗談を。フィオネッタは恥ずかしがり屋ですから、十年前と同じように私からの愛の告白が嬉しくて照れて気を失ってしまったんですよ。ああ、この子はいつだって本当に可愛い……」


これは決して虚勢などではなく、心底そう思っているのだからなんともおめでたい頭だろう。さすがのオルディアスも僅かに顔を顰めている。

それで傷付くような男ではない事くらい百も承知だが。




「しかし、兄さんは止めると思ってましたよ。フィオネッタが私の事を思い出すのは兄さんにとって色々と都合が良くないでしょう?」

「この子が知りたいと望む事を私が取り上げる訳にはいくまい」


独り言のように呟いて、オルディアスは腕の中の少女にそっと触れた。すっかり穏やかになった寝顔は(いとけな)く可憐で、なのに時折覗く妖しげな艶がオルディアスの胸に燻る炎を容赦なく煽り立てる。


『フィーね、おにいさまがいちばん大好きなの』


太陽のようにそう笑った、幼い頃はあんなに素直だったというのに。

全くいつの間に、こんな頑固で意地っ張りになってしまったのか。


『──お兄様』


いつも、いつでも、何処にいても、必ずオルディアスを見付けては微笑む、その潤み輝く瞳で。夕焼け色に染まる頬で。胸に響く甘い声で。


全身全霊で恋しい、恋しいと、……愛しているのだと、強く強く、訴えるくせに。溢れ出る想いを隠せずにいるくせに。

それを告げようともしないだなんて。


どんなに待ち望んでいても、この腕の中に素直に落ちてきてはくれないなんて。


なんて酷い女になってしまったのか。



本当に、どうしてくれようか。こんなにも狂わせて溺れさせて離れられなくさせておいて、

「私から逃げようなんて、私を棄てるだなんて……絶対に赦さないからね、フィー」


僅かに口角を上げて、薄く、笑う。

その、人間離れした美しさが作り出す酷薄で凄惨な笑みに一瞬、アレクセイですら言葉を失った。




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