22『王立学園にて』
近頃なんだか、学園の生徒達の様子が変だ。生徒に限らず教諭達まで妙に浮き足立っているよう。
元々、好意的とは言い難い視線は常に感じていた。
どうしたって私は、毛色の違う悪目立ちする子供。
だから、好奇や物珍しさ……それと、疑惑の眼差し。
そんな不躾な視線が殆どだったのだけれど、今は何故だか少し違う雰囲気。
もっとこう、興味津々、どきどきそわそわ、みたいな。
何故だろう?
「おっ早う~、フィー」
馬車から降りた私に掛けられる、いつもと何も変わらない声。それにどれだけ私が救われているのか、感謝の念に堪えない。
「お早う、ステア」
「んふふ、フィーは今日も可愛いわね~」
「もう。ステアは今日も変ですね」
私が『可愛い』だなんて、本当に彼女は変な人だ。そんな事、身内以外に言う人なんていないのに。
それに私からすればステイシアの方がよっぽど可愛いし、美人さんだ。
伯爵家令嬢ステイシア・チェスカーノ、彼女は私の大切な親友。
肩口で切り揃えられた髪は艶やかなインディゴ。ウィスタリアの大きな瞳はきらきらと輝き、好奇心旺盛な彼女の魅力を最大限に引き立てている。
瞳の鮮やかさは魔力の大きさと比例する。
魔力を持たない私がそうであるように、ステイシアの瞳も薄くて控えめな紫。だけどとっても綺麗で、私は大好きだ。
同じ──と言っては彼女に失礼だけど、似た者同士、私達は会ってすぐに仲良くなれた。最初から私を色眼鏡で見なかった彼女に私は救われたのだ。
「今日も私服で、しかもハイカラー。また首筋に跡を付けられたのかな~」
「! お、大きな声で言わないで下さい。誰かに聞かれたら私、恥ずかしくて学園に通えません……」
学園規定の制服に身を包むステイシアが、私服登園の私をそんな風にからかう。凄く愉しそうな顔で。
学園では私服も一般常識の範疇であれば認められている。なので大抵の女生徒は思い思いの装いで通っている。ステイシアは『制服が楽』派らしく、スタイル抜群の彼女なら何を着ても似合うのに、そんな理由で制服一択だ。
いや、私だって二週間程前までは制服だったのだ。
どれだけ仕事が忙しくとも、帰りが遅くとも、二日にあげず寝室を訪れる兄は相変わらず私を大変に甘やかす。寧ろ糖度は増しに増した。
増したのは……キスの場所も。
勿論、今までと同じように額や瞼、鼻先に頬と順に唇を落としていくのだが、それで終わらなくなった。最近では首筋や鎖骨、……胸元までキスされる事も。
朝になって初めて自分の身体に残された跡に気付いた時の恥ずかしさと言ったらもう。
制服では隠せない所に跡を残されると結局、私服での登園になって、こうやってからかわれる羽目になるのだ。
彼女に気付かれたのは痛恨の極みだった。
その日、授業で珍しく汗をかいた私達は一緒にシャワーを浴びていたのだけれど、
『あ~、キスマーク』
『……ん?』
とんとん、と自分の左胸を叩いた後に私を指差して、ステイシアは意地の悪い笑みを浮かべた。
『オルディアスさんの独占欲って凄いね~』
『独占欲?』
『いや~、自分の所有物だって主張が強過ぎでしょ?』
『所有物?』
『かなり嫉妬深いのは知ってたけど~』
『嫉妬深い?』
『でもまさか、フィーが大人の階段登っちゃうとはね~』
『大人の……階段?』
一体、なんの話?
「どうしてそんなに嬉しそうなの?」
思い出すだけで体温が急上昇する。真っ赤になっているだろう私の恨みがましい視線もなんのその、ステイシアは魅力的な笑みを一層、深くする。
「だって本当に嬉しいんだもの。フィーの初恋が実っただなんて感慨深いわ~」
一人で満足げに頷く。
あの後、怒濤の質問攻めに圧されて迂闊にも馬鹿正直に答えてしまい、今では大抵の事は彼女に知られている。これはもう、恥ずかしいなんてものではない。当然、私がまだ兄に想いを伝えていない事も彼女は知っている。
「でもそうなると~」
そして、最近の彼女の関心は専ら──
「子供服はさすがに気が早いかな? 第一オルディアスさんの性格考えたらナシだよねぇ。あの人、子供とか好きじゃなさそうだし、ずっとフィーを独り占めして膝の上に乗っけてキスしまくって抱き締めていたい人だもん。フィーの誕生日まで半年切ったから、出来れば今の内にある程度の種類は取り揃えておきたいんだけどなぁ……単純にフィーに新作の服を贈るって手もあるだろうし、後でカタログ取り寄せてオルディアスさんのスケジュール確認して……」
「ステア、ステアってば! もう、目がお金になっていますよ!!」
さすが、国内の商売人達を取り纏める総元締めにして国外の商談・取引にまで多大な影響力を持つ『チェスカーノ大商会』の跡取り娘。けたたましく算盤を弾く音が確かに聞こえた。これはまた、お兄様にあれこれ売り付けるつもりなのだろう……
「あ、ごめんね。フィーの誕生日プレゼントは何にしようかなって思って~」
てへ、って舌を出して笑う貴女はとっても可愛いのだけれど、悪巧みは程々にして欲しい──そう嘆息していると。
「相も変わらず、君達は仲良しですね?」
急に後ろから声を掛けられて少し驚いた。
「あ、クレイル先生。お早うございます」
「お早うございます~」
「はい、お早うございます、フィオネッタさん、チェスカーノさん」
そこに立っていたのは、品の良い美貌に暖かな笑みを浮かべる年若い男性。
ライオット・クレイル。
臨時教諭として三年程前から月に数日、教鞭を執る彼は、その瞳が示すように魔力を持たない平民である。
曰く。
「元貴族なんですよ。もう何代も前に爵位を返上したので、私自身は貴族だったという意識は全くないですね」
そう笑うが、エルブと呼ばれる薄い緑の瞳は穏やかながらも強い光を持ち、非常に整った面立ちには隠し切れない高貴さが漂う。歴史を得意とする彼の知識は学園の教諭にも引けを取らず、優しい語り口も相俟って平民の生徒達からの評判はなかなかに良い。
……それにしても、私達三人が並んでいるとやはり目立ってしまうようだ。
貴族から平民に成り下がったと陰口を叩かれる教諭。
貴族でありながら過去一度も貴族との婚姻を結ばず、魔力を有さない『変わり者伯爵家』の令嬢。
そして、公爵家令嬢としての要素を何も持たず、未だ出生を疑われている私。
だから嫌でも注目を集め、今も大勢の生徒に遠巻きに眺められている。
「フィオネッタさんが最近、益々美しく魅力的になられたので皆、目が離せないんですよ」
私の心を読んだように先生がそんな事を言った。
「そうそう。この頃フィーってば色気だだ漏れで~、男子達はどきどき生唾ごっくんなのよ」
次いでステイシアまで妙な事を言い出した。色気って、一番私に縁遠いものでは?
「……ふふ、ステアはともかく、先生がそのようなご冗談を仰るなんて」
数秒、考えた後、思わず私は吹き出してしまった。そんな理由で私が人目を集めるだなんて有り得ないもの。だからとても可笑しくて。
「フィーは本当に自分の事、全然分かってない~」
なのに何が不満なのか。大袈裟に嘆くステイシアは唇を尖らせて、私を睨み付けた。
始業十分前の鐘が鳴って、私はステイシアの服を引っ張った。教室へと駆け出そうとした背中に声が掛けられる。
「ああ、フィオネッタさん。今日も図書室の整頓を手伝って頂けますか?」
「はい、勿論」
振り返って即答すれば、先生は嬉しそうに笑う。
「あれれ、先生とはいえ男の人と二人きりだなんてオルディアスさんにバレたら、今夜もいっぱいマーキングされるよ~、大丈夫?」
「も、もう、何を言ってるの!? ほら、授業に遅れるから──あの、先生、それでは放課後にまた」
「ええ、図書室でお待ちしていますよ」
これ以上ステイシアが余計な事を言わないように、私は強めに彼女の腕を引いた。そんな私達を楽しげに眺める先生は、いつもと同じように見えた。
けれど、後になって私は考える。
もしこの時、先生のほんの僅かな違和感に気付けていれば、あんな結末は回避出来たのではないかと。
どうしたってもう意味のない事を一人、考えた。




