21『利害の一致』
「なんでルディの所に殿下が来るんだい!? フィーの父親は僕だよ!! 僕が許可しない限りフィーはお嫁さんには行かないからね!!」
突然、我に返ったカインシェスが猛然と立ち上がり抗議の声を上げた。四十半ばの男がぷりぷりと怒っても何一つ可愛くない。
そもそも他所へ嫁に出す気など更々ないくせに。
「父上、素が出て一人称が『僕』に戻っていますよ」
元々、『フィーに尊敬される、威厳のある父親でありたい』とか割とどうでもいい虚栄心から、本来の『僕』ではなくわざわざ『私』という一人称を使っているのだが、たまにこうやってあっさりと襤褸を出す。
慣れない事はするものではない。
因みに仕事では立場上、『私』を使う事を求められているそうだ。
「正気に戻られたのなら、どうぞお掛け下さい。私からもお話があります」
「彼女の事かい?」
息子の冷ややかな眼差しにも涼しい顔。明日の天気でも訊く程度の気安さで応え、カインシェスはソファーに腰を下ろした。
「さすが、ご存知でしたか」
「まあね。一応、僕の方でも幾つか目を張っているからねぇ」
「本当にあの子はもう……あの夢の意味が分からないなんて事はないでしょうに」
エメンダは本格的に頭が痛くなってきたようだ。深い皺が刻まれた眉間をせっせと揉み解している。
「まあ、とことん頭が悪いのでしょう。勝手に自滅する分には構わないのですが、フィーの甘さに付け込んで更なる暴挙に出るというのであれば看過は出来ません。……潰します」
「潰すだけなら、簡単なんだけどね」
なんとも物騒だが、カインシェスの表情はどちらかと言えば沈痛だ。
「……エリオンが早々に見切りを付けていれば、このような面倒にはならなかったのよ」
「彼は優しいからね。どんな娘でもやっぱり娘は娘なんだよ、何があってもね。……その気持ちは、僕にも分かるよ」
口ではそう言っても、生まれ育った家の事、双子の弟や姪の事だ。どちらに転ぶか不透明な現状での心痛はいかばかりか──項垂れるエメンダの肩を優しく撫でながら、カインシェスも苦い思いを抱いた。
娘を切り捨てなければ、侯爵家に明日はない。『知らなかった』『気付かなかった』では済まない。もし王太子が本気で動くならば、フィオネッタへの攻撃は即ち王家に弓を引く行為となるのだから。
だからエリオンは当主として判断を下さねばならない。
娘を見限り侯爵家を存続させるのか。
それとも一族揃って断罪されるのか。
だが、果たしてエリオン・ラングスにそれが出来るのか、オルディアスは疑わしく思う。
「父上、今回の事は私に任せて頂きたい」
「巧くやらないとフィーに感付かれてしまうよ?」
フィオネッタの最大の欠点が、『身内に甘過ぎる』事。
例え命を脅かされたとしても相手を赦すだろう。
父母を深く敬愛する彼女は、叔父であるエリオンの事も心から慕っている。そして彼と同じ色を持つ従姉妹さえも愛そうとする。
オルディアスには理解不能だが。
だからサラーティカに何かあれば悲しむ。
それが父や兄の仕業だと知れば、きっと赦さない。
泣かれて、責められて。
嫌われてしまうだろう。
それだけは、カインシェスもオルディアスも絶対に避けたいのだ。
「あの子はあれで、なかなかに聡い。僕、とばっちりを食うのは御免だからね?」
「……勿論、心得ております」
にこやかに微笑んで極太の釘を刺す父に、これまた誰もが見惚れる極上の笑みで応える息子。
両者の間に迸る火花を確かに見て取って呆れるエメンダは一言、
「本当、似た者同士だわ……」
と疲れた様子で呟いたとか。
自室に戻ったオルディアスは灯りも点けず、開け放たれたままのバルコニーへの扉を黙って見つめた。その時、不意に吹き込んだ強い風に弄ばれたカーテンが狂ったように踊り、オルディアスの視界を遮った。
「……そろそろ来る頃だとは思っていたが」
風が収まり、長い静寂の後、オルディアスの口元に嘲笑めいたものが浮かぶ。答えは返らない、だが気にも留めず続ける。
「成る程、警戒心が強いものだ。どうやら随分と手酷い目に遭ったようだな」
喉を震わせて嗤えば、暗闇の奥、僅かに気配が揺らいだ。
「他人事だからって笑ってんじゃねぇよ」
低く唸る、若い男の声。
「あのクソ餓鬼、殺しまで俺等におっ被せやがって。あの馭者のオッサンは自殺だろうが。お陰で国境越えんのも一苦労だったんだぞ」
「二年半も警護団からよくも逃げおおせたものだ」
「散り散りに逃げたからなぁ。そのせいで、何人か死んだ……殺された」
ぽつりと呟いた、そこに凄惨なまでの憎悪を滲ませて。
一向に目が慣れる事のない深く遠い闇の向こう、鋭さを増す、限りなく黒に近い緑。
「あちらさんとはもう話は付いてる。後はあの馬鹿女が動くのを待つだけだ」
闇が一際に激しく揺れた。
隠しきれない憤怒が陽炎のように立ち上り、闇を震わせている。
だが、それも一瞬の事。すぐに男の声は飄々としたものに変わる。
「ああ、そういやぁ……フィオネッタ」
その一言にピン──と、空気が張り詰める。
「まだまだ餓鬼だが、随分と良い女になってやがる。あんたがまだ手ぇ出してないってのはちょいと意外だが、ぐずぐずしてるなら俺が貰うぜ?」
もしこの場にチェインが居合わせたなら、再び泡を吹いて失神したであろう。
殺気立つ──などという生易しいものではない。
耐性のない者が真正面から浴びたなら、そうと気付かない内に死ぬだろう。胴体から離れて転がり落ちる己の頭にも気付かないまま。
「はは、怖えなぁ? 次期当主様。そんなに大事なら首輪でも着けて繋いでおけよ」
静かに怒り狂うオルディアスをそんな風に嘲って、男の気配は闇の中へと溶けていった。
後に残されたオルディアスは乾いた眼差しのまま、独り、呟く。
「……ああ、本当にもう、このまま何処かに閉じ込めてしまおうか……」
誰もいない所に。
誰も知らない所に。
自分だけが触れて、撫でて、愛でられるように。
誰にも気付かれないように。
誰にも見付からないように。
騙して、奪って、隠して。
そうして、二人だけで愛し合えたならば──
それは昏くて、歪で、なんとも甘美な囁き。
ぽっかりと空いた胸にじわりじわりと染み込み、潤い、狂気にも似た歓喜を与える。
だけどその囁きは闇に吸い込まれ、儚く霧散していった。決して誰の耳にも、届く事なく。




