0『閑話・ウェルシーの憂鬱』
【フィオネッタの心配事】
「あの、私がもし、その、十五歳になって、妖精……となったのなら、人と同じように老いてはゆけないのでしょうか?」
オルディアスに続いて見送りに出て来たフィオネッタは開口一番、こう訊ねた。不安なのだろう、ウェルシーを見上げる瞳が揺れている。当然のように側に寄り添い、慣れた手付きで少女の腰を抱き寄せるオルディアスが少々……いや、物凄く目障りで不愉快だが、フィオネッタは頬を染めながらも抵抗する素振りは見せない。それならば仕方ないと内心、盛大に嘆息しつつも平静を装ってウェルシーは答えた。
「いや、ある条件を満たしさえすれば大丈夫な筈だ。俺の妹もそうして人間の妻となり、人間と同じように老いて死んだ」
「そうですか……良かった」
「妖精は長寿だぞ、そんなに嫌か?」
大いに安堵したのか、フィオネッタは表情を和らげ、小さく息を吐き出した。
それが気に食わないウェルシーが唇を尖らせて問えば、
「だって、独り残されるのは寂しいですから」
と答えた。人間との関わりを持たないウェルシーにはよく分からなかったが、人間として生きる道を選んだ娘が眩しく、いじらしく愛おしく思えて、表情は柔らかなものへと変化した、が。
「具体的にはどうすれば良いのですか?」
「!! そ、れは……だな」
との問いに心底、狼狽えた。
いや、まあ、簡単な話だ。
簡単……なのだが、教えて良いものか自問する。
この超弩級の箱入り娘に、それに至る過程が果たして理解出来るものなのか疑わしい。そもそも、人間だろうが妖精だろうが、一体どこの世界に、
『人間と結ばれて、その男の子を産めばいい』
などと可愛い娘に奨める男親がいるというのか?
しかも、その相手の筆頭候補が目の前にいるのに。
「私にも何か出来る事はありますか?」
だがウェルシーの葛藤など知る由もないフィオネッタが、期待に満ちた瞳をきらきらと輝かせ、重ねて訊いてきた。
どうすれば良い!?
どう答えれば!?
最愛の妻に瓜二つの娘にぐいぐいと迫られ、完全に大混乱の妖精王である。
しかも、
よくよく考えてもみれば、妹以外に実践したやつはいないのだから、それが正解とは限らないんじゃないか!?
と気付き。
加えて、
訳知り顔で喉を低く鳴らして笑うオルディアスが、それはもう、噛み付いてやりたいくらいに憎ったらしくて。
そうしている内に思考は混迷を極め。
「あ……相手のいる事だから、その……とにかく、十五まで、待て」
結果。
しどろもどろで曖昧回答というていたらくに終わった。
へにょ……と眉を下げるフィオネッタに、年頃の美しい娘を持つ父親の苦悩やもどかしさをこの日、初めて理解したウェルシーであった。
【アリアス・ラ・リリスの歓喜】
『兄様!! 見付けた!! 見付けたのよ、兄様!!』
『……は?』
ウェルシーは面食らう。長らく引き籠っていた妹の、数千年振りに顔を見せるなりの第一声がコレだとは。
それより何よりウェルシーを驚かせたのは、妹の変貌ぶりだった。
彼女はおおよそ感情というものとは無縁だった。
何が起こっても、笑わず泣かず、喜ぶ事も怒る事もなく、ただ長い年月を無為に生きていた。誰にも、自分にも、興味も関心もなかった。
妖精族の中でも飛び抜けて強い魔力と妖艶なる美貌を持っていても、空虚な彼女には誰も寄り付かなかった。
そんな彼女が、太陽のように笑んだのだ。光輝くマリーゴールドの髪を躍らせ、鮮やかなロイヤルブルーの瞳を潤ませて、まるで初恋に酔う少女のように身を震わせたのだ。
『ねえ、兄様!! 私、行くわ、あの人の所へ!!』
『は!? おい、待てアリア!!』
制止など聞く筈もなく。
一瞬にして妹の姿は、ウェルシーの目の前から掻き消えてしまった。
行き場を失った手を宙に浮かせたまま、ウェルシーは絶望的な気持ちで天を仰いだ。
感情を知らなかった彼女が、あれ程の歓びを制御出来るとは到底、思えない。
だけど誰が彼女を押し止められるというのか?
彼女は最強だ。
誰も彼女には敵わない。
だから──ウェルシーはすっぱりと諦めた。
全てに飽きて帰って来るのか。
行った先で幸せになれるのか。
どちらになるかは分からないけれど、どうせなら幸せになれば良いなと心底ウェルシーは思った。
それから彼女が愛する人と結ばれ、添い遂げ、穏やかなる日々を過ごし、人と同じように死ぬまで、凡そ八十年。妖精にとっては瞬き程の時間だったけれども。
『兄様、私、エディと一緒に生きて、幸せだったわ』
老いてすら美しい彼女の最期の言葉と微笑みは、ウェルシーに初めての痛みと寂しさを教えた。
そして、小さいけれど暖かくて柔らかい魂がそんな彼の心を癒すまで後、三千年と……少し。
【妖精の園にて】
「ああ、お帰り、ウェルシー」
玲瓏と響く女性の声。
顔を上げたウェルシーの目に飛び込んでくる、直視も憚られる程に輝く美貌。
ローズレッドの長い髪は水を纏ったように艶めき、同色の瞳には深い知性が滲む。
整った眉に大きな目。柔らかく尖った鼻と潤んだ唇。全てが寸分違わず正しい場所に配置され、その美しさに誰もが『完璧だ』と唸るだろう。
「どうした? ふふ、お前は本当にこの顔が好きだな?」
返事も忘れて見惚れているウェルシーをそんな風にからかって、その美しい女性は朗らかに微笑んだ。
好きに決まっている。
ウェルシーは生きてきた時間の殆どを、彼女を口説く為に費やしたのだ。
「悪いか? 俺にとってお前以上に美しいものなどないんだからな、ウィルマ」
不貞腐れて呟くウェルシーに彼女は、今度は声を上げて高らかに笑った。
ウィルマ・ラ・モナ。
それが彼女の名前。
美しき妖精の女王であり、妖精王の賢妃であり、人間として生きるフィオネッタ──フィリアの母親である。
「それで。どうだった? 私達の娘は可愛らしかっただろう?」
「当然だ! 俺とお前の娘だぞ!!」
即答である。その勢いにウィルマは思わず仰け反ったが、何故だか苦い顔の夫に首を傾げた。
「何かあったのか?」
「……アリアがいた……」
「ああ、先祖返りか。随分と久しいな、もう長らく産まれていなかった筈だからな」
懐かしいと目を細めるウィルマだが、ウェルシーは顔を顰めて首を振った。
「違う。あれはアリアスだ。アリアスそのものだった」
オルディアス・モンドレイ。あの男は危険だ。あの男の執着心は世界を滅ぼす。決して比喩ではない。フィオネッタをもし失うような事があれば、その結末は確実に訪れるという事だ。
「そうか。私達の娘が、その男の唯一の抑止力になっているのか。それは素晴らしい」
「フィリアが側にいる限りは大丈夫だ。異常な執着心も独占欲も依存も、あの子なら全て受け入れてくれる」
「そうか……凄いな、私達の娘は」
呟くウィルマの声は誇らしげで、どこか少し……寂しげであった。
「……危険極まりない男だが、フィリアを大切に想い、護り愛する事は間違いない。俺にもそう宣言したしな」
だが、あの病的な束縛や嫉妬はなんとかならんものかと思う。魔力を家中に放ってフィオネッタを監視しているし、常に魔力の繭のようなもので彼女を包み込んでいる。日常的に自室に彼女を監禁していると聞いた時には正気を疑った。更に父親であるウェルシーが軽くフィオネッタの頭を撫でただけで、
「強烈な魔力を飛ばして来やがった」
威嚇である。
「しかもあの男、その後ぬけぬけと、『私の為にフィーを産んで頂いて感謝します』などとぬかしやがった。あの澄ました顔を何度、殴ってやろうと思った事か」
「ふふふ。今までの先祖返りを思えば、なんと幸せな男だろうな。初めてだろう? 愛する人を見付けられた者は」
先祖返りが魔力以外にもアリアスから受け継ぐもの、それは誰かを愛したい心。
だけれども、今までの先祖返りに、その誰かを見付け出せた者はいなかった。誰も彼も皆、心を知らないまま死んでいった。空虚なまま、ただ一人に捧げる愛だけ置いてけぼりにして。
その繰り返しの中、産まれた最凶の先祖返り。
長い年月を経て産まれた妖精王の美しい娘。
まるで奇跡のような二人はきっと、出逢うべくして出逢ったのだろう。
「……先祖返りはもう二度と産まれないな。やっと、アリアスの想いは成就されたんだ。いずれ命尽きたなら、魂は此処に帰ってくる。……その時が楽しみだ、やっと娘を抱き締めてあげられる」
「そうだな……。なあ、ウィルマ。フィリアは本当に良い娘に育っていた。はは、まさか人間に感謝する日が来るとは思わなかった」
遠い昔、愛する人と共に生きた妹。
もう一度、人を愛したいと願った妹。
どうか今度こそ、三千年にも及ぶ彼女の想いが昇華されますようにと。
突き抜けるような青空に、ウェルシーは願った。




