17『ウェルシーの誤算は……』
我が子可愛さに妖精王は手段を間違えてしまった。それが『取り違え子』の本当の意味。
「初めての子だったんだ。笑えるだろ? 何千年も生きていて子を授かったのは初めてだったんだ」
取り替えた子を孤児院の前に置いたのは、せめてもの罪滅ぼし。
気の毒に思ったのも事実で、僅かだが『妖精の加護』も与えた。
成長すればいずれ、公爵家の娘だと誰かが気付くかもしれないけれど。
「その時は好きにすれば良いさ。戻っても戻らなくても。どうせウィルマの娘は公爵家から消えるから」
「消える……って?」
「十五年だ。十五年で完全に器と魂が融合する。そうすれば連れて帰れる。やっとウィルマに娘を抱かせてやれるんだ」
使ったのは死んだ人間の身体だったのに人間というのは存外にしぶといもので、死んだ後も異物を拒んだ。
だから少しずつ、少しずつ。
時間を掛けて魂を馴染ませる必要があった。
細胞の一つ一つを妖精のそれに塗り替えていく作業は地味に緩やかに、しかし着実に行われていった。
「お前が十五になれば連れ帰るのが俺の役目だ」
「でも、私が十五歳になるのはまだ半年も先で」
何故、今日、迎えに来たのだろうか?
「お前……妖精の力を使っただろ?」
思いがけない言葉に私は驚き、首を横に振る。
「え? 妖精の力? いえ、私はそんな力は……」
「無意識か。じゃあ思い出してみろ、感情が昂ったり、恐怖した事があった筈だ」
そう問われれば思い出す、二年と半年前。怒りに狂った日と、恐ろしさに震えた日。
「俺達が想像していたよりもお前の魔力はその身体に馴染んでいた。そして驚く程に……綺麗だった」
ウェルシーはうっとりと目を細め、私を見た。私……いや、私の向こう、誰かを。
さて、ウェルシー曰く。
その時の魔力の波動が他の妖精達にも伝わって、早めに私を連れ戻すか否かの議論が巻き起こったのだそう。結果、あれだけの魔力ならば妖精達との生活に問題はないと判断され、今回ウェルシーが遣わされたという事らしい。
「……あの、それは二年以上も前の事ですよね……?」
だったらその時に訪れるものなのでは?
そんな疑問が届いたのか、ウェルシーはなんとも言えない表情を浮かべた。
「いや……妖精ってのはとんでもなく長寿なんだよ」
妙に歯切れの悪い様子でモゴモゴと呟くが、それは知っている。先程も『何千年も生きていて』発言があったし。
「だからか、その、時間の概念? そういうのが疎いっていうか鈍いっていうか……」
決まったのが二年以上前。動いたのが今日。
要するに、
「時間の使い方が大雑把……?」
「うぐっ!! こ、これでも早く動いた方なんだよ」
まあ、何千年と生きる彼等にとってみれば、二年など刹那にも満たない時間でしかないのだろうけれど。
「それで貴方が私を迎えに来られたのですか?」
「そうだ。お前を連れ帰ってウィルマに引き渡す。その為に来たんだ」
ウェルシーが手を伸ばす。私に向かって、真っ直ぐに。
「……来い。この世界はお前には窮屈だ。泣くくらいなら棄てれば良い」
ああ……二年前も、そう言ってくれた人がいた。
だけど、私はもう──
「いいえ、私は此処で生きていきます。辛くても、悲しい事があっても、それでも私は、愛する人達の側で生きていきたいのです」
「……十五になればお前は妖精としての自分を取り戻す。今までのお前とは違ってしまう。そうなれば更に苦しむ事になるぞ。それでもか?」
私を気遣う黄金の瞳の、優しい揺らぎが胸に迫り、泣き出したくなる。
知らない筈の故郷への憧憬がそうさせるのだろうか?
それともその瞳が、何故かとても懐かしいからなのか?
だけどそれでも、赦される限り私は人間として生きたい。愛する人達と共に。
この場所で。
「ああ……、分かってる、分かってるさ」
しっかりと頷く私に苦く笑って、ウェルシーは天を仰いだ。
「誤算だらけだ。全部分かってて全部受け入れるとか、……そんな人間もいるんだなぁ」
どこか羨むような、妬むような、歯痒さを含ませた視線を私の両脇に立つ父母に向けてから、ウェルシーは表情を改めた。
「後悔はしないな?」
私はもう一度、頷く。
「まあ良い。どうせ数十年もすればお前の魂は妖精達の元へと還る。……昼寝でもしながら、その時を待つ事にするさ」
それはウェルシーが初めて私に見せた、晴れやかな笑みだった。
「妖精王」
呼び止められて、ウェルシーは振り返った。今の心境を如実に表しているその顔は、苛立ち混じりの苦々しさ。
「貴方には感謝しているのですよ」
「はっ! 感謝だって?」
「ええ。貴方の愚挙のお陰で、私は労せずにあの子を手に入れられましたから」
愚挙だと断言したその口で、続けざま感謝を述べるその神経を疑う。だが鋭さを増すウェルシーの眼差しなど意にも介さず、いや……元々、目に入ってもいないのだ、彼はただ優美に笑うだけ。
「安心して下さって結構ですよ。貴方の分まで私があの子を今以上に護り、生涯を懸けて愛しますから。死んでも尚、愛し抜きますから」
「頭イカれてんな。……お前、先祖返りだろ?」
肯も否もせず。ただ笑む。
目も醒めるような鮮やかなロイヤルブルーの双眸に、昏い炎を揺らめかせて。
「……その目、その顔。気味が悪いくらいアリアにそっくりだ。エディを追い回していた頃のあいつに」
「ああ、妖精姫のアリアス・ラ・リリスの事ですね? 創国の英雄王ヘンドリック・ロルフ・クレイヴの妻で、妖精王ウェルシー・オ・ウェルツ──貴方の妹御だ」
ぞっとすると吐き捨てるウェルシーに応えるオルディアスは笑みこそ絶やさないが、そこにはなんの感情も窺えない。そしてその声は抑揚なく淡々。
「くそ、これが最大の誤算だった。娘を育てさせるには最適だと思った公爵家で先祖返りが起こっていたなんて……最悪だ」
先祖返り。妖精姫と呼ばれた初代王妃の血を色濃く継いだ、比類なき魔力を誇る化け物。また、その容姿も人間ではあり得ない程の美しさで、他者を堕落させ争いを誘発し、幾つか国を滅ぼした過去もある。
そして何よりも恐ろしいのは倫理観や良識が破綻し、他者や自身への一切の感情が欠落している事。
モンドレイを始めとする五大公爵家にのみ数百年に一度、このような極めて厄介な存在が産まれるという。
「今まで見た先祖返りは誰もお前程に壊れていなかった。お前はアリアそのものだ。一途で純粋で惜しみない愛を注ぎ見返りを求めない。だが裏を返せばそんなもん、たった一人に強く執着し、過剰な独占欲と独り善がりの愛情を押し付けるだけの、傍迷惑な依存でしかない」
「誉め言葉として受け取っておきますが、私がフィーを誰よりも深く愛しているのは紛れもない事実ですよ?」
「それだ、それ」
「? 何がですか?」
小さく首を傾げる姿は幼くも見えるが、当然そんなものに誤魔化されるウェルシーではない。噛み付きかねない勢いでオルディアスを追及する。
「何故、知っている!? お前が付けたっていう名前は」
「フィリア・オ・ネイト。ああ、我々人間の発音だと『フィオネッタ』、となりますね」
「くそ!! やっぱり分かってて付けたんだな!? なんで俺が付けようと思っていた名前が分かったんだ!?」
絶叫し、ウェルシーは乱暴に髪を掻きむしった。だがその瞳に浮かぶ、
『こいつ、本当にアリアスそのものなんじゃないのか……?』
という怯えを見て取って、オルディアスは少しだけ口を歪めて──薄く、笑った。




