11『迫る危機』
ガタン、ガタンと不規則に続く振動で目を醒ました私は、まだ重い頭をなんとか持ち上げて辺りを見回した。すぐに馬車の中だと気付いたけれど、どうにも見覚えのない──でも心当たりはある内装だった。
そもそも私が乗ってきた馬車は非常に簡素なものだ。実際にサラーティカにも鼻で笑われたし。
『いけません! これは使用人が買い出しなんかに使う馬車なんですから、お嬢様がお乗りになられるようなものではありません!!』
と断固反対するチェインを巧みに言い包めて……いや、丸め込んで? ええと違うな、懐柔じゃなくて……説得、そう、説得して使わせて貰ったもので、実用的というか至って飾り気のない車内だったのだ。
だが、これは違う。
高位の貴族が好む絢爛さで、高さも広さも充分にあり、座席のクッションもとても柔らかくてお尻に優しい。目が痛くなるくらいの華美な小物類が叔母様の趣味丸出しで、それさえなければ快適なのにと思わず苦笑する。
いや、そんな事よりも。
……やっぱり、あの紅茶だろうか?
それしか考えられないが、まさかサラーティカがここまで短絡的な行動を取るとは──そこまで愚かだとは、思わなかった。
幸いだったのは手足が自由な事だろう。縛られていたらさすがに少しは焦る。
しかし、これだけ上等な馬車がこんなにも揺れるとは、随分と悪路を行っているようだ。恐らく薬の影響だろう続く眩暈と悪戦苦闘しながらなんとか前方の小窓を覗けば、馭者の男が一人。当然、マリウスではない。
さて、どうしたものかと思案する。こんな状況だと言うのに存外と落ち着いている自分が少し可笑しかったけれど。
その時、俄に馬車の外が騒がしくなった。耳をすませば聞こえてくるのは、激しい蹄の音と複数の男達の叫ぶ声。
すると馬車が激しく左右に揺れ、急に減速をし始めた。どうやら取り囲まれたらしい。暫くの間、馭者と男達の口論が続いたが、怒号と悲鳴が入り乱れた後、全ての音がぴたりと止んだ。
その静寂のなんと恐ろしい事か、変化を待つしか出来ない現状が歯痒い。
ややあって、一人の男が馬車に乗り込んできた。殺伐とした気配を纏い、なんとも粗野な風体だが、よく見ればまだ年若く非常に美しい顔立ちの男だった。身形さえきちんと整えれば貴族と言っても通用するだろう。だが、
この男が、馭者を殺した……のだろうか?
そう考えるとやはり、怖さが何よりも勝った。強張る私の顔をじっくりと眺めた後、
『へぇ……成る程ね、こりゃあ高く売れそうだ』
返り血を浴びた顔を歪め、男はそう嗤った。
その頃、チェインとマリウスは焦りと激しい怒りに震えていた。
『ああ、くそっ、本当に性根腐ってやがる!! チェイン、とにかくお嬢様を追うぞ』
『馬より私の方が速い』
言うなり、チェインは大きく息を吸い込み、自身の魔力を体内に循環させた。
呼応するように次第に細くなる瞳孔が、まるで猫のそれのような鋭さを得る。ものの数秒で全身に魔力を浸透させると、軽く地を蹴って高い壁へと飛び上がった。
それは人に在らざる跳躍力。
『お嬢様は三時の方向。マリウスさんも馬車で追って』
言うや否や、そこを足場に更に蹴り上がり、次は建物の屋根へ飛び移った。
『うおっ、さすが山猫。……外見はどっちかって言うと山猿だけどな』
マリウスがそう軽口を叩いた頃にはチェインの姿はもう何処にもなかった。
『……どなたですか? 私に一体どのようなご用件でしょうか?』
声の震えを必死に捩じ伏せ私は平静を装って訊ねたが、そんな虚勢は男にはお見通しなのだろう。わざとらしく目を瞠ってから皮肉げに口端を上げた。
『聞いてたのとは違うが、お前……面白いな?』
何が面白いのかさっぱり分からず眉を寄せるが、男はお構いなしに近付くと私へと手を伸ばしてきた。
大きな、男の手。人を殺したのかもしれない手。
捕まる。逃げられない。そう理解したら身が竦んで。
だが、その瞬間──
眼前で弾けた光、それは明確な意思を持っているように見えた。強烈な静電気を思わせる稲光が男の手から私を護るように間に割って入り、激しく瞬く。
一体何が起こったのか?
突然の事態に驚き、呆然とする私だが、それは男も同様だったようだ。
しかし僅かに反応が違う。
何故だか男は大きく目を見開き、私の顔を凝視していた。
『……なんだ? 何が起こった? お前のその眼、色が……変わった?』
『痛っ!?』
呟くと男は、荒れ狂う火花に指先が焼け焦げるのにも構わず、強引に私の腕を掴んだ。その力の強さに思わず悲鳴を上げるが男には聞こえていないらしい。食い入るように私を見続けている。
『なんだ、これ? 金色の眼なんざ……初めて見た』
何を言っているのか? それよりも腕を離して欲しい。
……眼? 私の瞳に何か異変があったのだろうか? 確かめようがないが、何故だろうか、あの時と同じように強い熱を感じる。
灼けつくように瞳が熱い。
『すげぇ……なんて綺麗なんだ、こんなの見た事ねえ。ああ、まるで太陽の欠片だ』
困惑する私を他所に、男は眩しそうに目を細め恍惚と呟いた。そのさまはなまじ整った容姿を持つだけに狂気じみて見えるが、輝く瞳は待ち焦がれた玩具を得た無垢な幼子のよう。そのちぐはぐさが余計に私の恐怖を煽る。
『気に入った。売り飛ばすのは止めて俺のものにする』
『!? 正気ですか!? こんな乳臭い餓鬼、』
男より幾らか年長の男が仰天した様子で目を剥くも意に介さず、妙に興奮した様子で男は続ける。
『今はな。だが四、五年もすりゃあこいつは、むしゃぶりつきたくなるくらいのいい女になるぜ』
そう言う男の長い前髪から覗く猛禽類を思わせる鋭い眼が、私の輪郭をなぞるように動いた。全身を舐め回す視線に嫌悪感を覚えささやかな抵抗を試みるも、しっかりと腕を掴まれたままでは顔を背けるのが精一杯だ。
『今すぐ手ぇ出すのもアリだがな。まあ、お楽しみは取っておくもんだろ?』
喉を鳴らし低く嗤うと、男は勢いよく私を引き寄せた。
え? と思う間もなく私は引っ張り上げられ、男の胸に顔から突っ込み抱き着く羽目に。すかさず背中に腕を回されて、そのまま強く抱き締められて、混乱の極みである。
『な、な、何、を』
『ああ、すげぇ良い匂いだ』
『ひゃわあっ!?』
しかも、私の髪に顔を埋めた男がくんくんと、髪から耳の後ろ、項まで匂いを嗅いで、首筋に甘く噛み付いたのだ。
──なんて事をするのか!?
こんな事、他の誰にもされた事ない……いや、似たような事ならお兄様にも普段からされているか? でもさすがに噛み付かれた事はない、筈。
……それはそれでどうかとも思うが。
とにかく。恥ずかしさで爆死しそうな私は涙目ながら、思いっきり怖い顔を作って男を睨み付けた。
なのに、だ。
何故、顔を赤らめる?
『……お前……、餓鬼のクセに男の煽り方を知ってるとか、質が悪いな?』
『……はぁ?』
意味が分からない。男の煽り方って、何だ???
時折、お兄様もそのような事を言う。
『フィーは私を煽るのが本当に上手い』
白皙の頬をうっすらと色付かせて、目も眩む程に妖艶な笑みを浮かべて、嬉しそうに言うのだが……訳が分からない。
『くそ、時間がありゃあなぁ……』
『冗談はそのくらいにして下さい。売らないなら、金はどうするんですか?』
『俺は本気だ、バカ野郎。馬車の中のもん売りゃあ当面は飯と酒に困らねえよ。──おいっ! この中のもん、全部持っていけ!!』
男が号令を掛けると忽ちに、強面な男達が馬車へと大挙した。押し寄せる黒い波に怯え青褪める私だが、私の腰を抱いたまま男が素早く馬車から降りたので危うく難を逃れる事が出来た。
ところで、私はいつまでこの状態なのか?
いい加減、離してくれないだろうか。
非難を込めて上目遣いに睨んでみれば、視線に気付き目線を下げた男と目が合った。
お兄様には負けるけれど、憎らしい程に端整な顔だ。
それに、とても綺麗な瞳だと思った。限りなく黒に近い緑は、底なしに深くて何処までも遠く、全てを呑み込む程に広い。
交わる視線は永劫に続くと私に錯覚させた。いつの間にか男に対する恐怖心は消え、この沈黙が好ましくさえ感じられた。男の瞳の奥に見え隠れする孤独が酷く私の心を苛み、捕らえて離さない。
だが、私を取り巻く状況はいつだって目まぐるしく変化するのだ。
そう。まるで今の、この瞬間のように──
人拐いさんはロリコンではないですよ。まあ十二の子供に手を出す気満々なのでちょっと怪しいですがw




