第4話 二年分の痛みを、お返しします
【前回までのあらすじ】
仲間の痛みを二年間ひそかに引き受けていたペインは、「臆病者」として『紅蓮の牙』を追い出された。
治療院で働き始めたペインのもとには、十年消えない呪いに苦しむ騎士団長アイリスまでやってくる。
一方、落ちぶれた『紅蓮の牙』の隊長ヴァイスは、ペインを恨むあまり、悪魔グラシオに体を差し出してしまった。
悪魔になったヴァイスが、ペインのいる治療院へ。今回、ついに対決です。
その日の治療院は、いつもより静かだった。
「ペインさん、今日は患者さん少ないですね」
リーネが、待合室の窓を拭きながら言った。
「ああ。……なんでだろうな」
俺は、左肩の黒いひびに、そっと触れた。
朝から、ずっと疼いている。
アイリスの呪いを引き受けてから、ひびが、こんなふうに脈を打つのは初めてだった。
まるで、何かが近づいてくるのを、知らせているみたいに。
その時、窓の外が、すうっと暗くなった。
昼間なのに、黒い煙が、治療院のまわりを包みこんでいく。
「リーネ。奥の部屋に、患者さんたちを集めてくれ」
「ペインさん……?」
「早く」
リーネは、こくんとうなずいて、奥へ走っていった。
俺は、治療院の扉を開けて、外に出た。
―――
黒い煙の中に、一人の男が立っていた。
黒く染まった髪。
肩にかついだ、黒い炎の大剣。
こめかみから生えた、ねじれた二本の角。
真っ赤に光る目。
でも、その顔には、見覚えがあった。
「……ヴァイス?」
「よう、ペイン。久しぶりだな」
ヴァイスは、にやりと笑った。
二年間、同じパーティにいた。
毎晩、こいつの背中や腕の痛みを、布団の中で抱えて寝た。
その顔で、ヴァイスは笑っていた。
「どうしたんだ、その角」
「もらったんだよ。力を」
ヴァイスは、黒い炎の大剣を、片手でぶんと振ってみせた。
「すげえだろ? もう、どこも痛くねえ。背中も、腕も、どこも。お前なんかいなくても、もう痛くねえんだよ」
「……悪魔と、契約したのか」
「契約じゃねえ。体を貸してやっただけだ」
ヴァイスの声に、別の声が重なった。
低く、ざらざらした声。
《久しいな、治療師。騎士団長の呪いの時以来か》
「グラシオ……」
《この男の恨みは、実にうまい。お前への恨みで、腹がはちきれそうだ》
ヴァイスの赤い目が、ぎらりと光った。
「なあ、ペイン。俺、ずっと考えてたんだよ」
ヴァイスが、一歩、近づいてきた。
「お前が出ていってから、俺たちは、ずっと痛かった。ダンジョンで、背中をやられて、剣もまともに振れなくて。プラチナに落ちて、みんなに笑われて」
一歩。
「なのに、お前は、町で英雄。騎士団長を治して、王都中で、ほめられて」
一歩。
「おかしいだろ? お前が持っていった痛みは、俺たちの痛みなのによ」
ヴァイスが、指を一本立てた。
「だから、返してもらうぜ。——痛め」
体中に、痛みが走った。
全身の骨が、一度にくだけたみたいだった。
皮膚が、内側から焼かれるみたいだった。
普通の人間なら、ここで気を失う。
でも。
「……それだけか?」
俺は、立っていた。
「……あ?」
ヴァイスの笑みが、ぴたりと止まった。
「痛いのには、慣れてるんだよ」
俺は、一歩、前に出た。
「二年間、お前の背中の痛みを、毎晩抱えて寝てきた。ザックの肩も、エマののども、ボルトの腕も。その上に、騎士団長の十年分の呪いだ。今さら、お前の痛みが一つ増えたくらいで、倒れるかよ」
「う、うそだろ……! グラシオの痛みだぞ!? ダイヤの冒険者だって、泣き叫んで転げ回ったのに……!」
ヴァイスが、もう一度指を立てた。
黒い炎の大剣を、俺の肩にたたきつけた。
二度、三度。
黒い炎が、俺の腕を、肩を、焼いた。
痛みが、重なっていく。
それでも、俺は歩き続けた。
本当は、もう限界だった。
膝が、がくがくと笑っていた。
目の前が、白くかすんでいく。
口の中に、鉄の味が広がっていた。
あと一度でも、あの痛みを浴びたら、たぶん俺は死ぬ。
それでも、足だけは止めなかった。
一歩。
また一歩。
「く、来るな! 来るんじゃねえ!」
ヴァイスが、あとずさった。
角の生えた頭を、ぶんぶんと振った。
「なんで倒れねえんだよ!? お前なんか、ただの荷物持ちだろうが!? 戦えもしねえ、臆病者だろうが!?」
「ああ。臆病者だ」
俺の手が、ヴァイスの胸に届いた。
「臆病者だから、痛みのことは、誰よりもよく知ってるんだ」
その瞬間。
頭の中で、声が聞こえた。
《条件を満たしました》
《引き受けた痛みが、限界をこえました。スキル【痛みの肩代わり】に、新しい力が目覚めます》
《【痛みの返却】:引き受けてきた痛みを、触れた相手に、すべて返す》
「……そういうことか」
二年間、引き受けた痛みは、消えていたわけじゃなかった。
俺の中に、ずっと、たまっていたんだ。
「ヴァイス。返してほしかったんだよな」
「え……」
「お前の痛み。それと、ザックとエマとボルトの分も。騎士団長の十年分も。それから、今、お前が俺に浴びせた分も」
俺は、ヴァイスの胸に当てた手に、力をこめた。
「——二年分の痛みを、お返しします」
【痛みの返却】。
―――
最初に悲鳴を上げたのは、ヴァイスの声じゃなかった。
《ぎ、が、ああああああああああっ!!》
ざらざらした、悪魔の声だった。
ヴァイスの体の中から、黒い煙が、ぶわっと噴き出した。
《な、なんだ、この量は……!? 人間一人が、抱えられる量では……!》
「一人じゃない。たくさんの人の、痛みだ」
《やめろ……! 食いきれぬ……! 食いきれぬううう……!》
痛みを食べる悪魔が、食べきれないほどの痛み。
黒い煙に、白いひびが走った。
ぱあん、と音を立てて、煙ははじけ飛んだ。
赤い目が、二つとも、散り散りになって、空に消えた。
あとには、黒い灰が、ひとつまみだけ、ぱらぱらと地面に落ちた。
悪魔は、倒されると、みんなこうなる。
悪魔灰だ。
―――
黒い煙が晴れると、空が青かった。
俺は、その場に、あおむけに寝転んだ。
背中に、草がちくちく当たる。
空が、やけに青い。
体が、軽かった。
軽すぎるくらいだった。
胸の奥に手を当ててみる。
二年間、ずっとそこにあった、重たいもの。
ザックの肩も、エマののども、ボルトの腕も、ヴァイスの背中も。
アイリスの十年分の呪いも。
治療院で引き受けた、たくさんの人の痛みも。
全部、なくなっていた。
左の肩を見ると、アイリスから引き受けた黒いひびも、きれいに消えていた。
死にかけて、ためていた痛みを、一つ残らず返してしまったのだ。
次にまた誰かを守るためには、また一から、痛みを引き受けてためるしかない。
それなのに。
「……これでようやく、ゼロか」
口に出したら、なんだか笑えてきた。
二年分の重たいものを、全部下ろして。
空っぽになった胸で、大きく息を吸った。
こんなにすっきりした気分は、生まれて初めてだった。
ヴァイスが、地面に倒れていた。
角は、ぼろぼろと崩れて、砂になっていた。
黒く染まった髪が、元の金色に戻っていく。
黒い炎の大剣は、ただの鉄くずになって、地面に転がっていた。
でも。
「……あ……が、ぐ……っ」
ヴァイスは、背中を押さえて、地面をかきむしっていた。
「い、痛え……背中、が……腕も……全部……痛え……!」
悪魔は、もういない。
でも、【痛みの返却】で返したのは、悪魔の分だけじゃなかった。
二年間、ヴァイスが受けるはずだった痛み。
トロールの棍棒も、魔物の爪も、全部。
それが今、本来の持ち主のところに、戻っていた。
「……な、んで……」
ヴァイスが、涙と泥でぐしゃぐしゃの顔で、俺を見上げた。
「なんで……こんなに、痛えんだよ……」
「それが、お前の痛みだ」
俺は、静かに言った。
「二年間、俺が持ってた。今、返した。それだけだ」
ヴァイスの口から、声にならない声がもれた。
―――
「ペインさーん!」
治療院の扉が開いて、リーネが飛び出してきた。
そのうしろから、銀の鎧の騎士たちが駆けてくる。
先頭は、アイリスだった。
アイリスは、倒れているヴァイスを見下ろして、それから、俺を見た。
「……悪魔は」
「もういません。痛みで、お腹いっぱいになったみたいです」
アイリスは、ふっと息をはいた。
「悪魔に体を貸した人間……魔人だ。十年前の戦場以来、見るのは二度目だ」
それから、騎士たちに向かって、静かに命じた。
「その男を拘束しろ。悪魔に体を貸して魔人となり、仲間と冒険者を襲った罪。王都で、裁きを受けさせる。冒険者の資格も、今日かぎりで取り上げだ」
「は、はいっ!」
騎士たちが、ヴァイスの両腕をつかんで立たせた。
ヴァイスは、もう抵抗しなかった。
背中を丸めて、泣きながら、ふらふらと引きずられていった。
ダイヤの隊長だった男の、最後の姿だった。
その様子を、少し離れた木のかげから、三人が見ていた。
ザックと、ボルトと、エマ。
騎士団の荷馬車を抜け出して、ここまで走ってきたのだ。
「……ペインに、全部、返されたんだな」
ボルトが、ぽつりとつぶやいた。
「俺たちの分も……あの中に……」
ザックは、何も言えなかった。
自分の脇腹に、そっと手を当てた。
まだ、痛む。
でも、これは、自分の痛みだ。
ザックは、ぎゅっと拳をにぎりしめた。
爪が手のひらに食いこんで、血がにじんだ。
痛かった。
読んでいただき、ありがとうございます!
悪魔になった元隊長ヴァイスに、二年分の痛みを、まとめてお返ししました。
悪魔は食べきれずに消え、ヴァイスの元には、本来の自分の痛みだけが残りました。
次回、王宮に呼ばれたペイン。
そして、ザックが、一人で歩き出します。
「面白かった!」と思っていただけたら、
ブックマークや【☆☆☆☆☆】での評価で応援していただけると、とても励みになります!




