# 第九話 ## 「夫婦ゲンカ未満」
# 第九話
## 「夫婦ゲンカ未満」
朝から空気が悪い日は、だいたい理由がはっきりしない。
雨宮家も例外じゃなかった。
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「それ、昨日も言ったよね」
白石雫の声は静かだった。
でも静かすぎて怖いタイプの静けさだった。
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雨宮悠人は、シンクの前で固まる。
「……言ったっけ?」
「言いました」
即答。
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理由は些細だった。
洗濯物の干し方。
ゴミ出しのタイミング。
どれも“どうでもよさそうなやつ”。
でも積み重なると、ちゃんと重い。
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リビングでは子どもが遊んでいる。
空気は読まない。
平和そのもの。
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悠人は小さく言う。
「ごめん、忘れてた」
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白石は一瞬黙る。
そして少しだけため息。
「うん」
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それ以上は言わない。
でも、それが一番効く。
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## ― 午前 ―
保育園へ送る車内。
無言。
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子どもだけが元気に歌っている。
「♪パパ〜ママ〜」
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悠人は苦笑する。
「空気読まねぇな」
白石は小さく笑う。
「いい性格してますね」
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でも、その笑いはすぐ消える。
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## ― 保育園 ―
預ける瞬間。
いつもなら流れ作業。
でも今日は違う。
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白石が先生と話している間、
悠人は少し離れて立っている。
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(なんか、距離あるな)
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そう思った瞬間、
胸の奥が少しだけ冷える。
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## ― 帰り道 ―
二人並んで歩く。
沈黙。
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悠人が先に言う。
「さっきのやつ、ごめん」
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白石は少し驚く。
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「どれですか」
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「全部」
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白石は一瞬黙る。
そして小さく笑う。
「雑ですね」
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悠人も笑う。
「全部まとめた方が楽だろ」
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白石は少しだけ空を見る。
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「私もです」
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その言葉が少し軽くなる。
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## ― 夜 ―
子どもは寝ている。
リビング。
二人だけ。
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でも空気はまだ少し硬い。
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白石が言う。
「悠人さん」
「うん」
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「私さ」
「うん」
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少し間。
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「たまに思うんです」
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悠人は黙って聞く。
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「ちゃんとできてないの、
私だけじゃないかって」
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悠人は即答する。
「それはない」
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白石は少し驚く。
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悠人は続ける。
「俺の方がひどいだろ」
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白石は小さく笑う。
「確かに」
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その瞬間、
少しだけ空気が戻る。
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## ― ラスト ―
ソファ。
並んで座る。
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悠人が言う。
「なぁ」
「うん」
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「ケンカしたな、今」
白石は少し笑う。
「未満です」
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「未満?」
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「本気じゃないので」
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悠人は笑う。
「じゃあセーフか」
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白石はうなずく。
「セーフです」
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少し間。
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白石が小さく言う。
「でもさ」
「うん」
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「こういうのがあるから、
家族なんですかね」
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悠人は天井を見る。
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「たぶんな」
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子どもの寝息。
静かな夜。
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完璧じゃない。
でも壊れてもいない。
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白石雫が言う。
「ねぇ、悠人さん」
「うん」
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「また明日も、会えますかね」
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悠人は少し笑う。
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「もう会う前提だろ」
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白石も笑う。
「ですね」
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その夜も、
二人はちゃんと隣にいた。




