第8話 数字は嘘をつかない
第8話 数字は嘘をつかない
王都ルセリアの中心街にある豪奢な高級ホテル「グランド・ローゼス」の大広間は、狂熱的な歓喜に包まれていた。天井の巨大なクリスタルシャンデリアが眩いばかりの光を放ち、集まった投資家たちの欲望でぎらついた瞳を照らし出している。
会場の空気は、最高級のシャンパンの泡の弾ける音と、高価な香水の匂い、そして香ばしく焼き上げられた鴨のローストの甘酸っぱいベリーソースの香りで満ちていた。
その中央で、レナードとミリアはまるで世界の勝者にでもなったかのような傲慢な笑みを浮かべていた。レナードは金糸の刺繍がこれでもかと施された大層な仕立ての新しい礼服をまとい、ミリアはかつての清純なイメージを覆すような、露出の多いど派手な黄金色のドレスに身を包んでいる。
「皆様! ご覧ください! 我がゴールド・ツリー商会は、東方新航路の開拓に完全なる大成功を収めました! ここにいる全員に、出資金の三十パーセントの配当が本日、一ルセルの狂いもなく支払われます!」
レナードがグラスを高く掲げて叫ぶと、会場からは割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。ミリアもその隣で、自慢げに胸を張る。
「お姉様のようなケチな数字ばかり追う古い人間には、この時代の波は見えなかったのよ。私をいじめた罰ですわ。私たちは、王都で一番の富豪になるの!」
ミリアが甘ったるい声で笑い、レナードの腕にすがりついた。欲に目が眩んだ投資家たちが次々と二人を称賛し、さらに多額の追加出資を申し出ようと群がっていく。まさに、欲望が形を成したような、ぬるま湯のような心地よい空間だった。
だが、その狂乱の絶頂は、唐突に訪れた冷たい足音によって断ち切られる。
大広間の重厚な両開きの扉が、予告なしに左右へ力強く押し開けられた。その隙間から流れ込んできた冬の夜の凍てつく一陣の風が、会場の生ぬるい空気を一瞬で凍りつかせる。
現れたのは、一糸乱れぬ漆黒の制服を身にまとった集団――王立監査院の精鋭たちであった。そしてその先頭に立ち、淡い夜空を思わせる深青のシルクドレスを毅然と翻して歩を進めるのは、エルザ・フォン・アストレイだった。
「な、何だ、君たちは! ここは神聖なゴールド・ツリー商会の成功パーティーだぞ! 公認監査官ごときが、近衛騎士である僕の主催する会に何の用だ!」
レナードが顔を真っ赤にして怒鳴る。しかし、エルザは彼の怒声など羽虫の羽音ほどにも気留めない様子で、澄み切った青い瞳で彼らを見据えた。
そして、エルザが恭しく一歩下がり、広間の通路を開ける。その奥から、プラチナブロンドの髪を美しく整え、王家の紋章が刻まれた豪奢な白い礼服を着こなした青年が、静かに姿を現した。
「私が許可したのだよ、レナード。王立監査院の立ち入りをね」
その低く、よく響く美声に、会場にいたすべての貴族たちが一斉に息を呑み、その場に平伏した。
「ユ、ユリウス王子殿下……!? なぜ、このような場所に……!」
レナードの言葉が完全に裏返る。王位継承権を持つ第一王子であり、国家の最高財政審議会の総裁でもあるユリウスが、なぜ一商会のパーティーに臨席するのか。レナードの脳裏に、最悪の予感が走った。
「ユリウス殿下、本日はお忙しい中、臨検にお立ち会いいただき感謝いたしますわ」
エルザは完璧な淑女の礼を取り、冷ややかに微笑んだ。その手には、ゴールド・ツリー商会のロゴが入ったものとは全く異なる、血のような赤色で縁取られた一冊の分厚い帳簿が握られていた。
「レナード様、そしてミリア様。あなた方の『一発逆転の夢』は、たった今、ここで強制終了です。アストレイ商会の調査員、および王立監査院が合同で、ゴールド・ツリー商会の拠点を先ほど一斉捜索いたしました。そしてこちらが、あなたがたが必死に隠蔽しようとしていた、本物の『裏帳簿』でございます」
「う、嘘よ! そんなもの、ただの嫌がらせよ! 私たちはちゃんと利益を出して……!」
ミリアが金切り声を上げるが、エルザは容赦なくその帳簿を開き、ユリウス王子の前で数字を読み上げ始めた。
「ゴールド・ツリー商会が主張していた『東方新航路の独占利権』なるものは、完全に架空のデタラメです。東方へ向かったとされる船は一隻も存在せず、書類はすべて偽造されたものでした。この商会の実態は、新規の出資者から集めた金貨を、そのまま古い出資者への『配当』と偽って横流ししていただけの、悪質な投資詐欺――ポンジ・スキームですわ」
「な……っ!」
レナードの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「さらに、ここに決定的な数字がございます」
エルザは裏帳簿の一ページを、会場の全員に見えるように高く掲げた。
「レナード様。あなたは、この詐欺の配当金を支払うため、そして自身の個人的な違約金の返済に充てるため、自身が管理権限を持つ『近衛騎士団・第二部隊の治安維持公金』から、金貨三万枚を無断で流用し、このゴールド・ツリー商会の口座へ注ぎ込みましたね? この裏帳簿には、あなたの直筆のサインと、公金の出納記録が完全に一致した形で残されていますわ」
その瞬間、会場は爆発したような大混乱に陥った。
「公金の横領だと!? では、私たちが預けたお金はどうなるんだ!」
「詐欺だったのか! おい、金を返せ! 私の全財産を返してくれ!」
先ほどまでレナードたちを称賛していた投資家たちが、一転して怒り狂った暴徒と化し、ステージに向かって押し寄せようとする。近衛騎士たちが必死にそれを阻むが、怒号と悲鳴が入り混じり、華やかだった広間は一瞬にして地獄絵図へと変わった。
「レナード、そしてミリア・フォン・アストレイ」
ユリウス王子が、氷のように冷たい声で宣告した。
「国家の公金を私的に横領し、大規模な投資詐欺を働いた罪は極めて重い。近衛騎士団の治安維持権限を汚したレナードは、直ちにその職を剥奪し、爵位の剥奪も含めて厳罰に処する。連れて行きなさい」
「殿下! お待ちください、僕は騙されていたんです! ミリアにそそのかされて……!」
レナードは黄金の刺繍が施された贅沢な上着を振り乱し、見苦しく叫びながら、駆け寄ってきた監査院の衛兵たちに組み伏せられた。ミリアもまた、その場にへたり込み、派手な黄金色のドレスを床の食べ残しのソースで汚しながら、ガタガタと震えていた。
「お姉様……どうして、どうして私を助けてくれなかったの……! 実の妹でしょう!?」
ミリアが怨念の籠った目でエルザを睨みつける。エルザは淡い夜空のドレスの袖を静かに整え、その哀れな犯罪者を見下ろした。
「助ける? なぜ私がそんな無駄な計算をしなければならないのですか? 私は事前に、数字の危険性を十分に変数の形でお伝えしていましたわ。それを感情論で無視し、欲望のままに破滅の足し算を繰り返したのは、あなたたち自身です」
エルザはユリウス王子に向き直り、美しく一礼した。
「数字は、決して嘘をつきません。嘘をつき、自滅するのは、常に人間の愚かな感情だけですわ」
連行されていく二人の絶望の叫びが遠ざかる中、エルザは冷めきった鴨のローストを一口もつけることなく、勝利の帳簿を抱えて、優雅にその場を後にした。




