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第3話 聖女の財布

第3話 聖女の財布


凍りついた広間の空気は、依然としてエルザの支配下にあった。しかし、追い詰められたミリアの瞳に、ふいに泥濁りのような執念が宿る。彼女はレナードの腕を掴んだまま、今度は周囲の貴婦友達に聞こえるように、ひときわ哀れな声を張り上げた。


「お仕事のことは、私の不徳致すところかもしれませんわ! でも、お姉様は私生活でも私をいじめていらしたのよ! 先月の私の誕生日のときだって、楽しみにしていた最高級の絹のドレスを、お姉様がご自身の権力で奪い取ってしまわれたの。私はただ、一枚の美しいお召し物で、皆様との夜会を楽しみたかっただけなのに……!」


ミリアは胸元を押さえ、悲劇の聖女のように身を震わせる。その可憐な桃色のドレスが、彼女の儚さをいっそう強調していた。

「おい、それは本当か、ミリア!」


一度はエルザの正論に気圧されたレナードが、再び水を得た魚のように息を吹き返した。


「聞いたか、エルザ! 商会の損失を盾に正論を気取っているが、裏ではそうやって妹のささやかな喜びまで奪っていたんだな。実の妹のドレスを横取りして着る気分はどうだ! そんな強欲な女、我がバルドール伯爵家には到底迎え入れられん!」


レナードは軽蔑の眼差しをエルザの淡い銀色のドレスに向ける。周囲の貴婦友達からも「まあ、大人気ない」「妹の誕生日のドレスを奪うなんて、執念深いにも程があるわ」と、冷ややかな視線がエルザに注がれ始めた。


しかし、エルザは表情一つ変えず、目の前のテーブルに置かれた小さなサーモンのパイをフォークで上品に一口大に切り、口へと運んだ。サクサクとした生地の中から、バターの濃厚なコクとサーモンの程よい塩気が広がる。それを優雅に飲み込み、再び冷めた紅茶で喉を潤してから、エルザはバッグの中から一冊の細長い帳簿を取り出した。


「奪い取った、ですか。ミリア様、その『消えたドレス』の件についても、正確な数字に基づいて事実を整理いたしましょう。こちらにあるのは、アストレイ侯爵家の直近の出納帳、および王立中央銀行から正式に開示請求を行った、あなた個人の口座取引履歴の写しです」


エルザがその帳簿を開いた瞬間、ミリアの身体がびくりと硬直した。


「先月、あなたがアストレイ侯爵家お抱えの仕立て屋に発注されたドレスは、一枚などではありませんわね。正確には、一着につき金貨五十枚相当の最高級イブニングドレスを、同時に五着。さらに、それに合わせるためのサファイアの首飾り、およびエメラルドの髪飾りを、すべて私の、つまりエルザ・フォン・アストレイの名義を騙って購入されていますわ」


「な……っ!」


レナードが目を剥く。エルザは淡々とページをめくり、数字を読み上げていく。


「仕立て屋も宝飾店も、アストレイ侯爵家長女である私の名義だったからこそ、事前の支払いなしで品物を引き渡したのです。しかし、私の元に届いた請求書の総額を見て、私は即座に支払いを差し止め、品物をすべて回収させました。私の名義で勝手に作られた借金を、なぜ私が肩代わりしなければならないのですか? あなたが『ドレスを奪われた』と主張しているのは、自身の詐欺行為が発覚し、不正に入手した物品を取り上げられただけに過ぎません」


「う、嘘よ! 私はそんな、お姉様の名義なんて使ってないわ!」


ミリアは必死に声を荒らげるが、その声は明らかに震えていた。エルザは帳簿の特定の行を指先でなぞる。


「言い逃れは不可能ですわ、ミリア様。宝飾店の受領書には、あなたが私の筆跡を真似て書いた、お粗末な偽造サインがくっきりと残されています。さらに、ここからが本題です。回収したドレス五着のうち、仕立て屋に残されていたのは二着だけでした。そして、あなたが私の名義で購入したはずの、男性用の最高級仕立て外套三着、および高価な純銀製のカフスボタン四組が、完全に姿を消しています」


エルザの青い瞳が、レナードの隣で凍りついているミリアを冷徹に見据えた。


「その、消えた男性物の行方を追うために、私はアストレイ商会の調査員を動かしました。結果、非常に興味深い事実が判明いたしましたわ。ミリア様、あなたは私の名義で騙し取った高価な衣服や宝石を、複数の殿方へ『贈り物』として横流しされていましたね」


広間が、今度こそ水を打ったように静まり返る。甘い葡萄酒の香り漂う華やかな夜会が、まるで厳粛な裁判所の法廷へと変貌していくようだった。


「だ、男性への贈り物だと……!? ミリア、それは本当なのか!」


レナードが裏返った声でミリアの肩を揺さぶる。ミリアは真っ青な顔で首を激しく横に振った。


「ち、違うの、レナード様! お姉様が私を陥れるために、デタラメな書類を作ったのよ!」


「デタラメかどうかは、実際にその贈り物を受け取った方々に確認すれば済む話ですわ」


エルザは容赦なく、帳簿の次のページを開いた。


「まず、近衛騎士団第二部隊所属のルイス卿。彼には先月十七日、純銀のカフスボタンが贈られています。次に、宮廷魔導士団のアルベール様。彼には最高級の絹で作られた冬用外套。そして――そちらにいらっしゃる、バルドール伯爵家嫡男、レナード様。あなたには先月二十五日、アストレイ侯爵家の家紋が入った、特注の乗馬用鞭が届けられているはずですが?」


レナードの身体が、雷に打たれたように激しく震えた。彼は自身の腰元にある、見覚えのある豪奢な乗馬鞭に目を落とす。


「あ、あれは……ミリアが、僕のために一生懸命貯めたお小遣いで買ってくれたと……」


「ミリア様個人の口座残高は、ここ数ヶ月間、常に二桁ルセル以下。つまり、ほぼ一文無しですわ。レナード様、あなたが『愛する婚約者候補からの健気な贈り物』として喜んで受け取っていたその品々は、すべて私の名義で騙し取られた、いわば盗品のようなものです。人の財布で他人の男たちに貢ぐ、そんな破廉恥な行為を働く聖女様を、私は他に存じ上げませんわ」


エルザの言葉は、冷たい刃となってレナードのプライドを完璧に突き刺した。自分が信じていた可哀想な少女が、実は婚約者の名前を使って男たちに貢ぎ物をばら撒いていた。その事実を知らされたレナードの顔は、赤から青、そして土気色へと目まぐるしく変化していく。


「ミ、ミリア……お前、僕だけじゃなく、他の男たちにも……?」


レナードの手が、ミリアの肩から力なく離れた。ミリアはガタガタと震えながら、もはや涙を流すことすら忘れて立ち尽くしている。


「レナード様、これでよく分かりましたでしょう」


エルザは帳簿をパチンと心地よい音を立てて閉じ、バッグへと戻した。そして、手元の海老のカクテルに添えられたレモンを軽く絞り、最後の仕上げを告げるように口を開いた。


「あなたが信じていた『可哀想なミリア』の正体は、商会に巨額の損失を与え、私の財布を我が物顔で使い回し、あなたを含めた複数の男性を品物で釣っていた、ただの詐欺師です。さあ、感情論ではなく、この出納データについて、何か合理的な反論はございますか?」


広間に集まったすべての貴族たちが、今やミリアを汚物でも見るかのような冷ややかな目で見下ろしていた。レナードはただ、喉を鳴らすだけで、一言の言葉も紡ぎ出すことができなかった。


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