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婚約破棄された雑用係の私、公爵様の甘々な求愛に無自覚なまま愛されすぎている件  作者: おーちゃん


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22話

第22話 影の名、夜を裂く


 夜の始まりは、空気が変わる。

 その夜、ラインハルト公爵邸は妙に静かだった。

 静かすぎる、と言ってもいい。

 風が止まり、木々のざわめきも消え、屋敷の壁が呼吸を忘れたように沈黙している。


(嫌な気配)


 レティシアは、廊下を歩きながら胸の奥にざらつく感覚を覚えていた。

 理由はわからない。

 ただ、空気がいつもと違うだけと告げている。

 視察官アレクシアの言葉が頭をよぎる。

 あなたの出生に関わる者かもしれませんとは。


(私の出生のことみたい)

 その言葉は、まだ胸の奥で形を持たないまま、不気味な影のように揺れていた。



 夜勤のメイド、エリンは廊下のランプを点検していた。


「なんか、変な感じがする」


 彼女はランプの火を見つめながら呟いた。

 火が揺れない。

 風がないのに、空気が重い。


「エリン、どうしたの?」


 ドロシーが近づいてくる。


「なんか空気が変じゃない?」


「変って?」


「わからない。でも、嫌な感じがするの」


 ドロシーは眉をひそめた。


「レティの部屋、見に行こう」


 二人は顔を見合わせ、走り出した。



 ヴィクトールは執務室で書類を見ていた。

 だが、文字が頭に入らない。


「落ち着かない」


 胸の奥がざわつく。

 理由はわからないのもあり、レティシアの顔が何度も浮かぶ。


「レティ大丈夫だろうか」


 立ち上がろうとした瞬間、窓の外で何かが動いた。

 黒い影だった。

 人の形にも見える。

 しかし、動きは異様に静か。


「またか」


 ヴィクトールは剣を手に取った。



 アレクシアは書類を閉じ、窓の外を見た。


「来たか」


 空気の変化。

 気配の揺れ。

 訓練された者だけが察知できる侵入の気配だった。


「第三勢力動いたわね」


 アレクシアは外套を羽織り、部屋を飛び出した。




 レティシアが自室に戻ろうとした時だった。


 カツン。

 廊下の奥で、靴音が響いた。


(誰かしら?)


 夜勤のメイドの足音ではない。

 もっと重く、もっと静かで、まるで獣が歩く音のようだった。

 レティシアは振り返った。

 そこには黒い影が立っていた。

 覆面も、フードもない。

 ただ、黒い外套をまとい、瞳だけが異様に光っている。


「レティシア・アレン」


 低い声が廊下に落ちた。


「迎えに来た」


 レティシアは後ずさった。


「誰ですか、あなたは?」


「名乗る必要はない。お前は戻るだけだ」


「戻る?」


「本当の家へ」


 レティシアには理解できなかった。


(本当の家?)


「お前は伯爵家の娘ではない。それは知っているな?」


「はい」


「では、お前の本当の家系が何かは?」


「知りません」


「そうだろう。隠されていたからな」


 影の男は一歩近づく。


「お前の血は王宮が恐れる血だ」


「え?」


「だからこそ、王宮はお前を隔離しようとしている。伯爵家はお前を利用しようとしている。そして我々は」


 男の瞳が光った。


「お前を取り戻す」


 レティシアは震えた。


(えっと、私は何者なの?)

  レティシアは混乱するしかない。

 影の男が手を伸ばした瞬間だった。


「レティ!!」


 ヴィクトールが廊下の角から飛び出してきたのだった。

 剣を抜き、レティシアの前に立つ。


「レティに触れるな」


 影の男は微動だにしない。


「鉄血公爵か」


「お前は誰だ」


「名乗る必要はない」


「ある。レティを狙う理由を言え」


「理由は一つ。彼女は我々のものだからだ」


「ふざけるな!!」


 ヴィクトールが剣を構えた時、別の方向から足音が響いた。


「閣下、下がってください!」


 いきなり視察官アレクシアが駆け込んできた。


「その男は王宮の記録にもない存在です。第三勢力の影の一族の者かもしれません」


「影の一族?」


 レティシアは息を呑んだ。


「彼らは、王宮に敵対する古い家系。表には出ないが、裏で動く影の血族です」


 影の男は笑った。


「さすが王宮の視察官だ。話さなくとも、よく知っている」


「あなたたちがレティシアを狙う理由は何?」


「理由は一つ。彼女が影の血を継いでいるからだ」


 レティシアの心臓が止まりそうになった。


(私が影の血ですって? 本当なの)


 影の男は、真実の断片を話したものの、レティシアは混乱するばかり。


「レティシア・アレンの母は影の一族の最後の生き残りだった」


「母が?」


「伯爵家に預けられたのは、王宮から逃れるためだ。だが、王宮はお前を見つけた。そして我々も」


 影の男は手を伸ばす。


「さあ、来い。お前はここにいるべきではない」


「嫌です」


 レティシアは叫んだ。


「私はここで生きたい。閣下の屋敷で自分の足で」


 影の男の瞳が揺れた。


「そうか」


 レティシアが返答すると、戦いの幕開けとなった。

 影の男が動いた。

 風のように速く音もない。

 ただ黒い線が走ったような動き。


「レティ、下がれ!!」


 ヴィクトールが剣を振るう。

 金属音が廊下に響く。

 アレクシアも短剣を抜き、影の男の背後に回り込む。


「閣下、右へ!」


「わかっている!」


 レティシアは壁際に下がりながら、胸が張り裂けそうなほどの恐怖と焦りを抱えていた。


(私のせいでみんなが!)


 影の男は二人の攻撃を軽々とかわし、レティシアに視線を向けた。


「お前は必ず連れて行く」


「来させない!!」


 ヴィクトールが叫んだ。

 影の男は一瞬だけ動きを止め、レティシアを見つめた。


「レティシアの血は必ず呼ぶ。逃げられはしない」


 次の瞬間、影は窓から飛び出し、夜の闇に溶けた。

 風が吹き込み、カーテンが揺れる。

 レティシアはその場に崩れ落ちた。

 レティシアの胸の内は動揺だった。


(私影の一族?)


(私の血が誰かを呼ぶ?)


(私は何者なの?)


 胸の奥で、これまで感じたことのない恐怖と疑問が渦巻いていた。

 その中心には、

 ヴィクトールの叫びが残っていた。


「レティを守る!!」


(閣下)


 レティシアは、震える手を胸に当てた。


(私は逃げない)

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