20話
第20話 揺れる屋敷、揺れる立場
朝の屋敷、ざわめいていた。
侵入者が現れた翌朝、ラインハルト公爵邸は静かではなかった。
むしろ、いつも以上に騒がしかった。
廊下を歩けば、メイドたちのひそひそ声が耳に刺さる。
「昨日の影、誰だったの?」
「王宮の人じゃないって噂よ」
「じゃあ誰なのよ」
「レティを狙ってたって本当?」
「閣下が抱きしめて守ったって聞いたわよ」
「きゃー!!」
レティシアは、洗濯籠を抱えたまま立ち止まった。
(もう、どこまで本当なのかわからない)
昨日の出来事は、彼女の胸にまだ重く残っていた。
影の侵入者。
アレクシアの部下ではない。
伯爵家でもない。
では、誰なのか。
(私狙われてる?)
その考えが胸を冷たくする。
視察官アレクシアには別の顔があった。
アレクシアは、朝の光の中で書類を広げていた。
昨日の侵入者の件を王宮に報告するためだ。
だが、彼女の表情はいつもの冷たさとは違う。
どこか、迷いがあった。
「あの子を隔離しろという命令本当に正しいの?」
レティシアの叫びが耳に残っている。
私は閣下の力になりたいんです、と言ったのを。
あの声は、嘘ではなかった。
むしろ、誰よりも真っ直ぐだった。
「私が揺らいでどうするの」
アレクシアは自分に言い聞かせるように目を閉じた。
その時、扉がノックされた。
「視察官殿。王宮より追加の通達です」
アレクシアは顔を上げた。
「追加の封書とは」
封書を開くと、短い文が目に飛び込んだ。
レティシアの身辺を再調査せよ。伯爵家以外の勢力が動いている可能性ありと書いてある。
アレクシアの眉がわずかに動いた。
「やはり、昨日の影は伯爵家ではない」
胸の奥に、嫌な予感が広がった。
ヴィクトール公爵の落ち着かない朝が始まる。
レティシアが廊下を歩いていると、角からヴィクトールが飛び出してきた。
「レティ!!」
「ひゃっ!」
レティシアは驚いて洗濯籠を落としそうになった。
「レティ、大丈夫か。昨日の怪我は。眠れたか。朝食は。水は飲んだか?」
「閣下、落ち着いてください!」
ヴィクトールは肩で息をしながら、レティシアの腕を掴んだ。
「昨日君が危険に晒されたのに、私は私は!」
「閣下のせいじゃありませんので」
「いや、私のせいだ!」
「違います!」
「違わない!」
「違います!!」
廊下に二人の声が響く。
その様子を、メイドたちが壁の陰から覗いていた。
「あれ、完全に夫婦喧嘩よね」
「うん」
「閣下、昨日からずっとレティの後ろをついて回ってるし」
「恋ね」
「恋だわ」
「恋以外に何があるのよ」
「聞こえてるわよ!!」
レティシアは叫んだ。
(何をているのやら)
先輩メイドのハンナは、廊下の端からその光景を見ていた。
「閣下完全に取り乱しているわね」
彼女は深く息を吐いた。
レティシアは強い子。でも、あの子は自分が誰かの負担になることを何より恐れると思う。
だからこそ、昨日のアレクシアの言葉は重かった。
あの子が自分を責め始めたら止めるのは難しいのだろう。
ハンナは静かに歩き出した。
守らなければ。あの子も、閣下もと思った。
裏庭は、朝露がまだ残っていた。
レティシアは洗濯物を干しながら、空を見上げた。
(私どうすればいいんだろう)
アレクシアの言葉。
ウォーレスの言葉。
閣下の叫び。
全部が胸の中で渦巻いている。
(私は閣下の力になりたい。でも私がいることで閣下が苦しむなら)
風が吹き、洗濯物が揺れた。
(私はここにいていいの?)
その問いは、誰にも向けられていない。
ただ、胸の奥から漏れたものだった。
「レティシア」
背後から声がした。
アレクシアだった。
「昨日の件について、話があります」
「はい」
アレクシアはレティシアの前に立ち、真っ直ぐに見つめた。
「あなたを狙った者が、伯爵家ではない可能性が出てきました」
「え?」
「王宮の調査で、別の勢力が動いていることが判明しました」
レティシアの胸が冷たくなる。
「別の勢力?」
「ええ。あなたの身柄を確保しようとしている者たちです」
「どうして私なんか」
「あなたなんかではありません」
アレクシアの声が鋭くなった。
「あなたは、王宮にとっても、公爵家にとっても、伯爵家にとっても重要な存在なのです」
「私が?」
「ええ。あなたは鍵なのです」
レティシアには言っている意味がわからない。
(鍵? 何の?)
意味不明な言葉に思えるレティシア。そこへ公ヴィクトール公爵がアレクシアに怒りを向けることになる。ヴィクトールが現れ、
「アレクシア!!」
アレクシアは振り返る。
「閣下。何か?」
「レティに何を言ったのか」
「事実を伝えただけです」
「お前の事実はいつも冷たすぎる」
「冷たくなければ、真実は伝わりません」
「レティを不安にさせるな」
「不安にさせているのは、あなたの方では?」
「なんだと!」
レティシアは慌てて二人の間に入った。
「やめてください」
二人はハッとしたようにレティシアを見た。
「私のことで喧嘩しないでください」
その声は震えていた。
ヴィクトールの表情が曇る。
「すまない、レティ」
アレクシアも目を伏せた。
「申し訳ありません」
その夜。
屋敷の外で、また影が動いた。
昨日とは違う影。
もっと静かで、もっと深い闇に属する者。
「レティシア・アレン。やっと見つけた」
低い声が、風に溶けた。
影は屋敷の壁を伝い、窓の隙間から中を覗き込む。
視線の先にはレティシアの部屋があった。
レティシアは考えたくはないが想像する。
(閣下を守りたい。そして私自身も変わりたい)
その想いが、彼女の中で静かに燃え始めていた。




