19話
第19話 揺れる灯
夜明け前は静かだった。夜と朝の境目は、いつも曖昧だ。
闇が薄まり、光がまだ生まれきらない時間帯。
世界が息を潜め、
屋敷の壁も、床も、窓も、すべてが次の瞬間を待っているように見える。
レティシアは、その静けさの中で目を覚ました。
胸の奥に、昨日の出来事がまだ残っている。
侵入者。
アレクシアの告白。
閣下の叫び。
(全部、夢じゃない)
手を握ると、まだ微かに震えていた。
朝の食堂は賑やかな空気だった。
「レティ、大丈夫? 顔色悪いよ」
ドロシーが椅子を引きながら覗き込む。
「昨日の侵入者怖かったよね」
エリンがスープをかき混ぜながら呟く。
「レティが閣下を守るなんてあれ、完全に恋人ムーブだったわ」
カトリーヌがにやりと笑う。
「違います!!」
レティシアは即座に否定した。
「でもさ、閣下のレティ!!って叫び方、あれはもう」
ドロシーが身振り手振りで再現しようとする。
「やめてください!!」
レティシアは顔を覆った時、食堂の扉が開く。
「レティ」
ヴィクトールが立っていた。
メイドたちが一斉に散る。
まるで潮が引くように。
「おはようございます、閣下」
「昨日のことだが」
ヴィクトールは言葉を探すように視線をさまよわせた。
「君が私を守ってくれたことその」
「閣下。私は雑用係として」
「違う!」
ヴィクトールの声が重なった。
「雑用係としてではない。君は君として私を守ってくれた」
レティシアは言葉を失った。
(閣下そんな言い方)
胸が熱くなる。
視察官アレクシア は、窓辺に立っていた。
朝の光が彼女の横顔を照らす。
その表情は、昨日よりも硬い。
彼女の手には、王宮からの封書が握られている。
王宮雑務局より。
視察官アレクシアへ。
計画の続行を命ずる
アレクシアは目を閉じた。
「私は、何をしているのだろう」
レティシアの言葉が胸に刺さっている。
私は閣下の力になりたいんですという意味。
「あの子は危険ではない。むしろ」
思考を断ち切るように、アレクシアは封書を握りつぶした。
屋敷の裏庭にて。
裏庭は、朝露に濡れていた。
草の先端に光が宿り、風が吹くたびに小さな虹が揺れる。
レティシアは、洗濯物を干しながら空を見上げた。
(昨日の影あれは本当にアレクシアさんの部下だったの?)
信じられなかった。
アレクシアは冷たいが、悪意のある人ではないと思っていた。
(でも王宮の命令なら)
胸がざわつく時、背後から声がした。
「レティシア嬢」
ウォーレスだった。
「昨日の侵入者の件、気になっているだろう?」
「はい」
「王宮は、閣下の感情の問題を恐れている。だから、君の存在を試したのだろうな」
「試す?」
「そう。君が閣下を支える存在なのか、それとも彼を壊す存在なのかを確認したのさ」
レティシアは息を呑んだ。
(私が閣下を壊すなんてあり得ない)
胸が痛む。
「でもね、レティシア嬢」
ウォーレスは微笑んだ。
「昨日の君の行動は、王宮の予想を超えていたよ」
「予想を超えたと思う理由は?」
「君は、迷わず閣下を守った。それは危険な存在ではなく、支える存在だとなるからな」
レティシアは胸に手を当てた。
(支える、私が?)
アレクシアは執務室にいた。
机の上には、昨日の報告書。
公爵閣下は雑用係レティシアに強く依存している。
レティシアは閣下の感情を揺らす危険な存在である。
しかし同時に、閣下の精神安定に寄与している可能性もある。
矛盾した言葉が並ぶ。
「どちらが真実なのか?」
アレクシアは頭を抱えた。
その時、扉がノックされた。
「視察官殿。王宮からの使者です」
アレクシアは顔を上げた。
「また?」
使者が封書を差し出す。レティシアを王宮へ連れて来いと書いてあった。
公爵閣下から引き離し、単独で調査せよと。
アレクシアの手が震えた。
「この意味は」
レティシアを隔離する命令だった。
夕方。
レティシアは、庭のベンチに座っていた。
空は赤く染まり、風が頬を撫でる。
(私どうすればいいんだろう)
アレクシアの言葉。
ウォーレスの言葉。
閣下の叫び。
全部が胸の中で渦巻いている。
(私は閣下の力になりたい。でも私がいることで閣下が苦しむなら)
「座るよ」
ヴィクトールが隣に座った。
「昨日のこと、ありがとう」
「閣下」
「君がいなかったら、私はどうなっていたかわからない」
レティシアは胸が熱くなった。
「レティ。君がここにいてくれるだけで私は救われる」
その言葉は、静かで、真っ直ぐでレティシアの心に深く届いた。
(閣下、ありがとう)
レティシアは、ゆっくりと頷いた。
「私も、閣下の力になりたいです」
ヴィクトールは微笑んだ。
その笑みは、昨日よりもずっと柔らかかった。
夜。
屋敷の外。
黒い影が、木々の間をすり抜ける。
その影は、アレクシアの部下ではない。
伯爵家の者でもない。
もっと別の、もっと深い闇に属する者。
「レティシア。見つけたぞ」
低い声が、闇に溶けた。
レティシアは、胸に手を当てた。
(閣下を守りたい。そして私自身も、変わりたい)
その想いが、彼女の中で静かに形を成し始めていた。




