12話
第12話 ギルバート来訪、公爵邸は修羅場へ
翌朝。
レティシアは、いつも通り洗濯室でタオルを畳んでいた。
屋敷の空気は明らかに昨日までとは違っていた。
廊下を行き交うメイドたちの足取りは妙に早い。
誰もが落ち着かない様子で、視線は常に玄関の方へ向けられている。
(来るのね、今日)
レティシアは、胸の奥に冷たいものが沈んでいくのを感じた。
昨日ウォーレスが告げた言葉が、何度も頭の中で繰り返される。
ギルバート本人が来る。
その言葉は、まるで呪いのようにレティシアの心に影を落としていた。
タオルを畳む手が、ほんの少しだけ震える。
(大丈夫。私はもう、あの頃の私じゃない)
そう自分に言い聞かせるように、深く息を吸った。
その時、洗濯室の扉が勢いよく開いた。
「レティ、大変よ!」
ドロシーが飛び込んできた。
顔は青ざめ、息は荒く、まるで幽霊でも見たかのようだ。
屋敷の空気は緊張の極みになっていた。
「どうしたんですか?」
「来たのよ、本当に来たのよ!」
「誰が?」
「ギルバート・ラングレイ伯爵様が!!」
レティシアの心臓が、ひとつ大きく跳ねた。
(来た)
ついに、その時が来たのだ。
玄関ホールは緊迫の空気になる。
レティシアが玄関ホールへ向かうと、そこには異様な光景が広がっていた。
メイドたちは壁際に整列し、ハンスは額に手を当てて深いため息をついている。
ウォーレスは柱にもたれながら、まるで舞台の幕が上がるのを待つ観客のような顔をしている。
そしてご対面になった。
玄関の中央に、ひとりの男が立っていた。
ギルバート・ラングレイ伯爵。
整った金髪、冷たい青い瞳、完璧に整えられた服装。
その姿はレティシアが婚約者として見ていた理想の貴公子そのものだった。
今のレティシアには、その姿がどこか薄っぺらく見えた。
(変わってない)
ギルバートは、レティシアを見るなり目を見開いた。
「レティシア」
声は驚きと安堵が入り混じっていた。
「レティから離れろ」
その前に、ヴィクトールが立ちはだかった。
まるで巨大な壁のように、レティシアを完全に隠すように。
公爵は完全防御モードとなり、彼女を守る。
「レティシアに何の用だ」
ヴィクトールの声は低く、鋭い。
普段の情けない姿からは想像もつかないほど威圧感に満ちていた。
対してギルバートは眉をひそめた。
「何の用だと? 彼女は私の婚約者だったのだぞ」
「だったの過去形だろ」
ヴィクトールは一歩前に出た。
「今は違う。もう無関係だ」
「しかし、彼女は行方不明になっていた。私は心配して」
「心配?」
ヴィクトールの声が冷たく響いた。
「お前が?」
ギルバートの顔がわずかに歪む。
「どういう意味だ」
「レティがどんな思いで伯爵家を出たか、知らないとは言わせない」
レティシアは息を呑んだ。
ヴィクトールがここまで怒りを露わにするのは珍しい。
ギルバートは視線を逸らし、表情にはわずかな動揺が浮かんでいた。
そこでレティシア、ついに対面する。
「ギルバート様」
レティシアは、ヴィクトールの背中から一歩前に出た。
ギルバートの瞳が揺れる。
「レティシア。無事でよかった。本当に」
「ありがとうございます。でも、私は伯爵家には戻りません。その事は言っておきます」
レティシアの声は静かだった。 静けさの中には強い意志が宿っていた。
ギルバートは目を見開いた。
「ななぜだ? 私は君を心配して来たのだ」
「心配、なぜでしょうか?」
レティシアは微笑んだ。 笑みは、どこか哀しげで、どこか冷たかった。
「私が伯爵家にいた時、あなたは一度でも私を心配してくれましたか?」
ギルバートの表情が固まった。
「私は」
「私は、あなたの婚約者である前に、家の飾りでした。あなたの隣に立つための、都合のいい存在でした。苦痛だった」
ギルバートの喉が震えた。
「違うそんなつもりは」
「では、なぜ私が泣いても、あなたは一度も気づかなかったのですか?」
ギルバートは言葉を失った。
その沈黙が、すべての答えだった。公爵は今の会話を聞いて怒りの頂点へ達していた。黙っていられない。
「レティを泣かせたのか」
ヴィクトールの声が低く響いた。声は、まるで地の底から響く獣の唸りのようだった。
「ち、違う! 私は」
「黙れ」
ヴィクトールはギルバートを睨みつけた。
「レティを泣かせた男が、今さら何を言う」
ギルバートは唇を噛んだ。逆に質問する。
「君こそ、彼女の何だ」
「レティの現在の主だ」
「主、だと?」
「そして」
ヴィクトールはレティシアをちらりと見た。瞳には、言葉にできないほどの想いが宿っていた。
「大切な人だ」
レティシアの心臓が跳ねた。
(閣下)
ギルバートの顔が歪む。
「ふざけるな! 彼女は私の婚約者だったんだぞ!」
「婚約破棄したのだろ」
ヴィクトールは冷たく言い放った。
「今は違う。レティはここで生きると決めた。お前の都合で揺らぐような弱い女ではない」
ギルバートは拳を握りしめた。
「レティシア。本当に、戻らないのか」
レティシアは静かに頷いた。
(戻るわけない)
「はい。私はここで働きます。 雑用係として、そして、私自身として」
ギルバートは目を閉じて、表情には、悔しさと後悔が入り混じっていた。まさかの態度は予想外だった。
「わかった」
ギルバートはゆっくりと目を開けた。
その瞳には傲慢さはなかった。
「君の意思は、理解した。いや、理解するしかないのだろう」
レティシアは静かに頭を下げた。
「ありがとうございました」
ギルバートはしばらくレティシアを見つめる。
ゆっくりと背を向けた。背中は、どこか小さく見えた。
玄関の扉が閉まる音が、屋敷に響いた。
嵐の後の静けさのように屋敷はなる。ギルバートが去った後、屋敷には静寂が訪れた。
誰もが息を呑み、レティシアとヴィクトールを見つめている。
沈黙を破ったのは、
「レティ」
ヴィクトールの声だった。
「はい、閣下」
「よく、言ったな」
その声は、どこか震えても、嬉しさもあった。
レティシアは微笑んだ。
「ありがとうございます」
ヴィクトールは胸に手を当て、深く息を吐いた。
「本当に、よかった」
その横で、ウォーレスがにやりと笑って見物してたかのように言う。
「いやあ、いいものを見せてもらったよ。まるで恋愛劇のクライマックスだね」
「黙れ!!」
ヴィクトールの怒号が屋敷に響き渡り、メイドたちが悲鳴を上げるも、レティシアの堂々とした姿勢には感服している。
レティシアの胸の内はこうだった。
(ふう〜〜終わった)
レティシアは胸に手を当てた。
心臓はまだ早鐘のように鳴っている。
(でもこれで、本当に前に進める)
胸の奥にあった重い石が、ようやく消えた気がした。
(私はここで生きる。自分の足で)
レティシアは、そっと微笑んだ。笑みは、昨日よりもずっと強いものだった。




