第3話
第2章、終話です。
そして、とうとうノーラの結婚式当日を迎えた。雲が広がる天気ではあったが、雨は降りそうにない。
田舎の小さな教会は、朝から子爵家の親戚が集まり笑顔に包まれていた。
「なんだ、あのドレスは。肩が出過ぎている」
持ち込まれたドレスを先に見たのだろう、ブルーノは不機嫌に言い放った。タナトスはげんなりしながらも、ブルーノを控室へと連れて行く。
控室には支度を整えたノーラが、ひとり椅子に座っていた。床にはドレスの白いレースが広がっている。
ブルーノはそっとノーラの前に立った。四年前の式では、ブルーノの希望でこれでもかとレースをあしらったドレスを着せた。しかし、今日のスレンダーラインのドレスもとても似合っている。ブルーノはノーラの美しさに見惚れた。
正面からノーラを見るのはいつぶりだろう。本当なら、この人と毎日を共にできたのに。ブルーノは血が出そうになるぐらい強く唇を噛んだ。
ノーラは緊張した様子で背筋を伸ばして動かない。表情もどことなく固い。ブルーノはノーラの緊張をほぐしてやりたかったが、今のブルーノは話し掛けることすらできない。ブルーノが自分にイライラしていると、ノーラは思い出したように自分の右手を開いた。
ウェディンググローブの手のひらには、ネックレスが載っていた。
ブルーノは目を見張った。慌てて自分の空っぽの胸ポケットを探る。ノーラが持っているのは間違いなく、自分があの日ノーラに贈ろうとしたネックレスだった。
ノーラはしばらくそのネックレスを見つめていたが、やがて唇が開いた。
「ブルーノ」
ブルーノはドキッとした。まさかノーラには自分が見えるのだろうか。そして、久しぶりに自分の名を呼ぶノーラの声に心が震えた。
ブルーノはノーラの前に跪いた。
「あなたは本当に落ち着きがなかったわね」
「それは……すまない」
ネックレスを眺めながらひとりごとを言うノーラに、ブルーノは答える。ノーラの膝とブルーノの膝は触れそうなほど近い。
「なぜ車道に走り出たのよ」
「本当にすまない」
「あの後、どれだけ私たちが大変だったと思っているの。眠りについた人にはわからないでしょうけど」
「眠っていたのは一年だけだ」
「でも、こんな素敵な町に来られたわ。ここは葡萄が名産らしいの」
「知ってる。でもあまり甘くないから好きじゃない」
「あなた、好きでしょう」
「……ああ、好きだ」
ひとりごとに対して一方的に返す、とても会話とはいえない問答だが、それでもブルーノは夢中で話した。
「ブルーノ。私、結婚するの」
「みたいだね。とても綺麗だよ」
ブルーノの胸が痛む。
「マコーレーはとても優しい、いい人なの」
「そうかな」
「幸せにしてくれると思う」
「まだ信用ならないよ」
「ブルーノ。私、幸せになっていいのかな」
ブルーノは目を見開く。そして、ブンブンと首を縦に振った。
「もちろん! ノーラは今度こそ幸せにならないといけないんだよ」
ノーラの瞳に涙が浮かぶ。ブルーノの目の前も涙で滲む。
「ブルーノ。あなたは一人で寂しくないの」
ブルーノは返事に詰まった。寂しい。添い遂げられないのなら、せめて側で見守りたい。ブルーノは首を横に振り、無理やり微笑んだ。
「寂しくなんかないよ。だから、俺のことは気にしなくていい」
ノーラの瞳から溢れ出た涙は、その白い頬を幾筋にも濡らした。ブルーノはノーラの涙を拭ってあげたかった。
ブルーノがゆっくりと手を伸ばす。あと少し。ノーラの頬に触れる時、ノーラはハンカチで自ら頬の涙を拭いた。
ブルーノは手を伸ばしたまま動けないでいたが、ゆっくり立ち上がるとノーラの体を抱きしめた。
ブルーノはもうノーラを感じることはない。
それでも、離れることができなかった。
ブルーノの涙は止まらない。
ノーラはじっと動かなかった。やがて、静かに目を閉じた。
「ここにいたんだね」
薄いベージュのタキシードを着たマコーレーが控室に入って来た。ブルーノはゆっくりとノーラから体を離した。
「ここ、気持ちがいいの。窓から入ってくる風が、私を包み込んでくれているみたい」
ノーラが笑顔でマコーレーに答える。マコーレーは頷くと左腕を差し出した。ノーラは椅子からゆっくり立ち上がると、その腕に右手をそっと添えた。
そのまま二人は控室を出ていく。最後まで見送ったブルーノは、ノーラが座っていた椅子に縋るようにして泣き崩れた。椅子の上には、ネックレスだけがポツンと置かれていた。
結婚式は無事始まったらしく、礼拝堂からオルガンの音が漏れ聞こえる。
控室の隅で毒虫を撫でていたタナトスが、ブルーノに近づくとそっと左腕を差し出した。
「何のつもりだ」
「したいのかなと思って」
「なんでだよ」
ブルーノが泣き笑いになる。寂しさと後悔を含んだ笑い顔だが、タナトスを見るとしっかりと頷いた。タナトスは、ブルーノの手首を掴む。
その時。突然、雲の切れ間から差し込んだ光が眩しくて、ブルーノは思わず瞼を閉じた。
目を開いたブルーノは辺りを見渡した。
なぜならそこは、光も闇もない、音も遠い不思議な場所だったからだ。ただある空間の先に、薄く光が差していた。なんとなく、ブルーノは光に向かって歩き出す。歩きながら、ブルーノはさっき見た薄明光線を思い出していた。この世で見た最後の景色がきれいでよかった。
ブルーノは前を向いたまま、後ろを歩くタナトスに話しかける。
「あのタキシードの色見たか? あんな地味な色を選ぶやつがノーラの夫になるなんて。それにもっと式に金をかけてやれよ。再婚だからってノーラが惨めだろう。あ、あいつ、靴の踵少し上げてやがったぞ」
言っても仕方のない愚痴が止まらない様子のブルーノの背中を見ながら、タナトスはさっきの毒虫の模様の数を思い出していた。
「あいつ、本当にノーラのことを幸せに……」
「あの人、すごく長生きするよ」
タナトスがブルーノの言葉を遮る。ブルーノは黙り込んだ。
「それにあの人は」
タナトスは、少し間をおいてから呟いた。
「車道に飛び出したりしないと思う」
「そりゃあ良かったです」
少し拗ねたように吐き捨てたブルーノは、それから喋らなくなった。ただ黙って歩くブルーノだったが、やがてその肩は僅かに震え出す。嗚咽と鼻を啜る音だけが空間に響く。タナトスはただ後をついて歩く。
やがて、薄い光の前に辿り着いた。ブルーノの足が止まる。
「世話になったな」
しばらく黙っていたブルーノが、前を向いたままタナトスに礼を言った。
「仕事だから」
ブルーノが笑う気配がした。タナトスはフードを深く被り直した。ブルーノは少し躊躇ったようだが、光の中へと足を進めた。
完全にブルーノが見えなくなる瞬間、ブルーノの声がタナトスに届く。
「ノーラの幸せを強く願う」
タナトスの目の前で、光は消える。ブルーノの気配が消え、また光も闇もない、音も遠い世界が戻ってくる。タナトスはクルリと踵を返すと、もと来た道を歩きだす。
「なんで自分の逝く先の心配より、自分以外の幸せを願うんだろう。人間って」
安寧も寂しさもない世界に、タナトスの呟きと足音がゆっくりと溶けていった。
お読みいただきありがとうございます。
「夫人の頬に触れるとき」完結です。
次回から新しいお話です。
もう少し、タナトスのしごとを読みたいという方。
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