第2話
「タナトス」
死神か……ブルーノは全てを理解した。理解はしたが感情はまだまだ追いつかない。
「行くって、そんなすぐに」
「一年待ったよ。その間に教会の隣の屋敷の爺さんも……」
「わかったわかった。起きなかったのは悪かった。車道の寝心地が良かったのかもしれない。でもノーラが気になるんだ」
玄関から物音がする。ブルーノはタナトスを放って玄関へと急ぐ。トランクを一つだけ持ったノーラが、侍女に見送られて馬車に乗り込むところだった。馬車にはフェザー男爵家の家紋が入っていた。
「嫁入りみたいだね」
タナトスは興味なさげに言うと、すっとブルーノに手を伸ばした。ブルーノは手首を掴まれる直前に、両手を自分の背中に回した。そして、膝をつくとタナトスに懇願した。
「お願いだ。もう少しだけ待って欲しい。せめてノーラが無事結婚式を終えるまで」
「えー。もう一年待ったよ」
「一年待ったら、あと少しぐらい何とかなるだろう! な、頼む」
「借金を踏み倒す人がよく言いそうだね」
「俺に借金は一切ないぞ!」
迫り来るブルーノに、タナトスは面倒臭そうな顔をした。ブルーノが知る限り、フェザー男爵家で妻を持たないのは長男のマコーレーだけだ。マコーレーも不幸なことに数年前に妻を亡くしている。そういった事情から、二週間もあれば結婚式を挙げるだろう。
あと、もう一つ気になることもあった。
「ノーラが……ノーラが他の男に頬を染めるところを見てみたい」
「……」
タナトスが心底嫌そうに顔を顰めた。
「いや、違うんだ! いや、違わないけど……」
タナトスの反応に、ブルーノは慌てて言い訳をする。
ブルーノとて、死神とはいえ少年の見た目をした相手に言うことではないとは承知している。蔑むようなタナトスの視線がとても痛い。が、そこは引けない。死んでも死にきれない。
「すごい趣味だね。理解できないや」
かなり引いた様子のタナトスにしがみついてまで懇願したブルーノは、なんとか了承を得ることができたのだった。
***
ランドルフ子爵家がある街から少し離れた田舎町。フェザー男爵家の屋敷は、一際のどかな場所に建っていた。
ブルーノとタナトスが男爵家に着いた頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。
屋敷からは賑やかな声が聞こえてくる。どうやらノーラは温かく迎えてもらったようだ。ブルーノは裏庭に周り、そっと窓から中を窺う。家族が集まったようで、そこには十人ほどの男女が談笑していた。
ブルーノは窓に顔を押し付ける。隣のタナトスは、ブルーノの潰れた頬や鼻の造形が気になるらしく凝視している。
「いた。ノーラだ」
ブルーノが低い声を出す。タナトスがブルーノの視線を辿ると、部屋の中央にノーラがいた。ノーラより少し背の高い男性が隣で微笑んでいる。結婚相手となるマコーレーなのだろう。マコーレーはノーラに何やら話しかけると、ノーラは少しはにかみながら微笑み返した。
「笑ってるよ。幸せそうだ」
タナトスが言うと、ブルーノはノーラから目を離さないまま答える。
「作り笑いだ。かわいそうに……」
タナトスにはわからないがブルーノがそう言うのなら、そうなのだろう。やはり今日ブルーノを連れて行くのは無理だなと、タナトスは小さく欠伸をした。
***
「なんだ、あいつ。俺より背が低いじゃないか」
「顔も平凡、髪色も平凡な茶色だ。母さんも俺よりいい男を見つけてやればいいのに」
「マナーもへったくれもないな。どれだけ女性を扱い慣れていないんだ、まったく」
翌日から、マコーレーとノーラは親睦を深めるためか頻繁にデートを重ねた。とはいえ田舎町。男爵家のだだっ広い庭のパティオや、近くの教会に行くことがほとんど。そのすべてにブルーノはついて行っては、マコーレーに文句ばかり垂れていた。
「文句を言うなら見なければいい」
ブルーノは、今日も庭のガゼボでお茶を飲む二人を覗き見ては愚痴を言う。タナトスはうんざりした様子で言った。
「あいつがノーラを幸せにできる男かどうか見極めなきゃならんのだ。ノーラはそんな可愛い笑顔を見せてやらなくていいのに」
「毒虫の方がかっこいい」
すっかり暇を持て余したタナトスは、葉の陰にいた緑の体に黒いまだら模様をした毒虫を撫でていた。
タナトスからすると無駄で退屈な日々は、それでもきちんと流れていく。
結婚式を二日後に迎えた夜。ランタンできれいに彩られたパティオには、マコーレーにエスコートされたノーラがいた。その近くには、もちろん不機嫌顔のブルーノとうんざり顔のタナトスも。
「離れろ、離れろ」
呪詛に近いブルーノの願いは叶わず、しばらく散歩を楽しんだ二人は、立ち止まると自然に向かい合った。
「話があるんだ」
マコーレーが少し緊張した面持ちでノーラをまっすぐに見つめる。ノーラは頷くと、マコーレーを見上げた。
「君がまだ、亡くなったご主人を想っているのは理解している」
ノーラの顔色が一瞬だけ変わる。それを見逃さなかったブルーノは「当たり前だ!」と憤る。
「僕もそうだった。三年経って、ようやく前を向けるようになった」
ノーラは何も言わずにマコーレーを見つめる。
「忘れる必要はない。僕は君に、ご主人を忘れてくれとは思わない。想い続けている君ごと受け入れる覚悟はある」
そこまで言うと、マコーレーはノーラの前に跪いた。
「君がもう一度、心から幸せだと思えるように愛を注ぎ続ける。約束する。君の側にいさせてほしい」
ブルーノは言葉が出せなかった。ノーラに受けて欲しいのか、それとも断って欲しいのかすらもうわからない。ブルーノは黙ったまま、そっとその場を離れた。タナトスは不思議そうにブルーノの後ろ姿を見ていたが、やがてブルーノを追いかける。途中、タナトスから見えたノーラの頬は、微熱を帯びたように赤く染まっていた。
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次回、第2章最終話です。




