第2話
「あの修道士に高い金を払ったのに……」
「騙されたとは思いたくないけど、早すぎないかしら」
「兄さんたちが金を出してくれるなら、俺たちは何も言わない」
タナトスが寝室に入った時。
黒い礼服を着た男女が集まり、ベッドには息をしていないであろう老人が横たわっていた。
「ニャー」
足元に現れた黒猫を見たタナトスは、威嚇された時を思い出し嫌な顔をする。猫はタナトスの前を横切り、タナトスの隣に立つ人物の足にゴロゴロとまとわりついた。
「無理を聞いてくれて、ありがとう」
老人は足元の猫の喉を撫でながら、タナトスに礼を言った。
「仕事だから」
ぶっきらぼうにタナトスが言う。老人はタナトスを見て、寂しそうに笑った。
「こいつと一晩、一緒に過ごせて心残りはないよ。色々話せたし」
猫は、老人の言葉を理解したように、老人の足元に丸まった。
「あの人たちは? なんか、たくさんお金払ってた」
「ああ、子供たちか。あれだけ世間の良し悪しを教えたのに、最後の最後で騙されおったわ」
口調こそ怒っていたが、その顔には慈しむような笑顔が浮かぶ。
「まぁ、儂のために騙されたんだから、きつく叱れないわな。それに」
老人は、自分の屍の周りに集まる男女を見ながら、それは楽しそうに言う。
「えらいポンコツな修道士を連れて来よった。君を老婆と言い切った時には、笑いを堪えるのに必死だった」
タナトスは修道士を思い出した。全部が全部、見えていない訳ではないのだろう。しかし、あの程度の能力で金儲けをするのは、金持ち相手だけにして欲しいと、タナトスは眉をひそめた。
「お前とは、ここでお別れだ」
老人が足元の猫に言う。猫はゆっくり立ち上がると、じっと老人を見つめる。そして、トボトボと部屋を出て行った。
猫が見えなくなると、老人はタナトスに手を差し出した。
「もう、いいぞ」
タナトスは頷くと、差し出された老人の手首を掴んだ。
まだ日が高く、散歩を楽しむ人が多い公園。木の根元にしゃがみ込むように、タナトスがいた。
指には、あの毒虫を載せていた。
「……まだだよ」
タナトスがゆっくりと毒虫を撫でる。毒虫は少し身をよじる。
「おーい! タナトスッ!」
突然、タナトスを呼ぶ大きな声がする。毒虫はびっくりしたように、タナトスの指から逃れて落ち葉に身を隠す。
一人になったタナトスはムッとしたように、毒虫が逃げた原因となった声の主を探す。が、それを見た途端、すぐに呆れ顔になった。
ヒュプノスがいる。ヒュプノスが、手を振ってこちらに向かって来る。左足に淑女をぶら下げて。
「足……」
重い左足を引き摺るようにして、やっとヒュプノスがタナトスの元に辿り着いた。ヒュプノスは、タナトスが指差す自分の左足を見てからギョッとする。
「あ、あれ? ちょっと待ってて」
ヒュプノスはしがみつく淑女を左足から引き離すと、そのまま肩に担ぎ上げた。
「嫌よっ! ヒュプノスとは絶対に離れないわ!」
「わかった、わかったよ。大丈夫。ちょっとだけ、俺と良いところに行こう」
そう言うと、ヒュプノスは女性ごと姿を消した。ヒュプノスがいた場所だけ、枯れ葉が舞い踊る。
タナトスが目をぱちぱちしていると、次の瞬間にはヒュプノスは涼しい顔をしてタナトスの前にいた。
「お待たせ」
悪びれずに言うヒュプノスに、タナトスはため息を吐いた。
「いつも、あんな感じなの?」
ヒュプノスはアハハと笑う。
「なんだろうね。最初は普通に連れて行こうとするんだけど、なぜか皆、俺を離してくれないんだよ」
タナトスはヒュプノスの顔をじっと見た。
「ま、俺たちの姿って人間が勝手に思い込んでいる姿だからね。本当の姿を見たら、きっと驚くよ」
タナトスも頷く。人によって見え方はきっと違うのだろう。タナトスは金色の髪をくるくると指に絡ませた。
「俺、顔が良くて優しそうに見られるから、死神って信じてくれないのよ」
タナトスは興味なさそうに返事をする。
「じゃあ、大きな鎌でも持ってみたら」
「あはは。それ、いいな」
ヒュプノスは楽しそうに笑った。しばらく笑っていたヒュプノスは、チラリとタナトスを見た。
「ところでさ、タナトスは最近どう?」
ヒュプノスが、さっきとは違う真面目な顔で尋ねる。
「普通」
タナトスは、質問の意味がわからなかった。ヒュプノスとは付き合いが長い。しかし、今までそんなことを聞かれたことがなかったからだ。
「この間、タナトスを見た時に違和感があったんだよね。なんか、こう……薄くなったっていうか」
うーんと難しい顔をして、ヒュプノスが目を閉じながら言う。
「例えば、何かに執着とかしてる?」
タナトスは首を捻る。
「?」
心底わからないといった様子のタナトスに、ヒュプノスは表情を崩した。
「そっか。ならいい。勘違いかな」
ヒュプノスは、タナトスの足元をチラリと見ながら言う。
「執着は、死神が持ってはいけないものだからね」
「持ったら?」
「知らない。消えるんじゃない?」
タナトスが何かを考える。
「俺たちが連れて行く、あの薄い光。あの先に何があるのか、あの先に行ったらどうなるのかなんて、俺たちは知らない。興味もない」
ヒュプノスが言う。タナトスは黙って聞いていた。
「人間は、自分の意思では死なない。だから、あの光の先には、自らの意思で進ませないといけない」
そう言うと、ヒュプノスはタナトスに軽く笑いかけた。
「ま、どうでもいいんだけどね」
それより死神って死ぬのかなと、ヒュプノスが軽口を叩いていると、遠くから金切り声が近づいて来た。
「ヒュプノスー! どこにいるのよっ!」
ヒュプノスは慌てて立ち上がる。
「ヤバい。俺、消えるわ」
タナトスにひとつウインクをした。
「タナトス、元気でね」
それだけ言い残すと、ヒュプノスは姿を消した。
「魂から逃げる死神って、あんまり見ないね」
タナトスは呟くと、再び木の根元にしゃがみ込んだ。
次回、最終話です。




