最終話
「迎えに来た」
王都の外れの人気のない夜の路地裏。石壁にもたれて動かない男に、タナトスは声を掛けた。
「なぁ」
ゆっくりと顔を上げた男が、焦点の合わない目でタナトスを見る。腹部から出たであろう血は、もう赤くない。
「俺の家族は……」
「知らない。僕は会ってない」
男は、ほっとしたように息を吐いた。
「俺、どこに行くんだ?」
タナトスは知らない、とだけ呟いた。
そっか、と男は力なく笑う。タナトスは男の手首を掴んだ。そして、男を連れて行く。いつもより、少し早足で。
男を送ったタナトスは、夜の公園に向かう。足早に、毒虫がいる木の根元を目指して。
最後はほとんど走るようにして辿り着いたタナトスは、両手で落ち葉を掻き分けた。
タナトスの手が止まる。
毒虫が丸まっていた。
タナトスはそっと毒虫を手のひらに載せる。毒虫はピクリとひとつだけ動いた。
月の明かりだけが青く毒虫を照らす。タナトスはゆっくりと毒虫を撫でた。
月が角度を変える。毒虫が影に沈む。タナトスの指が止まった。
いつの間にか毒虫は、タナトスの手の上で動かなくなっていた。
動かない毒虫を見つめるタナトスの目に、熱い涙が浮かぶ。
「お前は、どこに行くの?」
毒虫に問いかけるタナトスの目から、涙が溢れ出る。一粒、また一粒とタナトスの頬を流れ落ちた。
タナトスは、初めて流す涙に気づかないように、じっと毒虫を見ているた。
涙が一粒溢れる度に、タナトスの輪郭が揺らぐ。
タナトスの涙は止まらない。
そして……
タナトスの姿は、そっと掻き消えた。
落ち葉の上には、毒虫の亡骸だけがポツンと落ちていた。
タナトスが目を開ける。
ゆっくりと周りを見渡すが、さっきの公園だ。噴水の水音だけが聞こえる。何も変わっていない、同じ夜だとタナトスは思った。
タナトスは足元に目をやる。
「毒虫は……?」
その時、背後から声がした。
「誰が、毒虫よ!」
驚いて振り向く。そこには、緑の髪を黒いインクでまだらに汚した令嬢が立っていた。
「毒虫ちゃん……」
タナトスは絶句した。
「相変わらず失礼ね。ちゃんと、リディアって名前があるのよ!」
タナトスの様子などお構いなしに、リディアはタナトスに文句をぶつけた。
「知ってる」
タナトスは呆然と、リディアを見つめた。リディアは何やらタナトスに文句を言っている。黙ってそれを眺めていたタナトスは、リディアが息継ぎをしたタイミングでやっと口を開いた。
「毒虫ちゃん、丸くなった」
最後に見た時より、少しふっくらしたリディアが頬を膨らませる。
「空気がとても美味しいのよ! 空気を吸うだけでも太るお年頃なの!」
間髪入れずに文句を言ってくるリディアを見て、タナトスは胸の奥がくすぐったくなった。
「どこに行こうかしら」
リディアがキョロキョロと周囲を見渡す。
「教会は?」
「……いい性格してるわね」
「前も言われた」
「でしょうね」
リディアがタナトスを睨みつける。タナトスは首をすくめた。叱られたはずなのに、なぜか楽しい。
「時間はいっぱいあるわ」
「うん」
リディアはタナトスに手を伸ばす。タナトスは、リディアの手のひらをギュッと握った。
「タナトスの手、温かいわね。眠いの?」
「いつも眠い」
何それ、とリディアは笑う。タナトスもリディアの手の温かさに、その口元がわずかに緩んだ。二人は笑いながら、公園中を散歩した。
「うわ……いっぱい、いるのね」
「友達ができたみたい」
木の根元の落ち葉の裏には、沢山の毒虫がいた。タナトスは、緑に黒のまだらがある毒虫に指を伸ばした。その隣には、少し小さな虫が寄り添っている。タナトスは、二匹を交互に撫でた。
「さ、触ったわね?! その手を洗いなさい!」
リディアは噴水までタナトスを引っ張って行く。嫌がるタナトスと押し問答しながらも、二人は繋いだ手を離そうとはしなかった。
「ほらっ、ここの水で手を洗って。早く!」
リディアがタナトスのケープを引っ張る。
急に引っ張られて、タナトスのケープが大きくずれた。
ポチャン。
ケープのポケットから、いつの日かブルーノから受け取った金貨が噴水に落ちた。
「あーあ」
タナトスは、ほんの少しだけ顔をしかめた。
「わ、わざとじゃないわよ!」
リディアがタナトスに詰め寄る。タナトスは、言い訳をしようとするリディアの手を繋ぎ直すと、噴水の縁へと連れていく。
二人は沈んでいく金貨の行方を見るために、身を乗り出して噴水を覗き込んだ。
二人は頬を寄せて、必死に水面に顔を近づける。
「ある?」
「ない」
「あ、あれじゃないかしら?」
「あれはキレイなゴミ」
穏やかに揺れる水面には、二人の後ろに上がる月だけがゆらゆらと映る。
公園には、噴水の水の音だけが静かに響いていた。
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