第3話
その夜。滅多にわがままを言わないルカが、両親にお願いをした。
「一緒に寝たいなんて。下の階の泣き声を聞いて、ルカも赤ちゃん返りしたのかしら?」
ブツブツ言いながらも、シーラは嬉しそうに夫婦のベッドの真ん中にルカの枕を置いた。
「よし、誰が早く寝るか競争するか! きっとパパが一番だ!」
目の下に隈を作り、疲れているはずのジェムが、元気な声を出しながらルカの布団を運ぶ。
三人はルカを真ん中に、狭い狭いと言いながらひとつのベッドに入った。
「今日、教会のイチイの木に赤い花が咲いていたわ。どおりで寒くなったはずね」
「イチイの木?」
「ルカは知らないか。聖なる木って言われる、大きな木があるんだ。寒くなると花が咲くんだよ」
「見てみたい。その木に毒虫はいるの?」
「やだっ、ルカったら! また毒虫?」
「えー。毒虫に友達作ってあげたいのに」
「毒虫なら、公園の木にいるんじゃないか」
「本当? 行ってみたい」
「でも、パパは毒虫よりルカがいいな!」
「ママもよ!」
ジェムとシーラは、ルカを抱きしめた。くすぐったそうに、ルカが笑い声を上げる。
ジェムは、自分の幼少期と比べて、かなり小さく細いルカを抱きしめ、涙を堪えた。
シーラは、産んだ時よりもはるかに大きくなってくれたルカを抱きしめ、泣き笑いのような表情を浮かべた。
ルカもジェムもシーラも、その夜は遅くまで笑い合った。
やがて三人は、笑い疲れて眠りについた。
「外は、こんな匂いなんだね」
「風って、どこから吹いているのかな」
「星は何個あるんだろう」
深夜の石畳を、タナトスとルカは歩いていた。ルカは外出に興奮しているのか、ずっとはしゃいでいる。
その右手には、大事そうに虫かごが抱かれていた。
「すぐ、行くの?」
「そういう訳じゃないけど」
「僕、教会と公園に行ってみたい」
「うん」
タナトスは左手を差し出した。
ルカはキョトンとしたが、すぐに虫かごを左手に持ち替え、右手でタナトスの左手を握った。
背中を摩ってくれた時、冷たいと思ったタナトスの手は、今は冷たくも温かくもない。
二人は並んで歩き出した。
「本当だ。赤い花が咲いているね」
ルカが教会の聖なる木を見上げて笑う。タナトスは木の向こう側にある墓石を、ぼんやりと見ていた。
「やっぱり、毒虫もいなさそうだね」
「寒いから。公園の木の根元には、落ち葉がたくさんある。そこなら毒虫がいる」
二人は再び手を繋いで、公園に向かう。夜の公園は、噴水の水の音だけが静かに響いている。
ルカは、近くの木の根元にしゃがみ込み、一生懸命毒虫を探した。タナトスは、預かった虫かごの毒虫をつつく。
しばらく毒虫を探していたルカが、タナトスの隣に来た。タナトスは首を傾げる。
「その子、ここに置いて行くね」
「いいの?」
「うん。友達になれそうな子がいたんだ」
ルカはタナトスの手から毒虫を受け取ると、木の根元にそっと置いた。
毒虫は伸びをするように体を真っ直ぐにすると、ノロノロと落ち葉の中へと消えていく。
どこからか、優しい風が吹いた。木の葉が揺れる音がするたびに、ルカは音のする方を見上げて目を細める。バラバラに揺れる葉を見ては、興味深そうにそれを眺めた。
静かな時間が、二人だけに流れていた。
やがて葉の揺れが止まった。
ルカは隣にいるタナトスを見た。ルカの目の高さは、タナトスの肩から首ぐらいだろうか。意外と小さいんだなとルカは微笑んだ。
ルカはタナトスの手をギュッと握る。驚いたように一瞬目を見開いたあと、タナトスもその手を握り返した。
ジェムともシーラとも違う手の大きさ。ルカは嬉しくなって、そっと目を閉じた。
目を開けると、そこは教会でも公園でもなかった。
そこは、光も闇もない、音も遠い不思議な場所だった。ただある空間の先に、薄く光が差している。
ルカはなぜか怖く感じなかった。タナトスがいるからだろうか。
ルカはゆっくりと歩き出す。しっかりと手を繋いだまま。
タナトスも、ルカに歩調を合わせる。二人の足音がゆっくり響いた。
「あの毒虫、ちゃんと友達できるかなぁ」
「わからない」
「タナトスさ」
「うん」
「人間、好き?」
「別に」
「僕とは話してくれたよね」
「怒らないし、変な趣味もないし、煩くないし」
「仕事だから?」
「……暇だから」
「ふふ」
「……」
「僕、パパとママのこと、大好きだったんだ」
「うん」
「タナトスも、いつか好きな人ができるといいね」
「わからない」
「どんな人がいいかな〜」
「毒虫がいい」
「あはは。じゃあ、毒虫みたいな人とずっと過ごせたらいいね」
「うん」
タナトスが頷いた時、二人の足が止まった。薄い光が、すぐ目の前にあった。
ルカは手を繋いだまま、光の中を窺うように背伸びする。タナトスは、さっき伸びをしていた毒虫を思い出し、小さく笑った。
しばらく光を見ていたルカが、ゆっくりとタナトスから手を離した。タナトスは何も言わない。ただ、ルカから目を離さなかった。
「行くね」
「うん」
「ありがとう」
最後に微笑んで、ルカは光の中に消えて行った。
タナトスはじっと見守る。その時、ルカのすすり泣く声が聞こえた気がした。
それは、タナトスが初めて聞いたルカの泣き声だった。タナトスは思わず、光に向かって呟く。
「泣かなくても、すぐに友達ができる」
泣き声が聞こえなくなる頃、光は消えた。ルカの気配もなくなる。
また、光も闇もない、音も遠い世界が戻ってきた。
タナトスはしばらく、右手を見つめたまま動かなかった。
やがてルカの感触が、手の中から消えていく。
ようやく、タナトスは踵を返した。
痛みも温もりもない世界に、タナトスの足音だけが静かに溶けていった。
「死神の虫かご」
お読みいただき、ありがとうございました。
次回からは最終章となります。
最後までお付き合いいただけると幸いです。




