表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイツ、ナニカ、ヤッタラシイ〜物語が拡散する世界で〜  作者: 藤紫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/11

第9話 歪みを…見せる

広場は、朝から異様な熱気に包まれていた。


「見て見て、勇者様よ! 本物!」

「悪役令嬢様まで!? 生で見られるなんて!」

「隣領の男爵様も来てるってよ! じれじれ男爵!」


集まった群衆は、まるで祭りでも始まるかのように沸き立っていた。壇上に五人が姿を現すと、歓声はさらに大きくなった。旗を振る者、屋台の食べ物を頬張りながら指を差す者、子供を肩車して壇上を覗き込む者。誰の顔にも、これから何か面白いものが見られるという、無邪気な期待だけがあった。


「宰相様まで! これは、ついに真相が明かされるのでは!?」

「断罪ですか!? 誰かが断罪されるんですか!?」


ヤジとも歓声ともつかない声が、あちこちから飛ぶ。


「男爵様ぁ! ロゼ様とはどこまで進んだんですかぁ!」

「勇者様、今日こそ本当の実力見せてくださいよぉ!」

「悪役令嬢様、次は誰をいじめる予定ですかぁ!」


セラフィナの肩が、わずかに強張った。エドヴァルドは、拳を握りしめた。ガレスは、深く息を吸い込んだ。壇上に立つ五人の背に、数百の視線が突き刺さっている。それは敵意ではなく、もっと軽い、娯楽を求める視線だった。だからこそ、逃げ場がなかった。


そのとき、群衆の中から、少し違う方向の声が上がった。


「ねえ、男爵様と悪役令嬢様って、並んでるとなんか……」

「身分差カップル、推せるかも……」

「えっ、それあり? 鈍感男爵と、表向きは厳しいけど実は優しい令嬢?」

「禁断の関係感あるよね」

「ロゼ様はどこ行くのよ!」

「三角関係もいいんじゃない?」


エドヴァルドが、思わず顔を引きつらせた。セラフィナは、頭巾——今日は隠すつもりのなかったその素顔を、群衆の前に晒したまま、指先だけを強く握りしめている。アルヴィンは、そのやり取りを聞いて、右目の奥が熱を帯びるのを感じた。彼らは、まだ何も始まっていないのに、すでに次の物語を作り始めていた。昨夜の懇談で、確かに笑い合ったはずの五人が、今、また勝手な役に塗り替えられようとしている。


宰相が、静かに一歩前に出た。それだけで、潮が引くように喧騒が収まっていく。長年、この手の場に立ち続けてきた者の重みだった。


「今日、皆様にお集まりいただいたのは」

「宰相様の悪事、ついに認めるんですか!」


誰かが叫び、周囲がどっと沸いた。宰相は、表情ひとつ変えなかった。だが、その手の中で、書類を持たない拳が、わずかに白くなっていた。


「いいえ。私はこれまで、誰かを陥れたことは一度もありません」

「またまた、ご謙遜を!」

「そういうところが怪しいんですよ!」


笑いを含んだヤジが飛ぶ。宰相は、それでも淡々と続けた。


「私だけではありません。ここにいる四人も、皆様の噂とは、まったく異なる現実を生きています」


エドヴァルドが、震える声で続く。喉の奥が、痛いほど熱かった。三年間、言えなかった言葉を、ようやくロゼに向けて言おうとした、あの午後を思い出していた。


「俺は、鈍感でも難聴でもない。三年間、ずっとロゼ嬢のことを想ってきた。今日こそ言おうと決めた日に、限って邪魔が入る。それが何度も、何度も続いた。笑い話じゃない。俺にとっては、人生で一番大事な言葉なんだ」


一瞬、広場が静まった。だがそれは、聞き入ったからではなかった。ただ、次の反応を選ぶための、一拍の間だった。


その静けさの隙間に、エドヴァルドは思わず、昨夜のままの口調で続けてしまった。


「……分かってくれよ。俺だって、シャツの裾出したまま来るような、ただの男なんだよ。じれったいとか、色男とか、そんな大層なもんじゃない」


言った瞬間、しまった、と思った。だがもう遅かった。


「またまた、照れ隠しですね!」

「じれったいのが、また良いんですよぉ!」

「でも悪役令嬢様との路線も捨てがたい!」


群衆の声は、止まらなかった。エドヴァルドの声は、笑い交じりのヤジに、次々と塗り替えられていく。彼の手が、壇上の手すりを強く掴んだ。指の関節が、白く浮き上がった。


「……聞いてくれよ」


その声は、もう歓声にかき消されて、誰にも届いていなかった。

ガレスが、代わりに前へ出た。稽古着の袖が、朝の風に揺れる。毎朝五キロ走り、素振りを千回続けてきた三年間。その一日一日を、彼は思い出していた。指にできた剣胼胝、寝る前に必ず確認する明日の稽古予定、誰も見ていない早朝の鍛錬場。


「僕は、無自覚な天才なんかじゃない! 毎日、死ぬほど鍛錬してるんだ! 剣の重さも、素振りの回数も、全部覚えてる! それを、努力とも呼ばれないまま、勝手に才能にされるのが、一番つらいんだ! それを、誰にも否定させたくない!」


声が、掠れた。喉に、鉄の味がするほどの声だった。


「さすが勇者様! そういう努力を、努力とも思わないところが、本物の才能ですよね!」

「『えっ、俺なんかやっちゃいました?』って言いそう!」


歓声が、彼の否定さえも、称賛に変換していく。ガレスの顔が、みるみる青ざめた。握った拳が、震えていた。


「言ってない……! 俺は、そんなこと、一言も言ってない……!」


その叫びさえも、群衆の耳には、謙遜の続きにしか聞こえなかった。誰かが「またまたぁ」と笑い、隣の誰かがそれに同調して笑った。笑いの波が、彼の声を飲み込んでいく。


ガレスは、拳を握ったまま、一瞬だけ、昨夜の軽口の調子に戻った。


「あのな……俺、割と口が悪いんだよ。宰相様にも失礼なこと言うくらい、素はガサツなんだ。そんな、詩に歌われるような孤高の男じゃねぇんだよ」


だがその声は、笑いに紛れ、拍手にすら変わっていった。「またまたご謙遜を」と、誰かが嬉しそうに繰り返した。


セラフィナが、震える声で言葉を絞り出した。頭巾を外したままの顔に、初めて、はっきりとした怒りの色が浮かんでいた。


「私は、悪役ではありません。ただ、友人を大切にしているだけです。ミアの手を取ったのは、針の持ち方を教えるためです。転んだ彼女に駆け寄ったのは、目の前で人が倒れたからです。それの、どこが罪なんですか」


「はいはい、そういうことにしておきましょう!」

「次は、その友人を裏切るんですよね! 分かってますよ!」

「男爵様を奪う展開もありじゃね?」


嘲笑にも似た明るい声が、あちこちから返ってくる。誰一人として、まともに耳を傾けている者はいなかった。セラフィナの目に、涙が滲んだ。だが彼女は、それを拭わなかった。ただ、拳を握りしめ、群衆を見据え続けた。


「……昨日の夜、私、笑ったんです。頭巾を外して、皆さんと、ただの世間話をして。あんな風に笑ったのは、久しぶりでした」


声が、少しだけ震えた。


「それだけなんです。私は、悪役でも、聖女でもない。ただ、笑ったり、疲れたりする、一人の人間なんです」


群衆の誰かが「良いお話ですこと」と茶化すように言い、また笑いが広がった。セラフィナは、それ以上、何も言わなかった。

アルヴィンは、目の前の光景に、めまいすら覚えた。真実を語れば語るほど、群衆はそれを、さらに都合の良い物語へと作り替えていく。まるで、言葉そのものが、届く前に別の形へと変質させられているようだった。


昨夜、この四人と笑い合った時間が、脳裏をよぎった。エドヴァルドのシャツの裾。ガレスの噴き出す声。セラフィナの、初めて見た笑顔。宰相の、「楽になります」という短い一言。


——それを、こんな連中に、壊させてたまるか。

右目の奥に、これまでにない熱がこもった。


「……もう、いい」


アルヴィンは、拳を強く握りしめた。指の関節が白くなった。


「これだけ言っても、伝わらないなら」


右目の奥に、熱がこもる。これまで何度も、個人の記憶や心を覗くために使ってきた力。だが今、アルヴィンが解き放とうとしていたのは、それよりも遥かに大きな、広場全体を覆う"歪み"そのものだった。


「見せてやる。この歪みの正体を、俺だけじゃなく、ここにいる全員に」


魔眼が、これまでにない強さで輝き始めた。

広場の空気が、一瞬にして凍りついた。

広場全体が、光に包まれた。

いや、光ではなかった。それは、これまでアルヴィンだけが視てきた、無数の淡い糸だった。だが今、その糸は、広場に集まった誰の目にも、はっきりと映っていた。


「な……なんだ、これは……」


誰かが、掠れた声を漏らした。

人々の頭上を、細い糸が縦横に走っていた。誰かの口から出た一言が、隣の人間の認識をわずかに震わせ、その震えがまた次の糸を生み、伝播していく様が、今、誰の目にも見える形で晒されていた。


「男爵様は鈍感……」


誰かがそう呟いた瞬間、その言葉から伸びた糸が、エドヴァルドの方へ向かって震えながら伸びていくのが見えた。エドヴァルドの姿を微かに歪め、「じれったい男爵」という輪郭を、無理やり上塗りしようとしているのが、はっきりと分かった。


「勇者様は無自覚……」


ガレスの周りでも、同じことが起きていた。糸が絡みつき、彼の「努力した」という叫びを、途中で「謙遜」という形に捻じ曲げていく様子が、視えた。


「男爵と令嬢、身分差で推せる……」


その声から伸びた糸が、エドヴァルドとセラフィナの間を、不自然に繋ごうとする。二人の間に、存在しない関係性の輪郭が、薄く浮かび上がっては消えた。

群衆は、言葉を失った。


「私たち……今……何を、していたんだ……」


先ほどまでヤジを飛ばしていた男が、呆然と自分の口元を押さえた。


「俺、さっき、男爵様に、告白の邪魔されるのが良いって……なんで、そんなこと言ったんだ……」

「私も、悪役令嬢様に、次は誰をいじめるのかって……あの方、ただ、お友達を大事にしてるだけなのに……」

「身分差カップルとか、急に言い出して……何だったんだ、あれ……」


一人、また一人と、自分がついさっき口にした言葉を思い出し、青ざめていく。誰も、悪意があったわけではなかった。ただ、目の前の「面白そうな物語」に、無意識に手を伸ばしていただけだった。それが、今、糸という形で可視化されたことで、初めて自分自身の行為の輪郭を、まざまざと突きつけられていた。

広場の中心――五人が立つ壇の遥か上空に、糸が幾重にも束ねられ、渦を巻いている場所があった。そこには、やはり顔も輪郭もなかった。ただ、飢えだけが、そこにあった。

群衆のどよめきが収まらぬ中、宰相が、静かに、しかしよく通る声で言った。


「これが、皆様が、無意識のうちに私たちに押し付けていたものです」


誰も、反論しなかった。反論できる者は、もう誰もいなかった。

エドヴァルドが、震える声を絞り出す。先ほどまでの怒りが、今は、もっと静かな、切実な響きに変わっていた。


「私たちは、物語の登場人物ではありません」

「ただ、自分の人生を、生きているだけなんです」


ガレスが、拳を握りしめたまま、天を仰いだ。喉から、絞り出すような声が漏れた。


「僕の努力を、僕の努力のまま、見てほしかった。それだけなんだ」


セラフィナが、群衆に向き合ったまま、静かに、しかしはっきりと言葉を継いだ。頬に、一筋の涙が伝っていた。


「私はただ、友人を大切にしているだけの、一人の人間です」


広場を覆っていた糸が、ゆっくりと、力を失うように薄れていった。誰の口からも、次の言葉が出てこなかった。渦の中心にあった飢えも、やがて輪郭を失い、溶けるように消えていく。

静寂だけが、広場に満ちた。

やがて、誰かが、ぽつりと呟いた。


「……俺たち、何を、見てたんだろう」


その言葉に、答える者は、誰もいなかった。ただ、皆が、自分の内側にあった何かに、今初めて気づいたような、そんな顔をしていた。

壇上で、エドヴァルドが、隣に立つセラフィナに、小さく声をかけた。


「……言えましたね」

「ええ。あなたも」

「泣いてます?」

「泣いてません」


セラフィナは、頬の涙を拭わないまま、そう答えた。エドヴァルドは、それ以上何も言わなかった。ただ、静かに頷いた。


アルヴィンは、右目を押さえたまま、ゆっくりと膝をついた。熱は、もう引いていた。代わりに、深い疲労と、それを上回る何かが、胸の中に残っていた。

ガレスが、その肩に手を置いた。


「よくやった」

「……勝手に、やってしまいました」

「いいんだよ。あれで、伝わった」


宰相だけが、まだ表情を変えないまま、静まり返った群衆を見渡していた。だがその目には、これまでの淡々とした色とは、わずかに違う、何かが宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ