7-1 猶予 まだ、壊れてはいない
窓の外が白み始めた。
昨夜はいつも通りの就寝時間にベッドに入ったものの、一向に眠気はやって来なかった。昼過ぎまで寝ていたせいもあるが、それだけではない。何度も寝返りを打ち、その度に反対側のベッドを確認する。ベッドは相変わらず、寸分の隙もなく整えられたままだった。
時間は遅々として進まない。悪い考えが浮かんでは、なんとか理由をつけて打ち消していく。
一番怖いのは、兄がいつから不在だったのかが、分からないことだった。
天体観測の日の前日、兄は確かにこの部屋にいた。いつも通りの兄だった、と思う。いつも通り僕の食事のチェックをしてきて、僕はそれを少し鬱陶しく思った。僕が天体観測の話を出すと、『鶉たちも』と言ったのだ。兄も天体観測に出かける予定にしていたのだと思う。
天体観測の時に何かあったのか、あるいは、その前後に何かがあったのか。兄に何かあれば、僕に連絡がくるはずだ。管理者は僕と琥珀が兄弟であることを知っている。
では、本人の意思で、兄は今、ここにいない?
青鸞の言葉を思い出す。
――この前、夜遅くに琥珀が外にいるところを見かけたんだ。
彼は確かにそう言っていた。
もし何か事情があってやむを得ず校則に違反して部屋を空けているのであれば、僕が管理者に問い合わせることは監督生候補である兄にとって致命的な失点になるだろう。
今、僕ができることは、騒がずに待つことだけだ。分かってはいる。でも、じっとしていられずに何度も身体の向きを変える。
部屋の扉をじっと見つめる。
扉の外に耳を澄ませてみるが、夜明け前の廊下は物音ひとつしない静けさだった。
兄が夜間外出をしているとして、何をしているのだろうか。誰かと共にいるのだろうか。兄は誰とでも上手くやっていたが、特に親しい相手となると思い浮かぶのはひとりきりだ。
瑪瑙。
彼なら、何か知っているだろうか。朝を迎えたら、連絡してみようか。でも、もし、何も知らなかったら? 監督生である瑪瑙は、兄の違反行為を知ってしまえば、その立場上見逃すことはできないだろう。
ひとりで抱えるのは限界だった。誰かに、話を聞いてもらいたかった。朝になったら、青鸞のところへ行って相談してみよう。
それまでに――、
それまでに、兄が帰ってくればいいのに。
結局、一睡もできずに朝を迎えた。
学習予定は変更され、朝一番で管理者との面談が予約されていた。そうなるだろうと、思っていなかったわけではない。
指定された面談室は、普段あまり訪れることのないやや奥まった場所にあった。外部端末で位置情報を確認しながら、なんとか指定の時刻丁度に到着する。
扉の前で二の足を踏んでいると、センサーが僕を感知して扉を開けた。部屋に入らないわけにはいかず、足を進める。
管理者は椅子の肘掛けにもたれかかり、現れた僕を一度だけ見ると、さも面倒くさいといった態度で深く息を吐いた。
「座りなさい」
管理者の目の前に置かれた椅子以外には、僕が座っても良さそうな椅子はなかった。腰を下ろすと、管理者は手順通りに僕の頸や胸に機械を当て、端末のモニターに目を落とす。僕は硬直したまま、それが終わるのを待った。
「体調に問題は?」
言いながらも、目はモニターを見たままだ。
「ま、ないだろうな」
僕が答える前にそう結論付ける。僕に対する質問ではなかったのかもしれない。
僕は、この管理者が苦手だった。僕が何か話そうとする前に話が終わってしまう。こういうふうに、答える前に結論だけが置かれる空気を、僕は昔から知っている気がした。
「自分が遅れていることは分かっているな」
「……はい」
「自分の立場をよく考えるように」
「……はい」
「それから」
短い言葉で断定するように話す管理者にしては珍しく、言いかけて、一度間ができた。
「同室の琥珀のことだ。彼は医務室にいる」
「え……いつから――」
「昨日」
僕が話し終えないうちに返答がある。
「心配するほどのことはない。すぐに戻る。分かったら行きなさい」
「これ以上の質問は受け付けない」というような言い方だった。僕は釈然としないまま、椅子を引き立ち上がる。
ふと、懐かしい匂いがした気がした。何の匂いなのかは思い出せない。
管理者は手元に視線を落としたまま、もうこちらを見てはいなかった。
「失礼しました」と小声で言って部屋を出る。
体調は心配だが、兄の所在が分かったことに安堵していた。
――変に騒ぎ立てなくて良かった。
青鸞から変な話を聞かされたせいで、余計な勘繰りをしてしまった。大方、忙しくしていて体調を崩したとかだろう。
管理者はすぐ戻ると言っていた。
だから、きっと大丈夫に違いない。




