九.裏切り者①
鈍い音と共に剣がグロリオの首を掠め、後ろの柱に突き刺さった。
「グロリオ!」
アキレアが悲鳴を上げた。
「何の真似だ?」
すかさずスラウの背後に回ったハイドが剣を突き出した。
スラウはゆっくりと柱から剣を引き抜くと床に放り、手を挙げた。
「別に。私はグロリオの命に従っただけ」
「どういうことだよ、スラウ?!」
声を荒げるラナンを一瞥し、スラウは口を開いた。
「私はこんな隊長を知らない。私たちの隊長は、グロリオは……例えどんなに大変な任務でも契約主のことを1番に考えて行動する人だった。それに、例え私たちの中に裏切り者が居ようが、決して誰も疑わなかったはずでしょ?」
「でも、それはねスラウ。今回の任務を成功させないと……」
アキレアが口を挟んだが、途中で再び黙ってしまった。
「それは誰の為なの? 契約主の為? それともみんなの為?」
スラウの質問に誰も答えられなかった。
「私ね、この隊が解散したって別に良いと思ってる」
思いがけないスラウの言葉に隊員たちは凍りついた。
「……それ、どういうこと?」
掠れた声でアキレアが尋ねた。
「初めて皆に会ったのは山で助けてくれた時だったよね? 凄くかっこよかったよ。だから、この隊に配属されることを知った時はとても嬉しかった。フィルが私たちの故郷を取り返そうとした時も、皆、任務じゃないのに助けてくれて……私も、早く皆みたいになりたかった。尊敬してた。それなのに……今の皆は私の憧れてきた隊じゃない。こんな人たち、私は知らなっ……!」
突然、アキレアがスラウの胸ぐらを掴んだ。
「良い加減にしてよ! あなたの理想と違うから、解散しても良いと思ってんの?! 勝手に抱いた理想を押しつけないで! 私たちが何も考えないでこんなことしてるとでも思っているの?!」
スラウはしばらくされるままになっていたが、涙目のアキレアの手をそっと離した。
「……知ってるよ」
スラウの静かな目が隊員たちに向けられた。
「私は知ってる。この中にマリーラを消したり誰かを殺したり、そういうことをする人は居ないって私は知ってる。皆もそうでしょ? 私よりも前からずっと一緒に居た仲間だもん。ここにいる全員が、誰もそんなことをしていないって思ってる。違う?」
「……うん」
チニが声に出して頷くと、スラウは嬉しそうに笑った。
「なら、堂々としていてよ。何も悪いことしていないんだから、胸を張って立っていてよ。アキレアの言う通り、私が勝手に抱いた理想なのかもしれない。でもね、私は契約主のために、仲間のために、一生懸命に戦う皆を知っている。私はもう、山で助けてもらうのを待つだけの女の子じゃない。だから、ずっとそこに居て。皆の隣で戦って、同じものを守れるように強くなるから」
ラナンは静かにスラウを見守っていた。
彼女は知っているのだろうか。
自分たちの前に隊員がいたことを。
そのことを皆が隠してきたことを。
いや。
ラナンは心の中で首を振った。
恐らく知っているのだろう。
その隊員がどれほど彼らにとって大きな存在かを知った上で言っているのだ。
スラウの話は続いていた。
「だから、もう一度言うよ。誰かに罪を着せられたって、隊を解散させられたって構わない。皆、自分が間違ったことをしたわけじゃないことを知っているし、仲間のことだって信じてる……それ以上に何が必要なの?」
グロリオはそう問うてくるスラウの目をじっと見つめた。
今、もしアイツがここに居たら。
アイツは、ナキュラスは、同じことを言うのだろうか……
「くくっ……あははは……あははははっ!」
自然と笑い声が漏れた。
「ありがとな、スラウ」
そう言って頭を撫でると、スラウは驚いたように目を丸くした。
「あー……何か、変に気負ってたもんがなくなって楽になったわー。お前らも、そうだろ?」
「ふふ……そうだな。で、これからどうする?」
強張らせていた肩の力を抜いてライオネルが尋ねた。
グロリオはそうだなぁ、と肩を鳴らした。
「気持ちを切り替えたところで、状況がまずいことには変わらねぇんだよな」
「それなら私に任せて」
振り返るとランジアが立っていた。
「この人に任せておくと、あの龍を一層怒らせることしか出来なさそうだわ」
ツンとすましてこちらを見てくるランジアにスラウは顔を引きつらせた。
「任せても良いが、どうするんだ?」
グロリオの問いには答えず、ランジアは何かを探すように隊員たちを見回した。
「これよ! これをずっと探していたの!」
ランジアはチニの持っていた横笛を指差した。
「でも、息を吹き入れても音が出なかったよ?」
そう言って恐る恐る差し出すチニに構わず、ランジアはそれを握った。
笛の記憶している過去が蘇ってきた。
***
暗い部屋の中、銀髪の青年が膝をついて壁を見つめていた。
手には笛が握られている。
ふと笛が壁に叩きつけられた。
砕け散る笛を見つめる彼の頬を一筋の涙が伝っていった。
***
「……そう。知っていたのね……」
呟いたランジアは隊員たちに向き合った。
「彼がああなってしまった原因は、彼自身がかけた呪いにあるわ。愛した女性を死なせてしまい、彼は彼女と自分を引き合わせた笛を呪い、湖の守り神である己の宿命を呪った……私はそんな彼の気持ちを踏みにじったのよ」
「待て、ランジア!」
ラナンが止めに入った。
「あの状態じゃもう……龍に話は通じねぇぞ」
ランジアは龍をまっすぐに見つめた。
龍を包む霧がシュウシュウと音を立てている。
龍はその中で悶えながら吼えていた。
「例え声が届かなくてもやらなきゃならないの。これが私の責任の取り方だから」
ランジアは笛を掲げてゆっくり歩いていった。
「ねぇ、見える?! あなたの笛よ! あなたに返すわ!」
掲げられた横笛が鈍い光を放った。
龍は動きを止め、ゆっくりとランジアを見下ろした。
龍の鼻息が低く響く。
「私はエスメラルダじゃないわ。今まで言わなくてごめんなさい。私がもっと早くに言っていれば、あなたをこんなに傷つけることもなかったのに……」
龍は頭を仰け反らせ、吼えた。
まるでそれは違うと訴えているように。
「お願い! 私の声を聞いて! あなたも知ってるでしょう?! エスメラルダは死んでしまったの! けれど、あなたのせいじゃないわ! だから、せめてこの笛を……」
その時、龍の赤い瞳が近づいてくるランジアを見つめて細くなった。
首をもたげる龍を見てライオネルが叫んだ。
「ランジア! 逃げろ!」
次の瞬間、龍は彼女に牙をむいて襲いかかった。
反応するのが遅れたランジアに鉤爪が迫った瞬間、彼女の姿が消えた。
軽やかに指の鳴る音と共に現れたラナンがランジアを抱えて床を転がった。
「笛が!」
チニが叫んだ。
龍の狙いはランジアではなく、笛だったのだ。
龍の鋭い爪が笛を掴もうと空を掻いた。
「ちっ……!」
ハイドが舌打ちするや否や、龍に突っ込み、笛をもぎ取った。
「よっしゃ!」
グロリオが嬉しそうにガッツポーズをした瞬間、龍の長い尾が勢いよくハイドにぶつかり、彼は勢いよく吹き飛ばされた。
「ハイドォッ!」
ハイドの手から笛が滑り落ち、床を転がった。
――カラン。
不意に高い音が聞こえた。
心地よく耳に染み渡る音だった。
笛は床のあちこちにできた水溜まりを転がっていった。
――カランカランカラン。
笛が転がる度に音が鳴る。
アキレアが笛を手に取った。
「どうりで音が出ないはずだわ! 空気の代わりに水を送り込むことで音が鳴るのよ!」
「見て!」
アイリスが龍を指差した。
龍は動きを止め、静かに宙を漂っていた。
スラウは思わず目を見張った。
こちらをじっと見つめる目が、淡く美しい蒼色だったのだ。
しかし、次の瞬間、天井がガラガラと音を立てて崩れ、壁の裂け目から水が流れ込んできた。
「見て!」
フォセの叫び声にグロリオは龍を見上げた。
龍の瞳は再び赤色を帯び、霧の中で吼えていた。
その笛の音を止めろとでも言うかのように。
「守り神自身がかけた呪いか……俺たちにそれを解くことはできるだろうか……」
気を失ったハイドを支え、ライオネルは呟いた。
「笛を……貸して」
ランジアが息を切らしてやって来た。
腕には動物の姿のラナンが抱かれている。
長い尾はぐったりと垂れていた。
「もう間違えないわ……やるべきことが分かったの」
「そうしたいところだが、もうここは長くは保たねぇぞ」
「それなら僕に任せて、グロリオ」
チニが手を挙げた。
「僕が防壁を張って時間を稼ぐよ」
「チニ、この巨大な要塞を1人で支えるのは無理だ。俺も手伝おう」
ライオネルがチニの肩に触れた。
チニは頷くと印を結んだ。
「時間はかけない。笛の音で彼の正気を取り戻してみせるわ」
ランジアはそう言うと印を結び、水を湧き上がらせた。
目を閉じ、笛の記憶を辿る。
今自分にできること……
それはこの曲を、かつてエスメラルダを想って吹いた曲を、心を閉ざしてしまった彼に届けることだ。
笛の音色が響く間も龍は相変わらず吼え続けていた。
『あの女性に会ったのが間違いだったんだ……』
守り神の声が聞こえた気がした。
「……っ!」
スラウは衝動的に飛び出すと、霧の中でのたうち回る龍の頭にしがみついた。
「どんなに大事な人を失っても、その人との出会いを間違いだなんて言わないで! その人との思い出をなかったことになんてしないで!」
頭についた小さな人間を追い払おうと、頭を振った龍の脳裏にあの日の記憶が蘇ってきた。
1番思い出したくなかった記憶が。




