八.隠れた想い②
球体の中で吼える龍を一瞥したラナンは後ろを振り返った。
チニの張った防壁の中でアキレアが休んでいる。
ライオネルの薬のおかげで体調も元に戻るだろう。
赤い龍も彼とアイリスが丁寧に手当てしている。
何らかの手がかりは得られれば良いのだが……
さっきまでいた部屋の中で治療することも考えたが、あの大きな龍と対峙している隊員たちに何かあった時に、すぐにでも対応できるよう部屋の外で待機することにしていた。
だが、それも取り越し苦労に終わりそうだ。
残るは……
ラナンは傍を通りかかったチニの肩を叩き、ずっと疑問に思っていたことを口にした。
「……なあ。俺らが来る前、誰かいたのか?」
チニの手から盆が滑り落ちた。
誰も目線を合わせようとしなかった。
「おい、どうなんだよ? 何で何も言わねぇんだよ?!」
ライオネルが掠れた声で呟いた。
「……それをどこで?」
「ランジアが言ったの……」
アイリスは囁くように言うと、すりつぶした薬草に視線を落とした。
彼はそうか、と呟いてしばらく黙っていたが、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……君たちが来る前、俺たちの隊にはもう1人別の隊員が居たんだ……名前はナキュラス。俺やグロリオ、ハイドと同期だった」
余りに小さな声だったので、ラナンは注意深く耳を傾けなければいけなかった。
「だが、彼は突然、姿をくらましてしまった……どんなに探しても僅かな手がかりすら、見つけることはできなかった」
「あの人は確かに自分勝手なところもあったけど、黙って居なくなる人なんかじゃないよ……」
チニが初めて口を開いた。
ライオネルはそうだな、と頷くと話を続けた。
「だが、ある時、ランジアが彼の姿を見たと言い始めたんだ。ほら、彼女には事物の記憶する過去と未来が視えるだろう? だが、彼女の話は余りにも突拍子のないことで……俺たちはその話をすぐには受け入れてやれなかった。恐らくそのことが……」
「ちょっと待ってくれ」
ラナンは話を遮った。
「お前らの隊にナキュラスってヤツがいたのは分かった。なら何で、今まで俺やスラウに教えなかったんだ? 俺たちだって同じ隊員だろ?」
重苦しい沈黙が続いた。
ライオネルは口を固く閉ざしたまま、もう何も言わなかった。
「……そうかよ」
呟くラナンの声が震えている。
「どうやら俺たちだけだったみたいだな……お前らを仲間だと思ってたのは」
ラナンの言葉にチニは強く唇を噛んだ。
「……ん? 何か変だぞ」
相変わらず黙りこくっている隊員たちに背を向けたラナンは誰に言うでもなくそう呟くと、穴だらけの金属の扉に向かった。
「これを閉めた覚えがねぇ。何で閉まってる?」
アイリスは首を傾げた。
氷の刃が刺さったせいで扉は変形し、完全に閉めることはできなかったはずだ。
それが今、ピタリと口を閉ざしている。
ラナンが体当たりしたが、扉はびくともしなかった。
しばらくそれを睨んでいたラナンは動物の姿になると、鼻をヒクつかせた。
「血の臭いだ……何だか胸騒ぎがする」
先ほどの龍の急襲によって打撃を受けたのは扉だけではない。
ラナンは臭いを辿り、壁に開いた小さな穴を見つけた。
「ちょっと見てくる」
黄金色の尾が壁の穴に吸い込まれるのを見ていたライオネルは小さく身じろいだ。
膝に乗せた拳に力が入る。
――『どうやら俺たちだけだったみたいだな……お前らを仲間だと思ってたのは』
「ちくしょう……」
僅かに開いた唇から掠れた声が漏れた。
***
「なぁ、なかなかすげぇんじゃね、これ?」
グロリオは龍を包む球体を指差して上機嫌に笑った。
「無視かよハイド! なぁなぁフォセ! すげぇだろ?」
呑気なグロリオにフォセは振り返ると、頬を膨らませた。
「今はそれどころじゃないの! スラウがまた私の風で酔っちゃったんだから!」
「ありゃ、まだ目を回してんのか」
グロリオは困ったように頭を掻いた。
フォセの風は言わば乱気流。
目を回す隊員も少なくないが……
「そろそろ慣れて……」
言いかけたフォセは首を傾げた。
「スラウ?」
スラウは膝をついたままこちらに背を向けていたが、上半身が不自然な形に傾いていた。
近づいたフォセは思わず声を上げた。
「何?! どうしたの?!」
スラウは胸を掴んだまま目の前を睨んでいた。
「ウグッ……! ゼェッ……ゼェ……」
「スラウ! どうしちゃったの?! ねぇ?!」
「それより……」
スラウは肩で荒い息をしながら指差した。
振り返ると、グロリオとハイドが上を仰いだまま固まっている。
龍を閉じ込めていたはずの球体から鋭い鉤爪が外へ飛び出している。
「このままじゃ……っ!」
フォセが呟いた瞬間、咆哮と共に球体は粉々に砕け散った。
龍は尾を振って自分の身体についた氷を払いのけると、一際大きく咆え、紅く燃える目で隊員たちを見下ろした。
***
部屋の中に衣擦れの音が響く。
男は気を失ったランジアを無造作に引きずっていた。
龍の前で彼女を殺せば、一気に膨大なエネルギーを手に入れられる。
「ククク……」
肩を震わせて嗤っていた男はふと気配を察して身構えた。
いつのまにか引きずっていたのはただのボロ布に代わり、茶色の混じった黄金色の髪の青年がランジアを守るように立っていた。
「誰だ、貴様は?」
「それはこっちの台詞だ。お前、コイツに何をした?!」
「貴様の知ったことではなかろう!」
男は身を翻し、ラナンに襲いかかった。
だが、パチンと指の鳴る音と共に視界からラナンが消えた。
男は気がつくと壁に向かって突進していた。
男は鼻で笑うと、黒い霧に紛れて姿を消した。
ラナンの背後に現れた霧から男が飛び出し、斬撃を飛ばしたが、再びその姿は消えていた。
「空間移動で俺に勝てると思うなよ」
すぐ後ろで声が聞こえた。
「チッ……!」
男は振り返りざまに斬撃を飛ばしたが、ラナンは余裕を持ってそれを躱した。
「小僧!」
絶えることなく飛んで来る斬撃をラナンは身軽に躱した。
背後の壁に無数の亀裂が入っていく。
「うわ、コレ当たったらひとたまりもねぇな……」
ラナンが気を取られた隙を狙った男は、ここぞとばかりに斬撃を飛ばした。
「見たところ、貴様もあの女も防御専門だろう。お前は、俺を移動させることが出来ても攻撃を仕掛けることはできない。このままこちらが攻撃を続ければ、いずれ体力も尽きて避けられなくなる。つまり、お前に勝ち目はないということだ」
ラナンは何も答えなかった。
「次は避けられまいよ」
男が大きく剣を振った瞬間、それは目の前で消えた。
不気味な静寂の中、ラナンがゆっくりと手を突き出した。
次の瞬間、さっき男が放った斬撃と同じものが襲い掛かってきた。
床に叩きつけられ、呻き声を上げる男を見下ろしてラナンは髪を掻き上げた。
「「勝ち目はない」だと? 舐めんじゃねぇよ」
確かに自分から攻撃を仕掛けるは出来ないが、相手の飛ばした斬撃の向きを変えることくらいは造作ない。
男は額に手を当てフラフラと立ち上がった。
覆面の布が裂け、痩せこけた青白い顔が露になった。
額から滴る血に触れた男の顔が歪んだ。
再び矢継ぎ早に放たれた攻撃を跳ね返そうと、印を結んだラナンは思わず目を見張った。
いつのまにか男がランジアの頭を掴んで盾にしていた。
さっきのように攻撃を返せば彼女まで巻き込むことになる。
ラナンは咄嗟に手を返した。
斬撃が容赦なく襲いかかる。
ラナンの身体は床をボールのように跳ねながら壁へ突っ込んだ。
「これで貴様の負けだ」
「くそっ……!」
ラナンはぼやける視界の中で、引きずられていくランジアに手を伸ばした。
***
「ハァッハァ……」
フォセは肩で荒い息をして、柱にもたれかかった。
「どうすれば良いの、これ?」
そっと顔を出すと、龍が回廊を縫うように進んでいた。
恐らく自分たちを探しているのだろう。
グロリオやハイドもどこかに身を隠しているに違いない。
どうやら自分たちは時間稼ぎをするどころか、龍を刺激してしまっただけのようだった。
フォセは眉間に皺を寄せた。
今回、半端な手を打たざるを得ない理由。
それは……
「俺たちが龍を傷つけちゃならねぇ、って条件だ。これが邪魔だな……」
グロリオは低く呟いた時、回廊に声が響いた。
「クハハハッ……愚かな龍よ! しかとその目に焼き付けるが良い!」
「誰だ?!」
思わず飛び出したグロリオは目にした光景に目を疑った。
壁の一部に穴が開き、そこから黒いマントの男が身を乗り出していた。
片手にはランジアの頭を無造作に掴んでいる。
彼女は気を失っているようだった。
「ランジアを離せ!」
グロリオの叫び声が回廊に響いた。
「……ランジ……ア……」
痛みを堪えて起き上がったラナンは思わず目を見張った。
「ハハハッ……今、気がついたか!」
男はラナンに向き直ると、勝ち誇ったように嗤った。
「そこで見ているが良い! この女が無様に殺されるのをな!」
ラナンは息を呑んだ。
腕を広げて嗤う男の後ろに銀色の光が現れたのだ。
鱗の中から現れた巨大な赤い眼がこちらを見据えている。
次の瞬間、鋭い爪が男に襲い掛かった。
振り向く間もなく、彼は絶叫と共に黒い灰になって消えていった。
「ランジア!」
我に返ったラナンは床に倒れたままのランジアに駆け寄った。
「これは……!」
ラナンは思わず目を見張った。
男の立っていたところに小さな赤黒い実が転がっている。
前の任務の時に、散々スラウを苦しめた男が持っていたものと同じものだ。
「何でこれがあるんだ?」
手に取ってしげしげと眺めていると、再び鉤爪が突っ込まれた。
ラナンはランジアを抱えたまま横に転がり、物陰に隠れた。
龍は散々部屋の中を引っ掻き回すと、爪を引っ込めた。
気配が遠のいていくのを感じ、ラナンは思わず安堵の息を漏らした。
その脇に横たわるランジアは荒い息をしていた。
助け起こそうと屈むと、彼女の肩は小刻みに震えていた。
「ラナン」
弱々しく名前を呼ばれた。
「私……どうすれば良かったの? このままじゃ、彼は死んでしまうのよ……私たちがここに来たのが間違いだったんだわ……」
言葉を探してラナンは目を泳がせた。
その時、死んだ男のつけていた覆面の切れ端が視界に飛び込んできた。
「……っ! ランジア、未来を見たのはいつだ?!」
「最初に視えたのはここに来てすぐよ。その後、何度試しても結果は変わらなかった」
ラナンは思わず彼女の肩を掴んだ。
「よく考えてみろ! あの男はお前を殺そうとしていたんだ。もしそれが成功していた未来を見ていたとしたら?」
自分の言わんとしたことを察したのか、ランジアはパッと顔を上げた。
「今、あの男は死んで、お前は生きている。そうだろう?」
「そうね。試してみるわ」
ランジアは目を閉じが、目を開けた彼女の顔には戸惑いが浮かんでいた。
「……何も見えない。どうしたのかしら……さっきまでは確実に見えていたのに」
戸惑う彼女にラナンは微笑んでみせた。
「見えないということは、まだ未来が確定していないということだろ? 龍は死なずにすむかもしれねぇぞ」
***
「グロリオ!」
ライオネルを先頭に、控えていた隊員たちが走って来た。
「一体、何が起きたんだ?」
ハイドがクイと顎をしゃくって上を指した。
龍の咆哮が響き、回廊を揺らした。
チニは豹変した龍の様子に思わずライオネルの後ろに隠れた。
今や、龍はこちらに見向きもせず天井付近でのたうちまわっていた。
「あの龍、どうしたの?」
恐る恐る尋ねるチニにグロリオは険しい目を上に向けた。
「分からねえ……一体何が起きてんだ?」
「早く手を打たないと、もっと深刻なことになるわよ」
グロリオは勢いよく声のした方に顔を向けた。
「アキレア! もう平気なのか?!」
「ええ。ライのおかげよ」
グロリオはにっこりと微笑むアキレアの手を取った。
「君がいなくて俺は……何て言ったら良いのか……」
情熱的に語りかけるグロリオに彼女は頬を染めた。
「グロリオ……」
「もう君を離さないからな、アキレア。例え世界が滅ぼうと……」
「グロリオ……」
「アキレア!」
「グロリオ!」
「コホン。さて」
ライオネルは軽く咳払いすると、良い雰囲気になっていた2人の間に割って入った。
「このままだと本当に世界が滅びかねないぞ。原因の検討はついてるんだが……」
「本当か?!」
「恐らく湖の拡大は、あの龍の力の暴走が原因だ。彼のような守り神の力は人々からの信仰心があるからこそ、正常に作用する。それと、何か別のものが力を狂わせているようだ。それが何なのか……」
その時、アキレアが思わず声を上げた。
「ランジア、ラナン!」
ランジアを担いだラナンは壁に開いた穴から顔を出すと隊員たちの元へ走ってきた。
「アイリス、ランジアを頼む。出血が酷いんだ」
「分かったわ。あら、そういうラナンも肩を怪我してるわよ?」
彼は背中に手をやり、こびりついた血に顔をしかめた。
「そういや、いてぇな……あ、ちょっと待ってくれ。スラウに用がある」
ラナンは柱にもたれて座っているスラウとフォセのところへ歩いていった。
「スラウ!」
ラナンはポカンと自分を見上げるスラウの頭を叩いた。
「お前、これ何だ?!」
スラウは目の前に突き出された彼の手に乗る物を見て気まずそうに視線を逸らした。
「これ、あの時の実だろ?! 何でそれがここにあるんだ?!」
「分かんない。でも、サギリが言ってた……この実に似た植物が付ける実は1個じゃないんだって。もしかしたら全部壊さないと、私にかけられた呪いは解けないかもしれないって」
「そんな……」
フォセが息を呑んだ。
スラウは俯いたまま、拳を固めた。
「これを作った人は、まだどこかで生きてる。絶対に見つけて呪いの解き方を聞き出すよ」
アキレアは今しがた聞こえた言葉に耳を疑った。
「グロリオ……今、何て?」
彼は柱に背中を預けると、腕を組んだ。
「龍を殺そう。それしか方法はない」
「「龍を傷つけない」という契約主との約束を破ることになるわ」
咎めるような口調のランジアに彼は首を振った。
「こうするしかないだろ? 今はとにかく湖の拡大を止めるのが先だ。元々、任務の契約主はあそこの村人なんだ。別に1人の我儘に俺らが左右される必要もない。お前らだって、それは分かるだろ?」
「……」
「今回は何としてでも任務を成功させなきゃならねぇんだ。俺たちが評議会に疑われている今、隊が残り続ける為にも、この任務を成功させて実力を認めさせるしかねぇ。ライの言う通り、湖を拡大させてるのがコイツなら、その元凶を取り除くしかねぇよ」
「で、でも……殺すなんて……」
「チニ」
遮るグロリオの声は決意に満ちていた。
「俺たちの隊がなくなったらナキュラスの、アイツの帰る場所はどうなる? 拡大を止めれば俺たちは実力を認められ、隊を解散されずにいられる……そうだろう? その為には全ての願いを叶える余裕なんてねぇんだよ」
「ねぇ、グロリオ」
スラウがゆっくりと歩いてきた。
「もし……今、ここに裏切り者がいるって言ったら?」
「待てよ、スラウ! 裏切り者って、この前の……?!」
言いかけたラナンを制したグロリオはスラウに向き直った。
「誰だ、それは? もしもこの中に裏切り者が居るなら、そいつを叩き斬るまでだ」
「そう。では遠慮なく……」
スラウは静かに剣を引き抜いた。
純白のローブが大きく翻る。
ガンッ――
重い音が回廊に響き、剣が勢いよく突き刺さった。
スラウはその隊員を睨んだ。
「……貴方を叩き斬ります、グロリオ隊長」




