九.裏切り者②
あの日は妙に身体がけだるくて思考もはっきりしなかった。
確か川の異変を感じて村に行ったんだ。
そこで……
急に記憶が鮮明な画像となって蘇った。
逃げ惑う人々、泣き叫ぶ子ども、燃え盛るテント……
そうか。
あの女性が死んだんだ。
何だ、この胸を抉られるような痛みは……
思わず胸に手をやる。
もう会えないのか……
頭を抱えた時だった。
ふと人の声が聞こえた気がした。
思わず顔を上げると湖のほとりに人だかりができていた。
「エスメラルダが好きだった場所がここか……」
人間の声に顔を上げる。
エスメラルダという名だったのか……
「ああ……湖で友だちができたとか……よく母親に語っていたそうだよ」
もう少し傍で聞こうと近づいた時だった。
「なあ……これで本当にあの娘の怒りを鎮めることができるのかい?」
1人が尋ねた。
「……分からない」
湖畔に向かって手を合わせていた男は困ったように俯いた。
「でも……あの娘が村を沈めちまうなんてねぇ……」
老婆の言葉に思わず我が耳を疑った。
村を沈めた?
『おばあちゃん……』
少女が老婆の手を引いた。
彼女の肩には大きな荷物が掛かっている。
そう言えば他の人間も布や道具を抱えている。
どこかへ旅に出るのだろうか。
『日が沈む前にどこか野宿する場所を探しましょう』
湖に花を投げ込んだ男が群衆を振り返った。
彼らはもう1度こちらに手を合わせると去っていった。
胸騒ぎがして村へ行くことにした。
可笑しい、思わず声に出して呟いた。
村に続く川を辿っているはずだ。
細くなっていくはずの川幅が変わらない。
それどころか広くなっている。
ひたすら広がる水面を見回した。
どくんと胸が鳴る。
違う。
村には着いているんだ。
水面を見下ろすと、水底に静かにたたずむ家々が見えた。
今や、鼓動が鼓膜を突き破りそうだった。
俺が……
俺がやったのか……
焼き崩れるテントを見た時に思わず願った。
こんなことになるのなら、彼女に会わなければ良かったと。
こんな村が無ければ良かったのに、と。
神として守るべき人間たちを己の力で傷つけたのだ 。
どれくらい、そこに突っ立っていたことだろう。
ふと気配がして視線をやると、岸辺にさっきの人間たちが立っていた。
何と言われれるのだろう。
恐る恐る振り返ってみたが、誰も何も言わなかった。
自分の姿は見えていないし、気がつくはずがない。
この中の誰かに自分の姿が見えていて、責め立ててくれた方がまだ楽だったのに。
『エスメラルダよ……』
村の中で最も年を取っていた老人が杖を頼りに前に進み出てきた。
『そなたがあの若造を殺した気持ちは分かる。じゃが……どうか、どうか……その怒りを鎮めてくれ……』
違う!
今や、はっきりと記憶が蘇っていた。
霧の中で胸を掻きむしりながら崖に転落していった若者。
俺が殺したんだ!
水面が飛沫を上げるのも構わず、岸に駆け寄った。
全部、俺がやったことだ!
あの女性じゃない!
叫んだが、誰かが気がつくこともない。
水飛沫にさえ、誰も気がついていない。
頼む、あの女性を責めないでくれ!
頬を涙が伝う。
誰か聞いてくれ!
彼女じゃない!
全部俺のせいなんだ!
皆が去って行く中、1人がふと足を止め、名残惜しそうにこちらを見つめた。
もしかしたら彼には自分が見えているかもしれない。
最後の望みをかけて思いきり手を振り回して叫んだ。
あの女性は悪くないんだ!
だが、彼の視線は遂に自分に向けられることはなかった。
***
『村を沈め、あの女性に罪を着せた我に、今さら何ができると言うのだ……』
龍が呟いた時、ずっとアイリスの後ろに隠れるようにしていた赤い龍がゆっくりと進み出てきた。
キュウ――
高い声で鳴く龍を隊員たちは驚いて見つめた。
キュウキュウ――
その小さな龍はランジアの奏でる笛の音色に合わせて歌っているようだった。
「こいつ、もしかして……!」
グロリオは呟くと、振り落とされまいとしがみつくスラウの隣に飛びついた。
「目を開けてちゃんと見ろ! お前はまだ何も失ってねぇ! エスメラルダなら!」
「まだここにいる!」
いつのまにか他の隊員たちも龍にしがみついていた。
龍は動きを止めた。
目の前にいるもの……
赤い龍がこちらを見上げていた。
「見て!」
アキレアが叫んだ。
「あなたがずっと想っていた人、エスメラルダよ!」
その時、赤い龍と初めて目が合った。
灰色の澄んだ瞳に確信した。
『エスメ……ラルダ……』
龍の瞳が藍色に戻り、透き通った涙が銀色の鱗を伝った。
「スラウ、今だ!」
グロリオの言葉にスラウは息を吸うと手を広げた。
今度はもう迷わない。
両手から金色の光が放たれて2匹の龍を繋ぎ、辺りが眩い光に包まれた。
『浄化!』
次の瞬間、天井を突き破って大量の水が流れ込んできた。
光の球は皆を濁流から守り、ゆっくりと水面へ浮かんでいった。
光の向こうを水の泡が輝きながら流れていく。
パンッと泡が弾けるように光が散っていった。
隊員たちは水面から顔を突き出した。
スラウは山の麓から射し込む光に目を細めた。
「夜明けだ……」
ラナンが隣で呟いた。




