六.湖の龍①
スラウは先頭を進むラナンの長い尾をぼんやり眺めていた。
長らく人がこの地に踏み込んでいないためか、草は伸び放題で、かつてあっただろう道は跡形も残っていない。
グロリオたちのいる湖へ戻る為には、ラナンの研ぎ澄まされた感覚が不可欠だった。
「これを見てくれ」
彼は器用に後ろ足で立ち上がると隊員たちを振り返った。
すぐ前の草の根が大きく折れている。
アイリスもその横にしゃがみこんでそれをじっと見つめた。
「比較的新しいわね……村の人も足を踏み入れないこんな奥地に一体誰が来るのかしら?」
「……3人組ってところか」
ラナンが地面に鼻を近づけて呟いた。
その時、ハイドが胸元から小さく折り畳まれた紙を取り出した。
これを通じて事物が記憶している過去を映像として再現することができる。
前に誰かがそう話しているのを聞いたことがある。
辺りが緑色の光に包まれた。
「見て! あっちの方、光が強いわ!」
アキレアの声に隊員たちはそれを目指して走り出した。
「わっ!」
前を走っていアキレアが突然足を止め、スラウはその背中に勢いよくぶつかった。
彼女は目を見開いたまま湖を見つめていた。
湖が緑色に輝いている。
「柱?」
目を細めるスラウの肩にラナンが飛び乗った。
「いや違う……龍だ!」
光で再現された龍が首をもたげてこちらを凝視した。
その鋭い眼光にアキレアは思わず隣に立っていたアイリスの裾を握りしめた。
「後ろを見て……」
アイリスが囁いた時、茂みの奥から光に縁どられた3人が現れた。
「何で?!」
スラウは思わず目を剥いた。
1人は見覚えのある仮面をつけていた。
「ゾルダーク……!」
彼らはスラウたちの横をすり抜けて岸辺に立った。
しかし、その間にも光が霞み始めて次第に色を失っていき、彼らの姿はすっかり見えなくなった。
「ここまでか……」
ラナンは呟くとスラウの肩からひょいと飛び下りた。
「それじゃあ、龍は本当にここにいるのね。それにゾルダーク……湖の拡大の原因は、私たちが考えていたものよりも遥かに複雑なのかもしれないわ」
溜め息を吐くアキレアの言葉にスラウは静かな湖面を睨んだ。
湖は何故拡大し続けているのか。
ゾルダークは一体何をしに来たのか。
ランジアは何故いなくなってしまったのか……
調べれば調べるほど謎は深まるばかりだ。
「グロリオたちと合流するまでにもっと色々なところを探して情報を集めましょ」
アキレアの言う通りだ。
考えたって分からないものは分からない。
突然、ラナンが茂みの向こうへ駆けていった。
「みんな! 来てくれ!」
慌てて後を追うと、彼は少し進んだところで自分たちを待っていた。
「これを見てほしいんだ。湖に向かう向きの足跡は3つだが」
「ここから遠ざかる向きの足跡は1種類だけだわ!」
アイリスの言葉に隊員たちは顔を見合わせた。
「この靴底の紋様、光の天上人のものよ。ゾルダークしかいないわね……だとすれば、他の2人はどこに行ったのかしら?」
アキレアは足跡を見つめたまま首を振った。
「分からないわ。でも、最もあり得るのは……」
「2人が湖にいるってことでしょ?」
スラウが言葉を継いだ。
「早く合流しないと大変なことになるかもしれない」
***
あと少しで任務を終わらせられると思ったが、どうやらそれは叶わないらしい。
ライオネルは今しがたアキレアから送られた映像を分析しながら、壁から生やした枝にぶら下がった。
軽やかな身のこなしで枝から枝へ飛び移りながら下を目指す。
その時、水の柱の中から鎖が飛び出してきた。
ライオネルは蛇のようにうねる鎖を躱して大元を目指した。
呪鎖の核さえ破壊すれば、少なくとも亡霊の問題は片付けられる。
鎖は黒い瘴気を纏った球体から伸びてきていた。
枝に手を掛けたまま周囲を見渡す。
これより下へ行くには……
伸びてきた鎖に 咄嗟に飛び移る。
これを使った方が早い。
彼は器用に長い手足を動かして、その下に飛び移った。
「ふぅ……これ以上は近づけないか」
弓矢を召喚し、核に焦点を定めた瞬間、視界に捉えたものに思わず手が止まった。
「……っ!」
注意の逸れた瞬間、四方から伸びてきた鎖が彼を捕えた。
***
「てぇいっ!」
フォセが大きく腕を回し、風の渦が豪快に鎖を斬り刻んだ。
チニは周りを見回した。
亡霊も、もう数えるほどにしかいない。
彼の呼び出した巨人が大樹のような腕を振り下ろした。
その瞬間、床が大きく揺れ、チニは大きくひっくり返った。
「チニ、勢いつけすぎ」
フォセはやれやれと首を振ると、彼を助け起こした。
「いたた……でも、今のは僕のせいじゃないよ」
「え? じゃあ、一体……」
フォセが首を傾げた瞬間、床を突き破って何かが飛び出してきた。
壁や天井が崩れ、土煙が立ち上る。
咳き込んでいた2人は目を擦った。
「何これ?!」
視界が晴れると、水の噴き出していた穴から無数の鎖が顔を出し、鞭のように床を叩いているのが見えた。
「フォセ、あそこ!」
チニの指差す先を見ると、絡み合った鎖が壁に何度も打ち付けられていた。
「……っ!」
フォセは大きく目を見開いた。
一瞬、ライオネルの矢筒が見えた気がしたのだ。
「ライ!」
フォセがそこに向かって走り出した。
その時、彼女の頭上で鎖の塊が獲物を狙う蛇のように大きく頭をもたげた。
「鳥さん、おいで! フォセを守るんだ!」
チニの声と共に紙片が勢いよく飛び出した。
紙は宙で鳥へと姿を変えると、低く旋回してフォセの首根っこを咥えて舞い上がった。
「ライ!」
だが、フォセは鳥を振り払うと、壁に打ち付けられている鎖に向かって走り出した。
「邪魔しないで!」
迫ってくる鎖に風の渦を放つ。
粉々に砕ける鎖を蹴散らし、フォセは矢筒にしがみついた。
その瞬間、彼女を無数の鎖が襲った。
「フォセェッ!」
チニが叫んだ瞬間、土煙の中から人影が飛び出してきた。
ライオネルが間一髪のところでフォセを抱えて、チニのところへ滑り込んできた。
「すまない。核は確認出来たが、上に押し戻されてしまったんだ」
「どうしたの?」
チニが尋ねると、ライオネルは答えにくそうに視線を彷徨わせた。
「……龍を見た」
「まさか、アキレアが送ってきたあの……?」
フォセに首を振ると、ライオネルは地面に落ちていた鎖の残骸の中から矢筒を引っ張り出した。
「いや、もっと小さかった。鱗は赤く、鎖に縛られていて傷だらけだった」
「じゃあ、この湖には龍が2匹いるってことだよね? 一体、どういうことなんだろ?」
「分からない……だが、もう1度下に行ってみるつもりだ。医者として、傷ついたものを放っておくわけにもいかないしな」
「僕らも行くよ。何か手伝えることがあるかもしれないし」
「そうか。ありがとう」
ライオネルは微笑むと2人を連れて穴に飛び込んだ。
その姿を視界の端に捉え、グロリオは剣を構え直した。
「目的は何だ?」
覆面の相手は相変わらず何も言わない。
ビュッ――
風を切る音と共に剣が首を狙ってきた。
『炎蛇!』
相手の攻撃を避け、グロリオは炎の蛇を放った。
しかし、炎は突然現れた黒い靄に触れた途端に消されてしまった。
再び靄が晴れた時には、覆面の者は姿を消していた。
「また姿を消しやがって」
さっきからこの繰り返しだ。
こちらが攻撃すればすぐに消えてしまうのに、隙をついて死角から襲ってくる。
グロリオは額を流れる滝のような汗を拭った。
「そろそろやべぇな……」
呟いた瞬間、僅かに空気が動いた。
「そこか!」
素早く剣を突き出すと、布を裂く手ごたえを感じた。
「ゾルダークの手下がこんな所で何してんだ?」
「我が君の名を気安く呼ぶな」
くぐもった声と共に霧が1つの人影を形作り始めた。
裂かれたフードから長い栗色の髪が覗いている。
ほっそりとした顔を黒い布が覆い、唯一鋭い眼光をたたえた緑色の瞳だけが露わになっていた。
「まじかよ……」
苦笑いを浮かべるグロリオに女は容赦なく踊りかかってきた。
「ちっ……!」
グロリオは小さく舌打ちをすると、大きく後ろに飛び退いた。
「防げなかったか……」
よろめいて膝をついたグロリオを目掛けて女が突っ込んできた。
えんじ色のローブが大きく翻り、床に赤い飛沫が散った。
剣を抜こうとした女は思わず目を見張った。
グロリオが素手で彼女の剣を掴んでいた。
「つーかまーえたっ……」
グロリオはそう言って悪戯っぽく笑うと、女の手首を掴んで後ろに回し、押し倒した。
「安心しろ。お前が動かない限り、火は当たらねぇから」
炎に縛られた女は恨みのこもった目をグロリオに向けた。
「私が女だからといって手加減しているのか?! 私は我が君にお仕えして以来、この命はあの方に捧げている! 貴様に慈悲をかけられるつもりはない!」
「まぁまぁ、そう騒ぐなって。落ち着けよ」
グロリオは白い歯を見せて笑った。
「慈悲とかそう言うんじゃねぇよ。ちょっとお前に聞きたいことがあるんだ」
女はフンと鼻を鳴らした。
「貴様に言うことなど何1つ無い」
グロリオは参ったな、と頭を掻いた。
「呪鎖で亡霊を操って俺たちを襲ってたの、お前だろ? 何でそんなことした? そもそもゾルダークは何でここに来たんだ?」
「だから貴様、我が君の名前を気安く呼ぶな! 次にその名を口にすればその喉を掻っ切ってやる!」
分かったよ、とグロリオはひらひらと手を振った。
「それでゾルダークは……」
「貴様ぁぁっ!」
女はそう叫ぶと自分の周りを漂う炎を物ともせずにグロリオに飛びかかり、床に押し倒した。
女の短剣がグロリオの喉仏に突きつけられた。
「ふふふ……それほど知りたいのなら、冥土の土産に教えてやろう。湖の拡大なぞ、我らに関係ないわ! 龍はただ、我らにエネルギーを供給するだけの駒……っ!」
言っている途中で女の身体が吹き飛ばされた。
「紳士たるもの、女性に手を上げてはならないからな」
いつのまにか追いついていたグロリオが空中で彼女を抱き留めた。
「離せ……っ!」
もがく女をよそにグロリオはひとり頷いた。
「今のは決して不覚を取られて、逃げ場がなくなったからって蹴っとばしたわけじゃないぞ、うん。これはアレだ。その、新しい作法だ。こう、ちょっと宙に浮いてもらってそれをキャッチして着地するっていう……」
グロリオ相変わらず自分に殺意を向けてくる彼女を抱いたまま、ゆっくりと地面に降り立った。
「それじゃ、詳しい話を聞かせていただけますか、お姫様?」
悪戯っぽく笑うグロリオに女はニタリと笑った。
「私を侮るなよ……」
その瞬間、女の姿は黒い靄の中に消えた。
『次に会った時、貴様は私をここで討たなかったことを後悔するだろう……』
「あ、おい! 待て!」
叫んだグロリオは激痛に耐えきれずに床にへたり込んだ。
刺された腹部から鮮血が滴っている。
「へへ……まぁたライの試薬の餌食だ、こりゃ……」
力ない笑い声が漏れた。




