五.湖に沈んだ村①
頼りげなく光を投げかけていた陽が静かに山間へ沈んでいった。
人々はただ真っ黒な湖畔を見つめていた。
故郷を失った……
それがあまりにも唐突で、あまりにも辛くて。
誰も何も言わなかった。
「……何でこんな目に遭わなきゃいけないんだ」
友の絞り出すような声が聞こえる。
歯を食いしばる彼の頬をひと筋の涙が伝っていた。
声を押し殺すようなすすり泣きがさざ波のように広がった。
そうだ、俺たちは故郷を無くしたんだ。
突然湧き出した水のせいで、一夜で帰る場所を失った……
その時、後ろに立つ女性の腕に抱かれて眠っていた少女が目を覚ました。
「母様、エスメラルダはどこ?」
あどけない少女の言葉に母親は険しい顔をした。
「あの娘のことはもう口にしてはいけないよ」
「なあぜ?」
「……」
「私、エスメラルダに会いたいよう。お話の続きが聞きたいよう……」
ぐずり始めた少女をあやし、母親は申し訳なさそうにその場を去って行った。
幼い頃に父を亡くしたエスメラルダは病気の年老いた母親と2人で暮らしていたが、不満の声ひとつ洩らさずに母に尽くしていた。
時間があれば、畑仕事に忙しい大人に代わり子どもたちの相手もしてくれた。
そんな彼女は村の皆に信頼され、愛されていたのだ。
彼女の噂は他の村や町にも伝わり、彼女を一目見ようと多くの若者たちがこの村へやってきた。
中には貴族や金持ちの商人もいて、彼女に求婚したが、どんな高級な品や地位を差し出されても、彼女が首を縦に振ることはなかった。
不思議に思った村の人たちが訳を尋ねても、彼女はただ微笑むだけだった。
「あんなに優しかった子がこんなことをするなんて……信じられないね……」
隣でぼそりと呟いた老婆の言葉に耳を疑う。
まさか、彼女が村を沈めたとでも言いたいのか?
友に答えを求めようとしたが、止めた。
お前も……そう思ってるんだな。
「エスメラルダのせいなのかい?」
誰かが尋ねた。
「何だ、あんた知らないのか? 今朝、テントに火をつけた奴が崖の下で見つかったんだが……死に方が妙でね。あそこは見晴らしも良いから間違っても落ちるようなところじゃない。しかも……全身が干からびていた。まるで何日も水を口にしていないかのようにね。だが、奴さんは昨日の夜まで酒場で飲んでたって言うじゃないか。ありゃ、人の為せる技じゃないよ」
「殺されたエスメラルダが化けて出て奴を呪い殺したんだ。おぉ、恐ろしや……」
心臓が握り潰されるようだった。
彼女のはずがない……
黒い湖に身体が吸い込まれそうだった。
***
「夢、か……」
低く呟いて地面に視線を落とす。
一夜通して歩き続けたせいか、休憩した途端にいつの間にか眠ってしまったようだ。
あれから幾つ年を経たのだろう。
もう分からなくなってしまった。
「随分、疲れていたようだな」
そう言ってテントに入ってきた男に目を細める。
杖に頼って歩かなくてはならなくなる前から、ずっと支えてくれていた友だった。
「そろそろ出発しよう。何の夢を見ていたんだい?」
「……我々のしてきたことは本当に正しかったのだろうか?」
「どうしたんだ、急に?」
怪訝そうに尋ねる友に何でもない、と手を振る。
「お前には感謝しているよ。ずっと近くで支えてくれて」
「当たり前だ。お前は村の長だろう? あの時、お前が導いてくれなきゃ、俺たちはこうして今まで暮らせなかったさ」
「よしてくれ、俺はそんな器じゃない……全てから逃げ続けた、ただの愚か者だ」
後半はほとんど声にならなかった。
「行こうか」
立ち上がると杖が深く地面に刺さった。
村長はゆっくりとテントから足を踏み出すと、忙しそうに動き回る人々に目を細めた。
明日には戻れるだろう、故郷へ。




