四.手がかり①
「どうだ? 何か見つかったか?」
グロリオの声が頭上で響く。
その言葉をもう何度聞いたことだろう。
日が昇ってからずっと探しているというのに、ランジアに関することも、亡霊に関することも、何も分かっていない。
「スラウ、そっちはどう?」
「こっちは何もないよ……う、うわぁっ!」
腰を上げた拍子に石に蹴躓き、坂を転げ落ちたスラウにアキレアが駆け寄った。
「大丈夫?!」
「……ったたた。大丈夫、足が引っかかって……」
スラウは頭をさすった。
派手に転がったせいで服が泥塗れになっている。
「あーあ、汚れちゃって……」
アキレアに助け起こされたスラウは印を結んだ。
身体が淡い光に包まれ、泥がみるみるうちに消えていく。
「よしっ! 浄化完了!」
「大丈夫か?」
グロリオが顔を出した。
他の隊員たちも何事かと集まってきた。
動物の姿のラナンが軽やかに草の間を跳ねてやって来た。
「怪我は?」
「大丈夫だって。もう、ラナンは心配し過ぎだよ」
「ハァ……ったく……ん? 後ろの何だ?」
指差されて振り向くと、洞穴が大きな口を開けていた。
風が鳴る音も聞こえる。
スラウは手に光を灯して入り口を覗いた。
真っ黒な空間が奥へと続いているようだ。
スラウは一度外に出て、まだ上に居る彼らに叫んだ。
「洞穴を見つけた! 結構奥まで続いているみたい!」
それを聞くや否や、フォセが目を輝かせて走ってきた。
「行く行く!」
「フ、フォセ! でも……」
止めようとするチニの肩をグロリオがポンと叩いた。
「何か手がかりがあるかもしれねぇし、とりあえず行ってみようぜ!」
「結構暗いのね」
呟くアイリスの声が闇に吸い込まれる。
スラウは松明の灯りを頼りに首を伸ばしたが、ただ延々と暗い通路が続いているだけだった。
もうどれくらい歩いただろう。
反響する足音のせいで頭が変になりそうだった。
その時、先頭を行くフォセが立ち止まった。
「この先、行き止まりみたい」
「せっかくだし、そこまで行ってみようぜ」
グロリオが松明を振って足を踏み出した時、火の影が伸び縮みして壁に映った。
「ん?」
スラウの肩の上に乗っていたラナンが首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、心なしかさっきより通路の幅が広くなった気がする」
ラナンは後ろを向いた。
「ハイド、松明をちょっと高めに掲げてくれないか?」
ハイドは返事をする代わりに松明を持ち上げた。
通路の横幅は確かに広がっているようだった。
横を向いて歩いていたスラウは前を歩いていたライオネルの背中にぶつかった。
いつのまにか隊員たちは歩くのをやめていた。
「ごめん」
謝ると彼は気にすることはない、と手を振った。
「何だ、ここ。部屋か?」
先頭を行っていたグロリオの声が聞こえる。
グロリオはにゅっと顔を出すと、後ろに控えていた皆を手招いた。
皆に続いたスラウは思わず目を見張った。
全員がやっと入れるか入れないかの広さの空間の中央に何かが置いてある。
スラウはその前に回り込むと手に灯した光を掲げた。
長い髪の少女の石像が台の上に立っている。
「何でこんなところに石像があるのかしら? 随分と洞窟の奥よね」
首を傾げるアイリスの横でスラウは辺りを見回した。
「壁に松明を引っ掛ける場所もないね。これじゃ部屋全体が暗いままだよ」
ラナンはスラウの肩から飛び降りると、人間の姿に戻った。
「確かにな……」
ラナンはぶつぶつ言いながら壁沿いに歩き始めた。
「ねぇねぇ。この像、何で入り口から背を向けているの?」
「うーん……何か意味があるんじゃないかな?」
フォセとチニの声が聞こえた。
確かに……何故だろう。
石像を飾るなら正面を入り口に向けるのが普通なのに……
その時、ハイドが鋭く叫んだ。
「来る!」
「何がだよ?」
グロリオが聞き返す暇もなく、轟音と共に水が流れ込んできた。
「しまった! 昼間は湖に沈んでいるのか! 急いで戻るぞ!」
戻っている間にも水かさはどんどん増して、遂に腰のあたりまで浸かってしまった。
背の低いチニやフォセは腕を大きく振って歩きにくそうにしている。
水の勢いは衰えず、流れに逆らって歩いているのでなかなか思うように進めない。
グロリオの掲げる松明の灯りを頼りに進んでいるが、入り口まであとどのくらいか見当もつかない。
突然、スラウの背後でアイリスが悲鳴を上げた。
「アイリス!」
緑色に鈍く光る手が彼女を水中に引きずりこもうとしていた。
必死にそれを振り払おうとするも、彼女の手は空を掴むばかりだった。
「まさか、昨日の亡霊か!」
肩に乗るラナンの声が聞こえた瞬間、スラウは自分の膝がぐいと掴まれたのを感じた。
見ると水の中で手が蠢いていた。
振り解く間もなく首が掴まれた。
手はスルスルと上がってきて口を塞いできた。
生臭い匂いに思わず顔をしかめた時、水面の向こうの亡霊と目が合った気がした。
世界がぐるぐる回りながら目の前が暗くなった。
***
「目、覚めたか」
ラナンの声にスラウは頭をさすって起き上がった。
隊員たちは石壁の簡素で小さな部屋に押し込まれていた。
じめじめとした床のせいで服がぐっしょり濡れている。
「どこ、ここ?」
尋ねるスラウにラナンはピシッと長い尾を振った。
「さぁな」
スラウの手に灯った淡い光の中に鉄格子のはめられた壁が浮かび上がった。
「閉じ込められたんだとは思うが……気配を感じないし、何とも言えん」
ふうん、スラウは呟いて立ち上がった。
光が天井を照らし、隊員たちの影が大きく伸びた。
「おいっ!」
その瞬間にラナンが声を上げた。
琥珀色の瞳を大きく開いて、上から糸で引っ張り上げられているように後ろ足で立っている。
「どうしたのラナン、何をそんなに……」
言いかけたアキレアは顔を上げて凍りついた。
同じく天井を見上げたスラウは思わず息を呑んだ。
光に照らさた天井の一部が濃くなり、1つの影を浮かび上がらせていたのだ。
「魚?」
「うわっ! 剣みたいな歯がびっしり……」
千里眼を使ったフォセの言葉にチニがビクッと肩を震わせた。
「さ、魚が居るってとことは、ここは……」
「湖の底ってこと。これと同じ魚が他にもウヨウヨいる……もし牢屋が壊れたら、チニなんか水面まで上がる前に丸呑みされちゃうかも」
「うぅ……」
今にも泣きそうなチニの肩にグロリオが手を置いた。
「まあ、魚が俺たちを襲うなんてことはねぇよ。何たって、この石壁を噛み砕かなきゃならねぇからな」
「それはどうかしら?」
アイリスが物憂げに口を開いた。
「フォセ、魚は1匹だけじゃないのよね?」
「うん」
「もしかしたら既に狩りは始まっているのかもしれないわ」
その言葉に呼応するかのように突然牢屋が大きく揺れ、隊員たちは敢えなくひっくり返された。
「おいおい……これをぶっ壊してでも俺たちを食う気かよ?!」
グロリオが叫んだ。
「ひびが入ってきている。あと数回も保たないかもしれない」
ライオネルが壁をさすった。
「出るぞ、こっから!」
グロリオはそう叫ぶと格子に向かって剣を振り下ろした。
ギンーー
剣が火花を散らして弾き返された。
「チッ……硬すぎる!」
フォセがぶつけた頭をさすって起き上がった。
「いったぁい……てあれ? 何してんの、ハイド」
ハイドはヒビの入った壁に向き合って剣を構えていた。
「破壊する」
「ちょっと待ってよ、ハイド! そっちは魚のいる方でしょ?! 格子は反対側よ!」
アキレアが声を荒げたが、ハイドはだから何だ、と言わんばかりに彼女を見た。
アキレアは腰に手を当てると大きく溜め息を吐いた。
「あのねぇ! 牢屋を壊したら私たち、襲われちゃうじゃない!」
「魚を殺せばいい」
「ここ、湖の中なのよ? 魚の方が素早いわよ! きゃっ!」
魚が再び突っ込んできたようで、牢屋が大きく揺れた。
「……まずいな」
ライオネルが壁に向かって手を振ると、枝がひび割れた部分を塞いだ。
「これで時間稼ぎになるだろ?」
「そうだな」
グロリオが頷いた。
「原因も分からねぇのに、湖の拡大を数日で食い止めなきゃならねぇ。休んでる暇は……おわっ!」
その瞬間、壁の隙間から緑色の手が伸びてきた。
「目的はこれか……」
壁を睨むライオネルの背後にチニが慌てて逃げ込んだ。
「俺に任せろ!」
グロリオが壁に生えていた木枝を引き抜いて火をつけた。
手は火から逃れるように奥へ引っ込んでいった。
「な、これで安心だろ?」
キメ顔で振り向く彼の頭をフォセが勢いよく叩いた。
「いてっ! 何すんだよ?!」
「バカッ! せっかくライが塞いでくれていたのに、それを引き抜くなんて!」
枝の抜けた壁からは勢いよく水が入り込んできていた。
「……戯けが」
やれやれと首を振るハイドにグロリオがムキになって言い返した。
「しょーがねーだろ! これしか思いつかなかったんだから!」
再び壁から無数の手が伸びてきた。
「やべぇぞ!」
ラナンが叫んだ時、スラウが立ち上がった。
「任せて!」
ヴォン――
突き出した手に剣が現れる。
スラウは呼吸を整えると格子を睨んだ。
己の気を集中させた剣はその威力も増す。
脆い部分に当てれば、ここも破壊できる。
「いっけぇ!」
剣が金色の光を散らしながら格子を砕いていった。
「よし!」
「よし、じゃねぇっ! 剣先! 剣先を見ろ!」
「ん?」
ラナンの声に顔を向けると、剣が壁までえぐっていた。
「あ……」
ヒビがみるみるうちに牢屋全体に広がっていく。
束の間の静寂が訪れた。
「逃げるぞ!」
グロリオが叫ぶのと同時に牢屋が崩れた。
轟音と共に流れ込んできた水に隊員たちはあっという間に呑み込まれた。
濁流は他の牢屋を巻き込みながら通路を突き進んだ。
「掴まれ!」
水にもまれていたスラウの耳にラナンの声が飛び込んできた。
差し伸べられた腕に必死にしがみつく。
パチン――
軽やかに指が鳴る音がしたかと思うと、スラウはいつの間にか冷たい石畳の上に居た。
「ゲホゲホッ……」
ひとしきり噎せた後に顔を上げると、横にはアイリス、アキレア、ハイドが噎せ返っていた。
「助かった……」
呟いたスラウはラナンを振り返った。
彼は階段の壁に寄りかかり、肩で息をしていた。
「全員は助けられなかったか……」
数段下を横切る通路を濁流が流れている。
「見て! 亡霊が……」
アイリスの細い指が差す先でボコボコと湧き立つ泡の中から水面を覆い尽くさんばかりの手が伸びてきた。
「任せて!」
アキレアが印を結ぶと、1番下の段を炎が舐めていった。
燃え盛る炎に押し阻まれ、手はその場でさざ波のように揺れていた。
アキレアは額に浮いた汗を拭った。
「頑張ってみるけれど……ここは湿度が高くて火を保ちづらいのよ。あまり時間は稼げないわ」
「ありがとう、アキレア。今はなるべく水の来ないところへ向かいましょ」
アイリスはそう言うと階段を上がり始めた。
***
砕け散った牢屋の傍を泳いでいた魚が突然動きを止めた。
腹部からどす黒い筋が広がっていく。
息絶えた魚はゆっくりと水底へ沈んでいった。
ゆらゆらと上る血が掻き乱され、水中に大きな影が現れた。
鋭い3つの爪が水を掻く。
長い身体にびっしりと生えた鱗が湖に射し込む銀色の光を跳ね返す。
この姿を見た誰もがその美しさに目を見張ることだろう。
龍は長い身体を悠然とくねらせて去っていった。




