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天上人  作者: 鬼木 有葉
第五章 エスメラルダの湖
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三.霧の湖①

「着いたよ!」


フォセがつま先立ちして手を振った。

夕暮れの赤みがかった山を背景に広大な湖が広がっている。

夜が近づいていることもあり、水面(みなも)は黒々としていた。

グロリオは静かな水面(みなも)に目を細めた。


「村人たちが来るのは早くても2日後だ。まだ時間はある。湖の調査は夜が明けてからにしよう。交代で見張りを立てるぞ」


岸辺の小さな丘に向かっていたアイリスは不意に(だれ)かにぶつかってしまった。


「あ。ごめんなさい、ランジア……どうしたの?」


ランジアは片足を()み出したまま湖を見つめていたが、ふと我に返ると、別に、と(つぶや)いて歩き出した。


岸辺には大きな木が1本立っていた。

スラウはそこの根元に足を投げ出して腰を下ろした。


「大きな湖だね」


背後(はいご)の声に振り向くとチニが立っていた。

彼は険しい顔で湖に目を向けた。


「僕……感じるんだ。この湖はとても巨大な力を持った何かがいる。それが龍じゃなかったとしても……」


スラウはじっと彼を見つめた。

生物は生命力に応じた大きさのエネルギーを発しているという。

彼は人一倍、それを感じやすいのだろう。


不意に後ろからフォセが顔を(のぞ)かせた。


「いい加減、怖がり治したら?」


「治す、って病気じゃないんだから」


チニが言い返すと、彼女は舌をぺろっと出した。


「ライなら治してくれるかも」


流石(さすが)にそれは無理だ」


いつの間にかライオネルも会話に入ってきた。


「怖がりは薬で治せるものじゃないし、必ずしも悪いとは限らない。フォセにも、ある意味必要だよ」


「どういうこと?」


「怖がりは慎重(しんちょう)ということでもあるからな」


「じゃあ、何? あたしには慎重(しんちょう)さが足りないって言いたいわけ?」


フォセが(ほほ)(ふく)らませて()ね、ライオネルは軽快(けいかい)に笑った。


夜が深まるにつれ、(きり)が深くなってきた。

スラウは(ひざ)を抱えたまま()き火を見つめていた。

火の()ぜる音だけが聞こえる。

眠気を振り払うように重たい頭を振る。

(となり)でアイリスが穏やかな寝息を立てている。

(きり)のせいで視界は(せば)められているものの、音もしないし気配も感じない。


だが、夕方のチニの言葉が(みょう)に引っかかっていた。

何かいる。

龍ではなくても強大なエネルギーを発する何かが……


いや、それだけではない。

スラウはゆっくりと腰を(かが)め、切株の上で脚を組み直した。

引っかかるのは皆の態度だ。

昼間、村の周辺の森を探索(たんさく)するよう言われていた自分とハイドは村での出来事を何ひとつ知らされていない。

契約主とどんな契約を交わしたのか、何故決められていなかったはずの任務の期限が2日後に縮められたのか……

いつもならどんな小さなことでも話してくれていたのに。

評議会(ひょうぎかい)に疑われてから、どこか隊員たちが浮き足立っているように思える。


話してくれないと言えば、あのことについてもそうだ。

掃除の時に見つけた肖像画(しょうぞうが)

あそこに写っていた人は一体……


すぐ背後で聞こえた枝の折れる音に我に返った。

音を立てないように振り返り、手を前に突き出す。


ヴォン――


鈍い音と共に、手の中にひと振りの剣が現れた。

剣先が(きり)の中で(あや)しく白い光を放った。


「剣を下ろしてくれ、俺だ」


(きり)の中にライオネルの姿がぼんやり見えた。


「万全の警戒態勢だな」


「ご、ごめん」


「いいよ、謝らなくて」


(あわ)てて謝ると、彼は微笑(ほほえ)み、抱えていた枝の束を下ろした。


「それは?」


「ああ……この(きり)、ますます()くなると思うんだ。そうしたら()き火も()たないだろ? 火が消えたら、警戒していた(けもの)が寄ってこないとも限らない」


「……なるほど」


そう時間も経たないうちに()き火が弱まってきた。

ライオネルはもの言いたげにこちらを見つめたが、言うか悩んでいるようだった。

何となく察しがついた。


「火、起こす?」


かつての獄焔(ひとやのほむら)のトラウマがあることを気遣い、いつも隊員たちは自分の居ないところで火を起こしてくれる。


「あ、いや、気にしなくて良いよ」


「でも……」


スラウが口を開きかけた時、グロリオが目を覚ました。


「お、交代か?」


(きり)の中で、もぞもぞと人の動く気配がした。

ランジアも起きたようだった。


「あ、グロリオ。火が消えそうなんだ」


ライオネルがこれ幸いとグロリオに声をかけた。


「了解。スラウ、ライ。交代だ。寝て良いぞ」


ライオネルは小声で目を覚ました2人に状況を報告すると、自分の毛布を取り出した。


「……寝ないのか?」


スラウは(ひざ)を抱えたままだった。


「もう少し起きてる」


気持ちがモヤモヤとしている。

今回任務のこと、みんなのこと、そして何より……

肖像画(しょうぞうが)(えが)かれていた黄金色(こがねいろ)(かみ)の青年のこと。

彼に関しては、何も教えてもらえていない。

彼が何者で、何故今は居ないのか……

どれも聞きづらくてそのままにしていた。


考えている間にも(きり)がより()くなってきた。

グロリオが欠伸(あくび)()み殺して話しかけてきた。


「スラウ。もし起きているんだったら、枝や枯れ葉を集めてきてくれないか? ライの持ってきた枝も尽きそうだ」


スラウは灰色の煙を上げて(くすぶ)る火を見つめて頷いた。


「私も行く」


フォセがもぞもぞと起き上がると、目を(こす)った。

彼女の周りで微風(びふう)(うず)を作り、(きり)を散らしていた。


(コレ)がうっとおしくて仕方ないんだもん。全然寝られんない」


「フォセ、最初からあまり力を使いすぎないで」


ランジアが静かな声でフォセを(とが)めた。

スラウは不機嫌(ふきげん)そうな彼女を連れて()き火を離れた。


2人が去ってすぐのことだった。

火はすっかり消えてしまい、煙が頼りなげに揺れていた。

グロリオの声が聞こえた気がしてランジアは目を細めた。

(きり)のせいで皆の姿もぼんやりとしている。

いつのまにか黒い空を照らしていた月も雲に姿を隠してしまった。


「この湖、何か変よ」


試しに声に出してみた。

グロリオには聞こえたのだろうか?

生欠伸(なまあくび)曖昧(あいまい)な返事が聞こえた。

(まぶた)が重い。


ランジアは前を睨んだ。

ここに着いたときに見たもの。

(だれ)も気がつかなかったのだろうか、足場のない湖の中央に立っていた人影に。

それにしても静かな夜だ、本当に……

次第にランジアは静かな眠りに落ちていった。


ラナンはふと目を覚ました。

自然に起きたというより、自分の感覚が危険を察知して無理に起こされたという感じだ。

(きり)はすっかり()くなり、目の前は真っ白だった。

(くさ)った魚のような臭いに思わず顔をしかめる。

動物の姿でいる間、感覚が研ぎ澄まされるのは良いが、極度に感じやすくなっているのは頂けない。


ラナンはぴくりと長い耳を動かした。

何か来る。

まだ(ひど)く小さいが、水を()き分ける音が聞こえる。

この時間の見張りはランジアとグロリオのはずだ。

彼らならこれを()(のが)すはずがない。

皆はどうしているのだろう?

何故(だれ)も何も言わないんだ?

地面に鼻を近づけ、(かす)かな香りを頼りにグロリオの元へ走った。

彼は樹にもたれかかって座っていた。

ラナンは人の姿に(もど)り、グロリオに話しかけた。


「おい、グロリオ。この音が聞こえるか?」


何気なく肩に()れた時、グロリオの態勢がぐらついた。

(あわ)てて肩を(つか)んで支える。


「おい、グロリオ?! グロリオ!」


ラナンは(はや)る気持ちでグロリオを揺り動かした。

その時だった。

水を掻く音が聞こえてきた。

この姿の耳でも聞き取れるということは、さっきより()()が近づいてきているということだ。

鼻につく臭いに胸にムカつきを覚える。


「この臭いでも起きないのかよ?」


ラナンは小さく(つぶや)くと、グロリオから手を離した。

とにかく(だれ)か起こさなくては。

足が(だれ)かの身体に触れ、ラナンは必死にそれを揺すった。

突然、胸元に短剣が突きつけられた。

驚いて身を引くと短剣も引っ込んだ。


「ラナンか……どうしたんだ?」


起こしていたのはライオネルだったようだ。

彼は(きり)の中で立ち上がると不快そうに顔をしかめた。


「それにしても……何だ、この臭いは?」


「分かんねぇ。だが、何かが来てんのは確かだ。他の奴らも起こさねぇと」


ライオネルはゴソゴソと腰につけた(かばん)を漁り始めた。


「少々手荒にはなるが……」


そう言って取り出した小瓶には茶色い液体が入っていた。

(ふた)をしてあるにも関わらず強い臭いが鼻につく。

湖からの臭いと(びん)の臭いが混ざってラナンは鼻をつまんだ。

ライオネルは手早くローブで自分の鼻を(おお)うと、グロリオの(かたわ)らに(かが)んで、それを鼻に近づけた。

手慣れた手つきで(びん)(ふた)を取る。

その瞬間、グロリオが勢いよく()せた。


「ゴホッゲホッ……」


涙ぐみ鼻を押さえてもんどり打つグロリオを横目にライオネルはハイド、チニに同じことをした。

2人とも同じように地面にのたうち回っている。

自分が起こす側で良かった、ラナンは内心安堵(あんど)の息を()いた。


「一体何なの?」


アキレアは欠伸(あくび)(こら)えると、思わず鼻をつまんだ。


「ケホッ……(ひど)い臭いね」


アイリスも起き上がると、悶絶(もんぜつ)するグロリオたちを見やった。

グロリオが息も絶え絶えに口を開いた。


「ライ、何もそれを使わなくても……」


「仕方ないわよ、あなたは寝起きが悪いんだから」


アキレアがすかさずツッコミを入れた。


「僕は……ゲホ……すぐに起きるよ……」


チニはまだ苦しそうだ。

その時、周りを見回していたアイリスが首を傾げた。


「まだ数人見当たらないわ」


グロリオの声が返ってきた。


「フォセたちは()き火用の枝を集めに行っている。ランジアは……居ないのか?」


「こっちにはいないわよ?」


その瞬間、一同に緊張(きんちょう)が走った。

水を()く音と共に不気味な音が聞こえてきたのだ。

高い音や低い音が混ざった(うめ)き声はさながら海のさざ波のようだ。


ラナンは思わず目を見張った。

(きり)の中から(おぼ)げな緑色の光を放つ亡霊の軍団が現れたのだ。

水面(みなも)から顔を出した亡霊のせいで湖一面が緑色の(もや)(おお)われたように見えた。

彼らは両手を前に突き出し、湖から()い上がってきた。


「……何て数だ」


思わず(つぶや)くラナンの横でグロリオが声を張り上げた。


「ランジアの話はあとだ! ひとまずここを切り抜けるぞ!」


その声を待っていたかのように、ライオネルの手から矢が放たれた。


だが、亡霊にとっては意味が無かったようだった。

彼らは岸に刺さった矢をものともせずに踏みつけた。

今度は向こうから無数の矢が降ってきた。

その瞬間、チニの張った防壁が隊員たちを(おお)い、矢は防壁に触れると黒い煙を上げて消えていった。


「まずいな……」


ライオネは(くちびる)()んだ。

こちらの攻撃は効かないが、相手は十分な殺傷能力がある。

その時、亡霊に矢を射続けているアキレアの姿が目に入った。


「アキレア。やめておけ。矢の無駄遣いだ」


「ライ?」


アキレアは(きり)の向こうのぼんやりとした人影に目を凝らした。


「実体を持たない者に矢や剣は効かない」


「でも、どうするの? このまま向こうの攻撃を受け続けろとでも言うつもり?」


「いや……」


ライオネルは必死に思案を巡らせた。

もう少し明るければ、状況の把握もできて手の打ちようがあるのだが……


「そうか、そういうことか!」


彼は目を(かがや)かせると(きり)の向こうに向かって声を上げた。


「アキレア! 矢の先に火をつけて射てくれないか?」


彼女はライオネルの意図に気づいたようで、うごめく亡霊に向かって矢を放った。


曼珠沙華(まんじゅしゃげ)!』


矢は案の定、彼らの身体をすり抜けて地面に突き刺さった。

しかし、その瞬間、矢の先で火花が散って地面の草木を燃やしながら広がった。

それを見た亡霊は炎から(のが)れようと、じりじりと後退(こうたい)し始めた。


「これは!?」


思わず目を見張るアキレアの耳にライオネルの声が聞こえた。


「亡霊は太陽のある間は気配を消していただろう? もしかしたら明かりが苦手なのかもしれない」


ライオネルはそう言うと空を見上げた。

今、空には灰色の雲が重たく立ち込め、月の光を(さえぎ)っていた。


「それじゃ、こうすればいいわね?」


アキレアは落ちていた木切れに火をつけ、ライオネルに手渡した。

彼が松明(たいまつ)を亡霊に突き出すと彼らは後退(あとずさ)った。


「このまま夜明けになれば良いが……」


ライオネルは不安な気持ちを(ぬぐ)いきれなかった。

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