二.儀式と供物②
「さて、どうすっかな……」
ラナンは頭を掻いた。
風が吹き抜け、足元の草木を揺らしていく。
彼は今、古びた時計台の前に立っていた。
村はずれにポツンと忘れられたように立つそれは風雨に晒され、傾きかけていた。
かつては鮮やかであっただろう赤い屋根と文字盤は枯れたツタに覆われ、塗装が所々剥がれかけた金色の鐘が吊るされている。
「えっと、チニの話によると……グロリオとアキレアが捕まってるんだろ? それで俺たちはアイツらが脱出する時間稼ぎを任された……要は村の連中の注意をこっちに引き付ければ良いってことだよな?」
「まあね。でもこれ、ちゃんと鳴るの?」
フォセは訝し気に時計台を見上げた。
「ちょっと見てくる」
ラナンはそう言うと動物の姿に変わった。
ネズミに齧られた小さな壁の穴をくぐり抜けると、歯車が幾つも重なって上に繋がっているのが見えた。
「ふむ……」
しばらく観察していたラナンはその中の1つを選ぶと器用に登っていった。
1番上までよじ登ると、埃被った天窓の向こうにフォセたちの姿がぼんやりと見えた。
ラナンは再び細い隙間に身体を押し込むと地面に向かった。
「だめだ。鐘を鳴らすには集光板を直さなきゃならねぇ……日没までには間に合わねぇな」
「ラナン、まだ諦めるのは早いわよ」
「え?」
アイリスはそっと両膝をつくとラナンの頭を撫でた。
「鏡なら作れるわ」
細い草を数本抜き取ったアイリスは慣れた手つきで器用に編み始めた。
あっという間にラナンの首回りほどの小さな草の輪ができた。
「ランジア」
アイリスがそれをランジアに渡すと、彼女は輪の中心に指を入れた。
みるみるうちに氷が広がっていき、草の輪に囲まれた氷の板が完成した。
「ラナン、これを壊れた集光板と取り換えてきてちょうだい」
ラナンは器用に後ろ足で立つと、それを受け取った。
「あのさ、俺の力は人間の姿じゃないと使えないんだ。よじ登って持って行くにしても、両手が塞がってるんじゃ……」
「大丈夫よ」
アイリスは相変わらず微笑んだままだ。
「ね、フォセ」
「……うん」
「え、え?! ちょっと待て!」
唇を少し尖らせているフォセにラナンは慌てて手を挙げた。
彼女の風は樹を根こそぎ倒すレベルだ。
傾きかけた時計台はひとたまりもないだろう。
それに、万が一時計台が壊れなかったとしても、上に着くまでに、この薄い氷が割れないという保証はない……
アイリスの口調はその懸念が聞こえていたかのような口ぶりだった。
「大丈夫よ。フォセは前回の任務以来、力を制御できるように練習を重ねてきたんだもの。もう力任せなことはしないわ。そうよね?」
「……うん」
「何か、フォセが押し切られ気味なんだが……」
不安げなラナンの頭を再び撫で、アイリスは不敵の笑みを浮かべた。
「つべこべ言わないの。何事も挑戦よ」
「……」
助けを求めるようにランジアを見つめたが、目を逸らされてしまった。
結局、言うことを聞く他に選択肢は無さそうだった。
「フォセ! 絶対に落とすなよ!」
ラナンの身体が頼りなく宙に浮かんでいる。
「……分かってるもん」
上から首を吊られているような恰好のラナンは恐る恐る地面を見下ろした。
頬を膨らませているフォセの突き出した手が震えているようにも見える。
「おい……」
「ちょっと黙って!」
口を開きかけたラナンをフォセが制した。
「集中するの、難しいんだから!」
その瞬間、ラナンの身体が大きく回転し、真っ逆さまに落ちていった。
「うひゃぁぁぁっ!」
地面に打ち付けられる直前で微風に支えられて止まる。
「あ、あっぶねぇ……!」
地面に降りたラナンは息を吐いた。
「ふぅ」
アイリスは汗を拭うフォセを静かに見守っていた。
――『あたし、もう自分の力で仲間を傷つけたくない。守れる強さが欲しい』
悔しそうなフォセの横顔が瞼の裏に焼き付いている。
「うーん……やっぱり難しいなぁ」
フォセが唸った。
「針穴に糸を通すって感じ?」
「いや、お前は裁縫とかやらねぇだろ」
「なによっ! さっきから文句ばっかり!」
「わ、悪い悪い……」
「もー、いいもん!」
フォセは桃色の頬を小さく膨らませると、ピンと立てた指をラナンに突きつけた。
「今、ここでできるようになってやるんだからっ! ちゃんとできたら、謝ってよね!」
「はい……」
「それから、私の分のニンジンも食べること!」
「はい……ん? それは自分で……」
「ごちゃごちゃ言わないっ!」
風の渦がラナンに向かっていく。
「お、おい! 力をコントロールするんじゃ……」
「うっさい!」
「うわっ! す、す、すみませぇんっ!」
ギャーギャーと騒ぎ始めたフォセとラナンを横目にランジアが空を見上げた。
「……間に合うかしら?」
アイリスは困ったように笑うと首を傾げた。
「さぁ?」
太陽は橙色の光を放ちながら山へと沈みかけ、紫色の空にうっすらと浮かぶ白い月は夜の訪れを告げていた。
***
ふと衣擦れの音を耳にしたグロリオは格子の外に立つ小さな影に気づいた。
「君は……」
小さな手が暗闇からにゅっと伸びてきて鉄格子を掴んだ。
ボサボサの髪が牢獄を吹き抜ける隙間風に揺れている。
「何で……?」
少女は大きく揺れる緑色の瞳でグロリオを見つめた。
「何で助けたの? 母ちゃんも、父ちゃんも……あたしが死ぬのは悪いことじゃない、そう言ってた。村の為なんだって……なのにっ!」
彼女はそこまで言うと、唇を強く噛んだ。
「……あたしの……せいだっ……!」
「お前のせいなんかじゃねぇよ」
「でも! お兄ちゃんたち、あたしのこと助けたから殺されちゃうんだよ?!」
「大丈夫だ。俺たちは簡単に殺されたりしねぇから」
「でも……」
不安げな目がこちらに向けられる。
グロリオはにっこり笑うと彼女の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「だからそんな顔すんな。お前は何も悪くねぇ、な?」
「……うん」
「だけど1つ教えてくれ。お前は何の為に殺されそうになったんだ?」
その言葉に少女の瞳が大きく揺らいだ。
「あ、嫌だったか?」
「ううん、良いの……あれはね、湖の龍の呪いを解くためだったの」
「湖の龍の呪い?」
少女は頷くと、ぽつりぽつりと次のような話を始めた。
かつて彼らの住んでいた村はここよりずっと上流に位置し、緑の森と清らかな湖に恵まれていた。
そこに村1番の美人とされるエスメラルダという娘がいた。彼女はたいそう謙虚で周りに対して常に優しく、村の誰からも愛されていた。
だが……
悲劇はある日突然起こった。
エスメラルダは彼女に歪んだ愛情を抱いていた若者が起こした火事に巻き込まれ、命を落としたのだ。
その翌日から村の悲劇が始まった。
突然地面から水が噴き出し、あっという間に村は湖の底に沈んでしまった。
人々はやむを得ず、下流へと移動してこの村を作ったのだ。
だが……その後も湖は拡大を続けた。
地形が変わった為に、迷い、村に戻れなくなった者も少なくなかった。
いつしか、その湖は「呪われた湖」と呼ばれるようになり、大火に巻き込まれたエスメラルダが寂しさを紛らわす為に人々を湖に誘い込み殺してしまうのだ、とまで言われるようになった。
最初は水面下で囁かれるような噂に過ぎなかったが、ある事件を境に人々はそれを確信するようになった。
ある日、村の掟を破って湖に遊びに行った若者たちが村のすぐそばの森で衰弱しているのが見つかったのだ。
彼らは皆、蒼白な顔をし、血の気の失せた紫色の唇は震えていたという。
――『龍を見た』
彼らはただそれを搾り出すように言うと、そのまま息を引き取った。
エスメラルダが龍になって人々の生命を脅かしている。
この噂を聞きつけて他の村や隣国から龍を討ちに来た者もいたが、彼らが戻ってくることはなかった。
「湖がね、もうこの村のすぐそこまで広がっているの。ここも住めなくなっちゃうんだって……」
少女はそこで言葉を切った。
「だからね、クモツを神様にあげるんだって」
「他の子どもも殺されたのか?」
グロリオの問いに彼女は首を振った。
「ううん。ずっと前は野菜や果物。それでも呪いは解けないから羊や牛を。でも……」
グロリオは、もう分かった、と呟いて小さな頭を撫でた。
少女はその手を取ると冷え切った両手で包み込んだ。
「あの……ね……あたし……」
彼女の手は小刻みに震えていた。
「……も良いんだよね」
声が途切れ、小さな雫が数滴グロリオの手の甲に落ちた。
「生きても……良いんだよねぇっ……」
少女は震える唇を噛んで堪えていたが、遂に膝から崩れた。
「生きて良いんだよねぇ?! うわぁぁぁあっ!」
グロリオは自分の手にすがりついて泣き崩れる少女を見つめていたが、ふと反対側の手を格子の間から伸ばし、彼女の背中に手を回した。
「この世で生きてちゃいけない人間なんて1人もいねぇよ……」
「うん……」
少女はしばらくグロリオにすがりついてすすり泣いていた。
「あのさ。もし俺が湖の拡大を止めてやるって言ったらどうだ?」
「え?」
少女は潤んだ目を見開いた。
その反応に、グロリオはすかさず小さく折り畳まれた羊皮紙を取り出した。
「本当のことを言ってくれ。お前が望むことを」
あたしは、少女は呟いて黙り込んだ。
言葉を探しているようだった。
「もし……本当のことを言って良いなら……あたしはみんなと笑って暮らしたい。もう呪いに怯えるのは嫌なんだ!」
その瞬間、グロリオの手元の紙が青白く光り、それに応えるように彼女の胸から蒼い光が飛び出した。
「なっ……! 何これ?!」
目元を覆う少女にグロリオは片膝をついて頭を下げた。
「契約成立。これより契約期間中、我々は貴殿らをお守り致します」
「お兄……ちゃん?」
怪訝そうな表情を浮かべる彼女にグロリオは満面の笑みを浮かべた。
「君は俺が守る。約束だ」
「……うん。約束だよ」
頷きかけたグロリオは、つと格子から身を離した。
「誰か来る……行け」
近づいてくる足音に少女は顔を上げると、ずっと握りしめていた拳を突き出した。
「あのね、これ……」
チャリン――
軽い音ともに鍵の束がグロリオの手のひらに落ちた。
「どれがここの鍵かはわからないけれど……渡さなきゃって思って」
「そうか、ありがとう」
グロリオは再び彼女の頭を優しく撫でた。
「……もう行くね」
「おう」
背中を向けかけた少女はふと立ち止まるとグロリオに向き直った。
「あのね、よく分からないけど……エスメラルダさんは悪い人じゃないと思うの。だから、これが最後のお願い……何があっても龍を傷つけたりしないで」
グロリオは一瞬、躊躇した表情を浮かべたが、再び微笑むと跪いた。
「……仰せのままに」
少女の姿が暗がりに消えるとグロリオは床に崩れた。
相当手ひどくやられたらしい。
あちこちがズキズキ痛む。
「全く……やせ我慢はいつものことか」
不意にすぐ外で声がした。
「ライ!」
「どうやら来て正解だったようだな……幸いにも鍵はあるようだし、それをくれないか?」
グロリオはどうにか腕を動かして鍵を格子の向こうに滑らせた。
「俺は良い。アキレアの方を診てくれ」
呻くグロリオの傍らに座り込んだライオネルは様々な大きさの小瓶を取り出して紫色の敷布の上に並べていった。
「心配せずともアキレアの方はチニが診ている。大丈夫さ」
グロリオは良かった、と呟くと仰向けに寝転がった。
「外の様子は?」
「お前が滅茶苦茶にしてくれたおかげで、皆大騒ぎだよ」
「……そうか。何で人間はああいったことが出来るんだろうな?」
グロリオは天井を見つめて呟いた。
「子どもを殺したって何も変らねぇのに」
「……人間だけじゃないさ」
薬を塗りこむライオネルがぽつりと返した。
「……?」
口を開きかけたグロリオは思わず顔をしかめた。
「ライ……いつになく滲みるんだが?」
ライオネルは濡らした脱脂綿を摘んだピンセットを掲げた。
「やはりそうか……この配合だと傷口への刺激は強くなってしまうらしいな」
「待て待て! まさかライ、また俺を使って……!」
「あぁ。新しい薬の開発だ」
幸せそうに微笑むライオネルにグロリオは思わずこめかみを押さえた。
隊員の中で、いや、恐らく天上界の中でも随一の治療の腕を持つ彼の作る薬の効果は抜群だ。
将来、彼が天上界一の名医としての名を馳せてもおかしくはない。
但し、他人を使って新しい薬を試したがる悪趣味を除いての話だが……
グロリオは話題を切り替えることにした。
「そういや、他の奴らはどうしてる?」
「ランジアたち4人は時計台に居る。これ以上、人間と接触しない為にも注意を村の外に向けさせる必要があるからな……」
「じゃぁ、スラウとハイドは?」
「まだ何も伝えていない。村の外の捜査に集中してもらいたいんだろ?」
「そうだな」
小さく呟いて寝返りをうつグロリオを見てライオネルはそれに、と付け加えた。
「ハイドが知ったら……タダじゃ済まされないぞ」
グロリオは目を閉じて力なく笑った。
「ふふふっ……それもそうだ……」




