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天上人  作者: 鬼木 有葉
第五章 エスメラルダの湖
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二.儀式と供物①

暗闇(くらやみ)の向こうで(だれ)かが自分を呼んでいる。

冷たい石の床の上で(ひざ)を抱えていた少女はゆっくりと顔を上げた。


ギィ――

小さな鉄格子(てつごうし)のついた木の(とびら)が開けられた。

栗色(くりいろ)(かみ)の男性が(とびら)(わき)に立って手招(てまね)きしている。

彼の後ろから少女と同じ髪色(かみいろ)の女性が顔を(のぞ)かせた。

目元は赤く()れ、時折鼻をすすっている。

女性はしばらく顔を男性の胸にうずめていたが、ふと身体を離して(ひざ)をつくと微笑(ほほえ)んだ。


「……」


名前を呼ぶ声が(ふる)えている。

細い手が(かみ)()で付けた。


「良い子ね……」


「……行かないと」


男性が女性を(うなが)した。

彼らのすぐ横の階段の先でフードを深く(かぶ)った2人がこちらを見下ろしていた。


「お願いします」


頭を下げる両親の姿を振り返る少女に1人が声をかけた。


「大丈夫。怖がることはありませんよ」


ふと長い廊下が途切れて日の光が一気に降り注いできた。

ざわめいていた群衆は、少女が現れたのを見ると静まり返ってしまった。

彼女はその生気(せいき)の失せた眼で周りを見まわした。

自分を囲む村人たちの表情とは裏腹に、久しぶりに見た青い空は透き通り、日が高く(のぼ)っている。

青々とした草木がそよ風に揺れていた。

道を開ける人々の視線は小さな裸足(はだし)を追っていた。

彼女の着ている純白のワンピースが風に(ひるがえ)った。


道が途切(とぎ)れ、少女は顔を上げた。

大きな石碑(せきひ)の前に荒削りの白い石の台が置かれていた。

サイダン。

大人がそう口にしているのを聞いたことがある。

その横には黒い礼服に身を包んだ細身の男性と杖にもたれかかる老人が待っていた。


不意に両隣(りょうどなり)の2人が数歩下がり、石碑(せきひ)に向かって頭を下げた。

それを見届けた司祭は胸元から小さな本を取り出すと鼻眼鏡を掛けて読み上げ始めた。


その間、少女はじっと白い石を見つめていた。

冷たい風が素足(すあし)に吹きつけ、彼女は小さく身震(みぶる)いした。

この(ふる)えが寒さのせいだけではないことは薄々分かっていた。


「それでは、前へ」


その言葉に導かれ、彼女は前に足を踏み出した。

サイダンの前で待っていた老人は目線を()らして(ささや)いた。


「……ここに」


少女は(だま)ってそれによじ登るとその上に身を横たえた。

石の冷たさが全身を包み込む。

青く()み切った空はどこまでも広く、吸い込まれてしまうような気さえした。

本をしまった司祭は剣を引き抜いた。


「この命を神に(ささ)げよう」


空を切る音に赤ん坊を抱いた女性は目を()らし、村人たちは目頭を(おお)った。


ガン――

固い音が響いた。

少女はゆっくりと目を開き、その異様な光景に思わず身を起こした。

剣は地面に突き刺さり、司祭と老人が身体をくの字に折り曲げて地面に転がっていた。

いつのまにか現れていた臙脂色(えんじいろ)のローブの人物がそれを見下ろしている。


「何をする?! 血迷ったか?!」


群衆(ぐんしゅう)の1人が(さけ)んだ。


「おいおい」


彼は(かぶ)っていたフードを脱いだ。

くしゃくしゃになった赤い(かみ)が太陽の光を受けて(かがや)いている。

日に焼けた小麦色の肌に明るい茶色の瞳。

この村の者ではないことは(だれ)の目に見ても明らかだった。


「血迷ってんのはお前らだろうが」


呆気(あっけ)に取られている群衆(ぐんしゅう)にも目をくれず、彼は少女の手をとると辺りを見渡した。


「あ、いたいた。はい、あなたたちの子でしょ?」


彼は群衆(ぐんしゅう)の中に(まぎ)れるようにして立つ2人に微笑(ほほえ)みかけたが、母親は(おび)えるように夫の(そで)を引っ張り、彼は勢いよく青年の(ほほ)(はた)いた。


「なんてことをしてくれたんだ!」


「え……?」


その声で我に返ったように人々が口々に(さけ)び始めた。


「おいおい、ちょっと待てよ! 助けてやったのに、何で……?」


戸惑(とまど)う彼の胸ぐらを1人が(つか)んだ。


「龍の(たた)りを知らんのか!」


その瞬間、人々の間に戦慄(せんりつ)が走った。

彼の言葉を非難する者、(おび)えたように我が子を抱き言葉を()わす女性たち。

皆、龍を恐れているようだった。

その時、少女の母親が声高に(さけ)んだ。


(だれ)か! (だれ)か、この男を殺して!」


人々は青年に飛びかかると腕を(つか)んで引きずり回し、棍棒(こんぼう)(なぐ)りつけた。


「おい、コイツも仲間だぞ!」


数人が近くにいたもう1人を捕まえて、フードを()()った。

明るい赤毛の短い(かみ)(あら)わになる。

橙色(だいだいいろ)の澄んだ瞳は(おび)えたように揺れていた。


「アキレア! やめろ! 彼女に手を出すな……カハッ……!」


もがく青年を人々は狂ったように(なぐ)り続けた。


「あたしの……せいだ……」


気を失った2人が引きずられていくのを見ていた少女は地面にへたり込んだ。


***


かび(くさ)い空気が鼻をつき、目を覚ましたグロリオは飛び起きた。


「ここは……っ!」


頭が割れるように痛い。

ガチャガチャと重い金属が(こす)れる音に振り向くと、両手首に掛けられた手錠(てじょう)(くさり)が柱に巻き付けられていた。

ぼんやりとしていた視界がはっきりとしてきた。

時折、石の天井から水が落ちている。

どうやら地下牢(ちかろう)の中らしい。

目の前の太い鉄格子(てつごうし)に腕を伸ばすと関節が悲鳴を上げた。


「アキレア? アキレア、無事か?!」


声が暗闇(くらやみ)に響いた。


「……」


微かに声が聞こえる。

グロリオは(わら)にもすがる思いで床を()った。

壁の上に小さな窓が開いていて格子(こうし)がはめられていた。

声はそこから聞こえるようだった。


「アキレアか?! アキレア! 無事か?!」


グロリオは石の壁を(たた)いた。


「……グロリオ」


「アキレア! くそっ! (これ)さえ無ければ君の(となり)に居られるのに……」


「違うの、グロリオ」


彼女の声は弱弱しくも、はっきりと聞こえた。


「ねぇ、1つ聞いても良い……?」


アキレアは再び小さく息を吸った。


「私たち、これからも変わらずにいられるわよね?」


グロリオはしばらく(かべ)に背中を預けて考えこんだ。


「……それはこの任務のことか?」


答えは返ってこなかった。

グロリオは言葉を選ぶように口を開いた。


「約束する。これから先、何があっても俺たちは変わらない。だけど今は、今だけは……目を(つむ)っていて欲しい。俺が目指した隊は威信(いしん)()(もど)すことだけを考えて動くようなものじゃない。それは分かってる……だからこそ、今はなりふり構っていられないんだ。ナキュラスが居なくなったのは他でもない、俺のせいだ。俺の実力が認められていなかったから、アイツは1人で行っちまった……あんなのはもうごめんなんだ」


グロリオはそこで言葉を切るとそれに、と続けた。


「先走ったことをしたのは分かってる。今回の任務の契約主は特定されていないから、村の(だれ)かと接触すれば良いって思ったんだ。あの子を助ければ、その礼として契約も結べると思ったが、アキレアの忠告通り、そう簡単にはいかなかった……でも、あれだけの(さわ)ぎを起こしたんだ、1人くらいとは接触できるはずさ」


沈黙(ちんもく)したままの壁にグロリオはそっと手を触れた。


「なぁ、アキレア。俺たちは残らなきゃならない。ここで評議会(ひょうぎかい)に消されるわけにはいかないんだ。何としてでも連中に俺たちの実力を認めさせてやる……アイツが(もど)ってくる為にもこの隊は消されるわけにはいかねぇんだ……」


「……そうじゃないわ」


アキレアはそう呟くと、指先に灯る(ほのお)とその中に浮かぶ目玉を(にら)んだ。


「何があっても私たちは変わらない……この言葉だけで十分よ」

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