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天上人  作者: 鬼木 有葉
第五章 エスメラルダの湖
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一.プロローグ

バサ――

青い空に広がった翼が風を切って(するど)い音を立てた。

(つばさ)が上下する(たび)に周りの雲が散っていく。


金色の瞳が(はる)彼方(かなた)にそびえる銀の光に向けられた。

この世界の中心に位置し、全てを(つかさど)る象徴。

長たちの住まう城である。

雲が晴れ、(うろこ)が朝日を受けて(まばゆ)い光を放った。

ドラゴンは(つばさ)を閉じて、地面に向かった。

地面に写る影がみるみる()くなっていく。

その背中で純白のローブが大きく(ひるがえ)った。


「ラダル!」


スラウが片腕でドラゴンにしがみついていた。


「降りるなら教えてよ!」


ドラゴンはゆっくりと首を後ろに回した。

(うろこ)(おお)われた大きな鼻から薄い煙が立ち上る。


『何度起こしても起きなかった方が悪い』


スラウは空いている手を口元に持って行き、大きく欠伸(あくび)をした。


「だって……」


ラダルはぱちくりと小さな主人を見つめると視線を前に(もど)した。

いつの間にか、銀色の(とう)は目前に(せま)っていた。


『着いたぞ』


朝露(あさつゆ)のついた芝生(しばふ)に降り立ったスラウは背後の巨大な影を振り返った。


「ありがとう」


ラダルは巨大な爪で地面を大きく()いて浮き上がると、こちらを見下ろした。


(おのれ)を見失うな』


怪訝(けげん)な表情を浮かべるスラウに、ラダルは満足気に目を細めると、朝日の(のぼ)り始めた空へと舞い上がっていった。


***


(おのれ)を見失うな、って言ってもなぁ……」


スラウは独り(つぶや)いた。

今日は木の長タイトンに呼び出しを受けて来ただけなのだ。


恐らく以前の任務のことに関することだろう。

石畳(いしだたみ)にブーツの固い音が響く。

スラウは城へ続く回廊(かいろう)をくぐり抜けた。

川のせせらぎが耳に心地いい。

いつもは騒々(そうぞう)しい中庭も時間帯が早いせいか、静まり返っている。

湿(しめ)った空気を思いっきり吸い込む。

落ち着いた朝を堪能(たんのう)していたスラウはふと人の気配を感じて顔を上げた。

前から歩いてくる2人組にスラウは思わず顔を強張(こわば)らせた。


あの人……

ケスターと呼ばれていた……


彼とはラダルと出会った時にひと悶着(もんちゃく)あった。

王族のドラゴンに手を出したと責め立たられ、城へ連行された日の記憶が(よみがえ)る。

結局、ドラゴンがスラウを選んだという理由でその件は片付けられたが、あれ以来、人間関係がガラリと変わってしまった。

(いま)だサギリの元で剣術を習う訓練生(くんれんせい)たちとも言葉を()わすこともできず、早朝に稽古(けいこ)している始末だ。

だが、(だれ)よりもケスターが1番面白くないに違いない。


スラウはさりげなさを装い、視線を()らした。

すれ違った瞬間、緊迫(きんぱく)した空気が走った。


だが、彼の方もこちらには目もくれなかった。

ほっと息を()いた途端(とたん)、ケスターの肩に腕を回していた青年がわざとらしく声を上げた。


「いやぁ……まさか、王族のドラゴンに手を出したかと思えば、人間を殺すとはなぁ。そんな(やから)(ここ)闊歩(かっぽ)してるんだろ? 怖いねぇ」


「……っ!」


反応しちゃダメだ。

自分に言い聞かせ、ペースを落とさず歩き続けた。


「ふん、気にすることないさ」


ケスターが返した。


「どうせ、下等な身分のやったことだ」


「これだから地上界(ちじょうかい)出身は……きたねぇな。何とも思わないのかね。こういうところが俺たち生粋(きっすい)天上人(てんじょうびと)と違うってわけか」


「まあ、(だれ)か1人の仕業(しわざ)とも限らんさ。どうやら、あの隊は下等身分(かとうみぶん)がまだ2人もいるようだからな」


「どのみち、下等生物(かとうせいぶつ)下等生物(かとうせいぶつ)らしく生きろってこと……」


(こぶし)にこもる力が強くなる。


「ぶふぇっ!」


勢いよく振り返ったスラウは何かにぶつかって尻餅(しりもち)をついた。


「サギリ……」


サギリが腕を組み、険しい表情でこちらを(にら)み付けていた。


「今、何をしようとしたんだ?!」


答えに()まって自分の右手に視線を落とす。

(にぎ)られていた剣がゆっくりと光の粒を上げながら消えていった。

サギリはしゃがみ込むと勢いよく腕を()(かぶ)った。


「……っ!」


思わず身構(みがま)えたが、右手が(つか)まれて身体が引き寄せられた。


「良いか」


サギリの淡い青い目がこちらをまっすぐ見つめる。

(かろ)うじて聞き取れるほどの小さな声だ。


「お前が何を思ったのかは分かる。だが、やって良いことと悪いことがあんだろ!」


怒ってる……

気まずくて目線を彷徨(さまよ)わせる。

当たり前だ。

理由が何であれ、約束を破ろうとしたんだから。


サギリが小さく手を引っ張ったので我に返ると、彼は再び(くちびる)を動かした。


「特に今は行動を(つつし)め! 評議会(ひょうぎかい)に疑われている今、お前らは全員監視下(かんしか)に置かれているんだぞ!」


思わず首を動かそうとすると止められた。


「お前がラダルに乗っていた時から後をつけられている」


「でもっ……!」


でも、そんな気配なんて感じられなかったのに……

言おうとして思わず目を見開いた。

気配を感じないのは当たり前だ。

相手は天上人(てんじょうびと)だ。

気配を消すことくらい造作(ぞうさ)ないことなのに。

迂闊(うかつ)だった……


(うつむ)いてると、サギリが不意に大きな声を出した。


「立て」


引っ張り上げられて立ち上がったスラウは思わず声を上げそうになった。

(かす)かにだが、気配を感じられるようになった。

すぐ横の窓の向こう、廊下(ろうか)の先の青銅像(せいどうぞう)の後ろ、天井(てんじょう)……

こんなに居たのか……

サギリはさりげなさを装って(ささや)いてきた。


「これで分かっただろ? 俺の感じている気配だけでもこれだけある。もっと多いかもしれない」


(うなず)いて小さな声で謝った。

一瞬、サギリが微笑(ほほえ)んだように見えた。

気の(ゆる)んだ瞬間、彼は大きな音を立てて頭を(たた)いてきた。

思わず頭を押さえる。


「うぅ……」


「2度とするなよ」


サギリは厳しい表情で足早に去っていった。


ふと窓の外を見たスラウは思わず身体を()()らせた。

こちらをじっと(のぞ)き込む何かと目が合った気がしたのだ。

(あわ)てて誤魔化(ごまか)すと、さりげなく周りを見回した。

扉や柱、壁のあらゆるものが()けて見える。

さっきはサギリの手を通じて何となく伝わってきた気配が、今や、はっきりと見えるようになっていた。

すぐ目の前の柱の(かげ)(とびら)の後ろ……

スラウは思わず吹き出しそうになるのを(こら)えた。

青銅像(せいどうぞう)そのものがカモフラージュだったとは。

サギリのあの様子からすると、これは彼のやってくれたことなのだろう。

(あや)しまれる前にタイトンの元へ向かわなくては。


「よし」


スラウは息を吸って足を踏み出した。


***


重たい音を立てて木の(とびら)が開いた。


「失礼します」


ぎこちない声が出る。


「どうぞ」


優しく包み込むような声に顔を上げたスラウは思わず息を()んだ。

部屋の中央には巨木が根を張り、足元には様々な種類の草花が生い茂っていた。

目の前を尾の長い紅の鳥が横切っていった。


「森……?」


思わず声が()れる。


「さぁ、入っておいで。そこに突っ立っていないで」


木の長の声にスラウはそっと足を踏み出した。

ここは部屋のはずだ。

それなのに、ずっと終わりがなく森が続いているような感じがする。


「ハーブティーはどうかね? ()れたてだよ」


「ひゃぁ! ……って、あ、す、すみません……」


突然目の前に現れたタイトンにスラウは思わず声を上げた。

茶色のローブが完全に風景の一部として溶け込んでいて気づかなかった。

彼は深緑色の瞳でしばらくこちらを見つめていたが、穏やかに微笑(ほほえ)んだ。


「心配することはない。ここにはわししかおらんよ」


ぽかんと見つめるスラウに彼も牡鹿(おじか)のような瞳で見つめ返すと奥へ案内した。

木の根元に木の丸いテーブルと椅子(いす)が置いてあった。


「なかなかのものだろう?」


きょろきょろと周りを見回していたスラウは大きく(うなず)いた。

よく見ると壁際(かべぎわ)に生えている木の一面がくりぬかれて本棚になっていたり、一際(ひときわ)大きな机の(わき)の花のつぼみが灯りの役割をしていたりしている。


「薬学の授業で使う薬草のほとんどはここで栽培しているんだ。はて、さっきから(ただよ)うこの匂いは……そうか。ピプタカ草だね」


「ピプタカ草……?」


「そう。感覚を鈍らせる草があるように、その逆のものもあるんだよ。そのひとつがピプタカ草だ。確か、この部屋でも栽培していたと思うんだが」


どれだろう?

スラウは改めて部屋に生えている草花を見返した。

授業は眠っているわけじゃないのに記憶がない。


「おや、自分でやったのではないのかね?」


「い、いえ……」


さっき(はた)かれた頭に手が伸びる。


「多分、サギリがつけてくれたんだと思います」


不意にタイトンが大きな声で笑った。


「そうだそうだ、君はいつも追試の追試を受けているんだったね」


「あ、あの……本当にすみません」


「ははは。何もかしこまることはないよ。今日はそのことで呼んだんじゃないから」


タイトンは途端(とたん)緊張(きんちょう)した面持(おもも)ちになると、脇の引き出しから小さな臙脂色(えんじいろ)の箱を取り出した。


「これが以前預かっていた木の実だ」


タイトンは慎重(しんちょう)な手つきで箱を開けてスラウに見せた。

深い(しわ)が刻まれた赤黒い木の実が顔を(のぞ)かせた。


「これ、何だったんですか?」


尋ねると、彼は表情を(くも)らせた。


「確証をもって断定することはできないが、恐らくこの世に存在する最も残酷(ざんこく)拷問道具(ごうもんどうぐ)だろう」


「……っ!」


「君はもう、身をもって知っているだろうが……この実を(にぎ)ることで対象となる者の心臓を圧迫(あっぱく)することが出来る。これを生み出した医学者の名を取って「ゴンゴラゾンの実」と言われる。ただ、時に死者を出すほどだったから「死に(いた)る果実」と(しょう)され、製造も使用も禁じられた。開発した本人もその責を問われて天上人(てんじょうびと)の資格を剥奪(はくだつ)され、この世界を去った。だから、その実の製造方法、形状すらも明らかにされていないんだ」


「そうなんですか……」


「本当にすまないね。私も出来る限りのことはしてみるつもりだ。それで……何か思い当たることはないかな? この実が作られたということは、君の身に何かあったはずなんだ」


特にない、そう答えようとして、ふとよぎった疑問に鼓動(こどう)が早まった。


「あの、左肩の傷なんですけど」


言いながら、シャツのボタンを外して肩を見せる。

宿舎(しゅくしゃ)を出る時に変えたばかりの包帯に、もう血が(にじ)んでいる。


「前にミレーの村に飛ばされた時に受けた傷なんですけど、まだ治らないんです。私が元人間だったからかもしれないんですが」


「いや、それは違う」


タイトンの目は真剣だった。


()()()要塞(ようさい)に行ったと聞いたが?」


「はい」


(うなず)くと、彼はそうか、と(つぶや)いたきり(だま)り込んでしまった。


「これを作ったのはゾルダークだということですよね? だとしたら何故?」


「すまないが、今は何も言えない。不確かな情報だけで語れるほど彼は単純な存在ではないんだよ」


「……?」


「ただひとつ、確かに言えることがある」


彼は木の実の入った箱に手を()れた。


「この実を生み出した医学者は今もどこかで生きているということだ」

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