九.疑惑
チニはゆるゆると片目を開けた。
ベッドは身体が沈み込むほど柔らかい。
枕元には1本の木が生えていた。
橙色の木の実に穏やかな光が灯っていて、部屋を仄かに甘い香りで満たしている。
チニは丸い天井をぼんやりと見つめた。
中心に集まるように螺旋を描いて石が彫られている。
火、水、木……
チニはひとつひとつを目で辿った。
天上界を構成する6つの力を象徴するレリーフが互いに絡み合いながら中央の城の紋章へ繋がっている。
どうやらここは城の医務室のようだった。
「そうか」
掠れた声で呟く。
「戻ってきたんだ……僕たち」
記憶はザレジオに言葉をかけたところから飛んでいる。
ブランケットを剥ぎ、起き上がろうとして、背中に走った激痛に思わず身をよじった。
そこで初めて自分の全身に包帯が巻かれていることに気づいた。
ゆっくりと関節を動かし、痛くない方向を探っていると、ふと外で騒がしい声が聞こえてきた。
どっしりと構えた焦げ茶色の木の扉の向こうで誰かが叫んでいる。
「困ります! 今は安静にしていないと……きゃっ!」
看護師の甲高い声が途切れたかと思うと、扉が大きく開け放たれて数人が転がり込んできた。
「チニ! 大丈夫か?!」
グロリオが真っ先にベッドに走ってきた。
大きな橙色の瞳が潤んでいる。
チニは思わずポカンと口を開けて周りに集まる隊員たちの顔を見上げていたが、にっこりと微笑んだ。
「うん! だいじょうっ……わぁっ!」
言っている途中でフォセに飛びつかれたチニはそのままベッドに押し倒された。
「ごめんっ!」
「フォセ! 絞めすぎだ! チニが失神しかけてるぞ!」
止めるグロリオの声が遠くで聞こえる。
フォセが慌てて身体を離した。
「平気だからね、フォセ! ちょ、ちょっと、びっくりしちゃって……」
フォセは黙ったままコクンと頷いた。
「そ、そういえば、僕は何日くらいここに居たの?」
「1カ月くらいだ」
グロリオの言葉にチニは目を剥いた。
「え?! い、1カ月も?!」
ライオネルが頷いた。
「肋骨が4,5本折れていたし、出血の量もおびただしくて……全部の治療が終わったのが1週間前だ。あと3、4日は絶対に安静しておいた方が良い」
「うぅ……」
チニは思わず涙声で頭を抱えた。
天上人の回復能力は人間のそれをはるかに上回る。
だが、1カ月という気の遠くなるような時間の治療を受けたということは……
「人間なら、まず死んでいたでしょうね」
ランジアがこちらの思考を読んでいたかのように続けた。
「ランジア」
ライオネルが窘めるように言った。
「だからフォセは心配していたんだ。元人間のチニのことだから、万一……」
「だ、大丈夫だよ! 僕なんていつもフォセの風に巻き込まれているんだ。これぐらいじゃ、やられないよ。それに」
チニは俯いたままのフォセに微笑みかけた。
「僕、信じてたから。フォセは絶対に友だちを傷つけたりしないって」
「……っ!」
フォセの潤んだ瞳と目が合った。
だが、次の瞬間には彼女は小さな鼻をツンと上に向けた。
「あったりまえでしょ! ライも大げさなんだから! チニがこんなことで死ぬ訳ないって分かっていたもん!」
「あら」
アキレアは微笑むと、フォセの頭に手を乗せた。
「心配で眠れなくて、夜遅くまで起きていたのはどこの誰だったかしら?」
「し、知らないしっ!」
フォセは桃色の頬を膨らませた。
「そう言えば、あの後どうなったの?」
尋ねると、アキレアの顔に一瞬影が過ったような気がした。
「イザベラさんもエリックさんも元気よ」
「そっか、良かったぁ」
チニは安堵の息を漏らすと、次の言葉を待った。
彼女は他の隊員たちと目配せをすると、緊張気味に口を開いた。
「あのね、チニ……」
アキレアはそこで首を振って話すのを止めてしまった。
覚悟を決めたように息を吐いたグロリオが言葉を継いだ。
「ザレジオは……亡くなった。アイツは隙を見て屋敷を抜け出し、町へ出た……馬車を1台拾うところまでは目撃情報がある。だが、その後、アイツを乗せた馬車は突然起きた山崩れに巻き込まれて……立ち往生しているところを、たまたま起きた野火に巻き込まれた」
シーツを握る拳に思わず力が入る。
そんなに偶然が重なるわけがない。
天上人だからこそ分かることもある。
これは偶然なんかじゃない。
「あの人は……」
チニは震える声で呟いた。
「とんでもない悪党だった。フォセやみんなを苦しめて……許せない奴だった。でも! あの人だって苦しんでいたんだ! まだやり直せたはずなんだ! 僕らの役目でしょ?! ああいう人を救うのが!!」
「……それだけじゃないのよ、チニ。子どもたちを家に送り届けた後、私たちはイザベラさんの家にもう1度立ち寄ったの。そうしたら……マリーラの姿はどこにも見当たらなかった」
アキレアの言葉が胸をえぐる。
「それに、マリーラの暴走はザラジオのせいだけじゃなかったようなの。彼女の心に寄生していたのは憎悪の繭。獄焔と同じ禁忌の術で、取り込んだ者の心を喰らうものだった」
「何だよ、それ……?!」
イザベラがマリーラの気持ちにやっと気づくことが出来たというのに。
ようやく2人の欲しかったものが手に入ったのに……
グロリオは小さく首を振った。
「マリーラは消されたんだ。誰かによって」
「誰か、じゃない!」
チニは声を荒げた。
「ゾルダークしかいないじゃないか!」
「いや、違う」
ハイドが初めて口を開いた。
「奴には動機がない」
「それに」
ライオネルが言葉を継いだ。
「光の領域を一夜にして滅ぼした男だ。彼なら、繭がマリーラに取り憑いた時点で街をひとつ消していただろう」
「でも、スラウは? スラウの心臓が潰されそうになったのは?! あれは、ゾルダークの仕業でしょう?!」
「彼が何故かスラウに執着しているのは知っているわ。でも、あの時のはハッタリだし、そもそもアレが何だったのかも私たちには分からないのよ」
アキレアは首を振ると、天井を仰いだ。
「……ホント最悪」
「もっと悪いニュースがあるわ」
そう言って部屋に入って来たアイリスに隊員たちは凍りついた。
「……認められなかったか」
呟いたグロリオの声は怒気を孕んでいた。
「い、一体どういうこと……?」
「今回の任務、連絡塔で認可されたものではなかったんだって」
フォセが答え、グロリオは大きく肩を揺らしてゆっくりと部屋を歩き始めた。
「ふとした出来心で人形に宿らせた憎悪の繭が暴走し、子どもたちの失踪事件が起きた。慌てた犯人は地上界へ赴き、マリーラを処分。秘密を知ったザレジオを殺害した。山崩れも野火も、当時の気候状態からは起こりえないものだったしな」
「な、何を言っているのグロリオ……」
尋ねてもグロリオは宙を睨んだままだ。
「その上、今回の任務は連絡塔の認可の降りていないものときた。つまり、俺たちの中に犯人がいるということになる。以上が評議会の出した結論だ」
「評議会って、あの……?!」
思わず息を呑むチニにライオネルが頷いた。
「各領域の王、並びに貴族階級の議員によって形成される組織だ。民意を代表するとして長たちに対しても発言権を持ち、連絡塔、任務隊や城の管理を担う本部を思うままに動かせる唯一の機関……実質上、この世界を動かしているのは彼らだと言っても間違いではないだろう」
アキレアは静かに続けた。
「契約内容を超えた活動や人間の殺害はゾルダークの思想に通じるものがある。彼に影響を受けた人物を野放しにしておけば、彼の天上界における勢力は水面下で間違いなく拡大するでしょうね。だから、評議会は決断を急いでいるの」
「でも、僕たちはやってない!」
「分かってるさ、そんなこと」
グロリオは拳を固めた。
「……誰かが俺たちをハメたんだ」




