八.約束①
「うぅっ……!」
イザベラが頭を抱えてしゃがみこんだ。
突然の耳鳴りにスラウは眉間に手を当てた。
頭が割れるように痛い……
次の瞬間、明瞭な映像が頭に流れ込んできた。
***
コンコン――
釘を打つ心地よい音が響く。
鼻をくすぐる木の香りに目を開けると、こちらを覗き込む優しげな緑色の瞳が見えた。
「よし……」
白髪交じりの男性は満足げに頷いた。
「イザベラ、おいで」
男性が振り返った。
「お父様、これはなぁに?」
満面の笑みを浮かべた少女は一目散にこちらへやってきた。
男性は彼女を抱き上げると椅子の上に乗せてやった。
彼によく似た大きな瞳がじっとこちらに向けられた。
「マリオネットだよ。お前の新しいお友達だ」
男性が少女の頭を優しく撫でた。
「イザベラの?」
「ああ、そうだ。仲良くするんだよ」
彼女は嬉しそうに男性に頷くと、こちらに手を伸ばしてきた。
「あ! これ、イザベラにそっくり!」
男性の楽し気な笑い声が部屋に響く。
「そうだよ。イザベラと同じ髪、同じ瞳。そっくりさんだろ?」
「うん!」
「この子に名前をつけてあげなさい」
「イザベラ!」
男性は再び朗らかに笑うと、少女の頭を撫でた。
「名前まで同じじゃ、見分けがつかなくなってしまうよ」
「だって、お屋敷のみんなは「あなたの名前は世界一素敵ね」って言うのよ」
「はははは、そうかい。では、お前も世界一素敵な名前をこの子につけてあげなさい」
父の言葉に少女はしばらく考えを巡らせていたようだが、パッと晴れやかな表情を浮かべた。
「思いついた! あなたの名前はマリーラ! マリオネットのマリーラよ!」
「マリーラ……良い名前だ」
男性は微笑むと、膝をついてこちらを見つめた。
「初めましてマリーラ。僕はギルナード。ようこそわが家へ」
***
ギルナードの笑顔がぼやけていく。
我に返ったエリックは低く呟いた。
「今のは……」
「あの子の記憶だわ」
イザベラが答えた。
目は真っすぐに変わり果てた人形を見つめている。
「マリーラ、ごめんなさい……あなたをこんな風にしたのは私のせいだわ。ねぇ、聞いてもらえる?」
イザベラはエリックの手を取るとゆっくりと話し始めた。
「貴方と出会うずっと昔……私ね、お母様を亡くしたの。あまりに幼くて顔も覚えていないわ。特に親しい友人も居ない私にお父様はプレゼントをくれた。それがマリーラだったの。私は彼女のことがすごく好きになった。妹ができたみたいで嬉しかったの……だから毎日話しかけて、どこにでも連れていったわ」
イザベラは、でも、と口ごもった。
「だんだん私はダンスや読書、他のことに興味が移っていった。そのうちにあの子に見向きもしなくなったわ。いいえ、それだけじゃない。私はもらったことさえ、忘れてしまっていたの」
「それは誰にでもあることですよ」
エリックは慰めようとしたが、彼女は首を振った。
「いいえ。それだけじゃないわ」
イザベラはゆっくりと目を閉じた。
父に、彼の仕事に、ぶつけた言葉。
それが父との最後のやりとりだった。
「あんなこと言って……許してくれないでしょうね、お父様は……」
エリックは俯く彼女に何か言おうと口を開きかけたが、黙り込んでしまった。
その時、マリーラの背後にある黒い繭が破裂して無数の糸が飛び出してきた。
「お嬢様!」
エリックが叫んだ瞬間、天井が崩れた。
「……っ!」
我に返ったイザベラは自分を庇って覆い被さっているエリックに気づいた。
「エリック!」
飛び起きた彼女は自分たちを囲む新たな影に気づいた。
錆びついた片手で黒い縮れ毛の髪の少年の人形を握るブリキのロボット。
埃にまみれたドレスに身を包んだバレリーナは赤毛の少女の人形を持っている。
他にもイヌやウサギのぬいぐるみが子どもの人形を手に並んでいる。
「全部お父様が作ったおもちゃだわ……」
繭から伸びる糸がおもちゃの持っている子どもの人形に次々に絡みつき、口のような裂け目へ引きずり込み始めた。
息を呑んでそれを見ていたイザベラはふと傍らのエリックにも糸が伸びてきたことに気づいた。
「い、や……っ!」
必死に震える腕でエリックを抱きしめたが、糸は容赦なく彼の脚に巻きついた。
「エリック!」
「イザ……ベラ……」
エリックは片目を細く開け、か細い声でイザベラの名を呼んだ。
震える手が彼女の頬に伸びた。
イザベラはその手を掴んで自分の頬に当てた。
ビキビキ――
エリックの腕が音を立てて固くなっていく。
彼の唇がゆっくり動いた。
「貴方なら……」
エリックの言葉はそこで途切れた。
彼の顔からは血の気が失せ、優しげな瞳は彼女に向けられたまま動かなくなった。
「いやぁぁっ!」
イザベラは人形に変わり果てたエリックを強く抱きしめた。
「やめて! お願い!」
イザベラは震える瞳をマリーラに向けた。
だが、マリーラはそのひび割れた顔に笑みを浮かべると手を挙げた。
糸がエリックを引っ張り始めた。
イザベラはぬくもりの失せた彼の腕を掴んで必死に離すまいとした。
ズズズ――
イザベラも一緒に引きずられ、次第に黒い繭に近づいていった。
「くそっ! 何なんだよ、コレ!」
グロリオは次々に伸びてくる糸を剣で払いのけた。
糸が掠めた頬が一瞬で固まる。
早く手を打たなくては……
手元の懐中時計の針は契約時間を指している。
契約主でない人間に対してこれ以上の深入りはできない。
天上人の使命とは、契約主の願いを叶える手助けをすることだ。
任務でここに来ている以上、契約主と契約を交わさなくては何も始まらない。
グロリオはもどかし気に契約書を一瞥した。
契約主の名前の欄は依然として空白のままだ。
一刻も早く契約主を見つけ出し、契約を成立させなくては……
失踪した子どもの誰かか?
イザベラ?
それともエリックか?
「一体誰なんだ?!」
契約書を握る手に力がこもった。
「……たよ」
「チニ、どうしたの?」
うわ言のように呟くチニに気付いたアイリスが顔を覗き込んだ。
「僕……契約主が誰か……分かったよ……」




