七. 操りし者③
「ランジア! 君の力を貸してくれ!」
ライオネルの声が聞こえた瞬間、ラナンの頬を銀色の矢が掠めていった。
冷気を感じて鳥肌が立つ。
ドシュ――
スラウの目前に迫っていた犬に氷の矢が突き刺さった。
氷の塊は床を滑って隊員たちの足元をすり抜け、壁に衝突した。
「あと2人居ることを忘れられたら困るな」
ライオネルが弓を担ぎ直して部屋に入って来た。
「ライ! ランジア! 無事だったのか!」
振り返ったグロリオが嬉しそうに声を上げた。
「間に合ってよかったよ」
ライオネルは微笑んで隊員たちのところへやってきた。
「ちっとも連絡がつかないから、何かあったんじゃねぇかと思ったんだぜ?」
グロリオの言葉にライオネルは頭を掻いた。
「2階で人形にされた使用人たちを見つけてね。どうして固まってしまったのかを調べていたら、つい……」
「偵察という本来の目的を忘れたのよ、この人」
ランジアが呆れたように言葉を継いだ。
「まだ私の脚本の邪魔をするのか……」
ザレジオは新たに増えた2人を見て顔をしかめると手帳のページを捲った。
「君たちは役者失格だ。もう舞台から降りなさい」
彼はフォセの腕を引っ張った。
「君が彼らを殺しなさい」
「いい加減にしろ!」
グロリオが苛立たし気に身をよじった時だった。
フォセの固まった唇の隙間から声が漏れた。
『ヤ……ダ……』
糸に吊り下げられた彼女の腕は小刻みに震えていた。
「フォセ……」
スラウはフォセを見つめた。
先ほどのチニの行動。
あれは決して無謀なことではなかったのだ。
彼の訴えがマリーラに支配されていたフォセの心に届いたのだろう。
ザレジオは苛立たし気にフォセの頬を勢いよく叩いた。
「身のほどを知れ! この役立たずが! お前は私の命令に従う駒に過ぎないのだ! もういい! マリーラ! まずはコレを消しなさい!」
「やめろ! これ以上、俺の隊員に手を出すんじゃねぇ!」
グロリオが叫んだ。
ザレジオは勝ち誇ったような笑みを浮かべると彼ににじり寄り、手の上で赤黒い実を転がして弄んだ。
「君が元気なのは結構。私が君のお友だちの心臓を握っていることをお忘れなく……さ、物語を進めようか。君たちの代わりは幾らでもいる」
マリーラの手の動きに合わせて無数の糸がフォセに向かっていく。
「……っ!」
スラウは唇を強く噛んだ。
自分のせいで皆は見ているしかないのだ。
自分のせいでフォセが殺されるのだ。
もう誰も死なせない、そう誓ったのに……
――『今回の任務中に身につけてこい』
ふとサギリの言葉を思い出した。
気を集めて己に見合った武器を具現化する。
今ならできるかもしれない。
指先に力を集中させる。
手がぼんやりと光を放ち始めた。
スラウは藁にもすがるような思いで自分の手を見つめた。
「ダメだ」
首を振った。
ただ、手が光っているだけじゃないか。
剣に具現化しなきゃ意味がないのに。
助けなきゃいけないのに!
「フォセ」
その時、蚊の鳴くような声が聞こえた気がした。
それに気を取られた瞬間、糸がフォセを貫いた。
「フォセェッ!」
隊員たちの叫ぶ声が聞こえた。
間に合わなかった……
大きく揺らぐ視界の中で彼女を見つめたスラウは思わず叫んだ。
「見て!」
床に崩れたフォセの細い指がピクリと動いた。
何かを弄るように床を這う指を隊員たちは黙って見つめていた。
そのうちにむくりとフォセが起き上がった。
彼女は眠そうに大きく欠伸をすると目を擦った。
「あれ? ここどこ?」
血の気のなかった頬には桃色が広がり、くりくりとした大きな茶色い瞳には光が宿っていた。
フォセは手足の吊られた隊員たちに目をパチクリさせた。
「皆、何してんの?」
隊員たちも口をポカンと開けてフォセを見つめ返した。
不意に彼女の後ろで小さな衣擦れの音がした。
「まーくん?」
フォセの背中を守るように立っていたクマのぬいぐるみはその小さな身体に全ての糸を受け止めていた。
色の抜けた茶色い布が裂けて白い綿が飛び出している。
「もしかして……助けてくれたの?」
フォセは糸に貫かれたぬいぐるみに手を伸ばした。
「ごめん。ごめんね……」
「……ナイヨ」
さっきと同じ聞き覚えのある声だ。
この声は……
スラウはチニを振り返ったが、彼は気を失っているようだった。
「イタクナイヨ」
また声が聞こえた。
弱弱しくて頼りげないが、優しくて温かい声。
「もしかして……!」
スラウは頭に浮かんだ考えに目を見張った。
まーくんの声なのか……
「……そうか」
グロリオはぬいぐるみを見据えたまま呟いた。
「チニの能力は式と呼ばれる動植物を召喚して操ることじゃねぇ。式にあいつ自身の意思を宿らせることができるんだ」
「つまり、あのぬいぐるみにもチニの意思が宿っていて、フォセを守ったと言うわけか」
ライオネルが感心したように頷いた。
「ダイジョウブ。ナカナイ……デ」
まーくんはゆっくり片手を挙げてみせると、フォセの腕をすり抜けてゆっくりと床に崩れた。
「な、何が起きてる……?」
ザレジオが思わず後退ったのをグロリオは見逃さなかった。
「ランジア! ハイド! 今だ!」
『我に宿りし水の力よ、濃霧となり、我らを覆え』
ランジアの声と共に霧が立ち込めてきた。
「こんなものが目くらましになると思うなよ! 少しでも動いてみろ! こいつの心臓を握り潰すぞ!」
ザレジオが叫んでいるのが聞こえる。
「目眩しじゃねぇよ」
グロリオの静かな声が聞こえた直後、ピシと音を立ててスラウを繋いでいた糸が軋んだ。
見上げると糸の表面についた水が凍り始めていた。
「わっ……!」
床に倒れ込んだスラウは小さく声を上げた。
糸の斬れた手を見つめる。
手足に自由が戻ったのだ。
喜びを噛みしめていると不意に剣が突き出された。
顔を上げるとハイドが立っていた。
スラウは礼を言うと剣の柄をしっかりと握り直した。
「チッ……」
ザレジオは霧の中に突然現れた自分を囲む複数の人影にじりじりと後退りした。
木の実を握った手を前に突き出して叫ぶ。
「う、動くな! こっちには心臓がっ……」
首がガクンと仰け反り、ザレジオは途中で言葉を切った。
頭を掴まれ、喉仏に剣が押し当てられている。
「このまま首を斬られたくなければ、おとなしく手を挙げろ」
背後に立つハイドの冷徹な声が耳を刺した。
ザレジオは震える両手を肩の上まで挙げた。
「な、何をしたんだ?!」
ザレジオの目の前に現れたグロリオはニヤリと笑うと剣を担いだ。
「おいおい。さっきまでの余裕はどうした? まぁ、いいや。教えてやるよ。フォセがさんざん暴れてくれたからな……この部屋の糸には小さな切り傷がたくさんついていた。俺たちはそれを利用しただけさ。霧によって糸の切れ目に水が入り込んだ。水ってのは凍る時に体積が大きくなるんだ。この部屋の気温を一気に下げたのはその為だ」
グロリオの得意げな声はザレジオの耳には入っていなかった。
彼の頭は言動とは裏腹に、早くも冷静さを取り戻しつつあった。
幾度もの戦場をくぐり抜けてきた彼にとって、敵に背後を取られることなど経験してきたことだった。
今回も彼には自信があった。
危機に陥る度に、この頭脳で困難を切り抜けてきたのだから……
大きく息を吐き、状況を整理する。
自分が不利な状況にあるのは間違いない。
だが、あの男の話が本当なら天上人は人間に手を出すことはないはずだ。
それに、万が一イザベラの遺産を手にできなくても莫大な資産は約束してくれた。
大丈夫だ、こちらにはまだ切り札が残っている。
彼はそう自分に言い聞かせた。
「脆くなった糸はどうなると思う?」
グロリオはそこで言葉を切ると両腕を広げた。
「これでお前の舞台はおしまいだ。糸はもう使えねぇよ」
その瞬間、部屋中に張られていた糸が細かい氷の結晶の粒となって宙を舞った。
「どうだ! 凄いだろ?!」
「はいはい」
自慢げなグロリオにアキレアはおざなりに返事をした。
「ハイドとランジアに感謝ね」
「えぇー、あのムッツリの肩持つのかよー……俺だって頑張ったんだぞ?!」
「分かってるわよ、グロリオ。でも、これはこれでしょ」
「でも俺……やっぱり君には俺だけを見ていて欲しいんだ」
「グロリオ……」
「アキレア!」
「グロリオ!」
「アキレア!!」
互いに手を取り合い、熱い視線を交わす2人にザレジオはやれやれと首を振った。
「本当に君たちは物忘れが酷いようだな。こっちには人質がいたということを忘れたのかい?」
「そのことだけど」
霧の中からアイリスが1歩前に進み出てきた。
「ゾルダーク・エリオットからもらったんでしょ、それ」
「な、何故その名を?!」
さり気なくグロリオから手を離したアキレアは大きく息を吐いた。
「どうせ、彼はあなたが協力する見返りに、それなりの報酬を約束したのでしょうけれど、あなたを救う気はなかったのかしらね?」
「何?!」
「それを使えば使う程、あなたの心臓にもダメージが与えられるって教えられなかったの? 手帳を見返したらどう? 私があなたなら、忘れずに書き留めるけれど」
「馬鹿な?! そんな話は聞いていないぞ!」
ザレジオは慌てて手帳を取り出してページを捲った。
「どこだ?! そんな記述どこにっ……!」
顔を上げると、アキレアとアイリスが満面の笑みを浮かべていた。
「相手を騙すには、ほどよく真実を混ぜることね、ラナン」
「そうだな」
2人の横で頷くラナンは手の上で透明な箱を転がしていた。
中に入っているものを見たザレジオは思わず握っていた拳を開いた。
いつの間にか手の中は空になっていた。
「貴様! いつのまに?!」
声を荒げるザレジオにラナンは指を上に向けた。
「それよりお前、上、見た方が良いぞ」
「は?!」
思わず天井を仰ぐと、霧の中から少女が飛び出してきた。
淡い水色のワンピースが翻り、白い手足が露になっている。
「俺らでも手がつけられねぇフォセに手を出したこと……後悔しな」
グロリオが不敵に笑うのと同時にフォセが叫んだ。
「チニとまーくんの仇ぃっ!」
ザレジオは彼女の手の上に生じた風の渦に青ざめた。
「ちょ、ちょっと待て! わ、私は人間だぞ?! 天上人が人間に手を出して良いと思っているのか?!」
フォセは鼻を鳴らして大きく腕を振り被った。
「知るかぁぁっ!」
風の渦が放たれた。
竜巻は彼に逃げる間も与えず、床が音を立てて崩れた。
「よしっ!」
大きな穴の開いた床を見て満足そうに頷くフォセに、苦笑いをしたライオネルが近づいてきた。
「フォセ、あまりやりすぎるなよ。ここ、イザベラ嬢の屋敷だぞ……あ、ハイド」
ハイドが土煙の中から現れた。
肩にザレジオを担いでいる。
完全に気絶しているようだった。
彼はぞんざいにザレジオを床に放ると長い脚で転がした。
「縛っておけ」
「ああ、そうだな」
ライオネルがすぐさま印を結んだ。
床から伸びた草がザレジオに巻きついた。
「しばらくおとなしくしてもらうぞ」
呻き声をあげるザレジオにライオネルが声を掛けた。
しばらくして意識を取り戻した彼は自分を縛りつける蔓から状況を理解したようだったが、不意に肩を震わせて笑い始めた。
「クククククッ……」
狂ったように笑い出す彼にライオネルは眉をひそめた。
「何が可笑しい?」
「我ながら私の演技も素晴らしいものだな。敗北を味わい、絶望の淵に立たされた哀れな男……自分で言うのも何だが、私は最高の演者だ。君たちはこれで閉幕と思っていたかもしれないが、舞台はまだ続いているんだよ。クライマックスはこれからさ」
その瞬間、屋敷が大きく揺らいだ。
砂煙の中から黒い球体が現れた。
四方に伸びる太い糸がそれを支える様は、まるで繭のようだった。
そこにマリーラと思われるものが埋もれて見えた。
今や、黒色の巻き髪は逆立ち、白く丸い顔には亀裂が入っている。
透き通るような緑色の瞳は紅い色を帯びていた。
「ユルサナイ!」
変わり果てた人形を隊員たちは呆然と見つめた。




