七.操りし者①
「戻って……来てよ……フォ……セ」
呟いたチニの腕がフォセの身体からずり落ちた。
小さな身体が巨大な竜巻に呑み込まれるかと思われた瞬間、それまで吹き荒れていた風が弱まった。
彼は穏やかな風に運ばれる木の葉のように、ゆっくりと床に横たえられた。
「チニィィッ!」
グロリオが真っ先に飛び出してチニに駆け寄った。
「大丈夫か?! おい、チニ! しっかりしろ!」
防壁を解いたスラウはしばらくその場に立ち尽くしていた。
「フォセ……」
相変わらず糸に吊られたフォセの目は虚空を見つめ、身体は風に揺れるカーテンのように静かに空中に漂っていた。
だが、石のように固まった頬を涙が止め処なく流れている。
「スラウ!」
アキレアの声で我に返った。
マリーラも呆然とフォセを見つめている。
この部屋の糸を操っているのは彼女だ。
この状況から脱する為には、隙をついて彼女の動きを封じるしかない。
それが今だ。
スラウは勢いよくマリーラに飛びついた。
ジタバタともがく動作は、まるで本当に生きている少女のようだった。
「フォセを返してっ!」
「おや、マリーラ。だめじゃないか。おもちゃをこんなに散らかしちゃ」
不意に背後で声がした。
振り返ると黒いスーツに身を包んだ紳士が立っていた。
手には黒光りするステッキを握っている。
「あの人、町で会ったわ……」
イザベラの傍らに膝をついていたアキレアが立ち上がった。
「何故ここに?!」
不意に彼が何かを床に放り、スラウは床に転がったそれを見て声を上げた。
「まーくん!」
「ほう、君のですか?」
彼はそう言うと、まるで汚いものでも触ったかのように手を払う仕草をした。
「てっきり使用人の雑巾かと思いましたよ」
「……っ!」
グロリオに介抱されていたチニはその言葉に唇を噛んだ。
紳士は人形にしがみついたままのスラウを一瞥すると、胸元から手帳を取り出した。
「悪い子だ、マリーラ。つい先日、片づけ方を教えてやったばかりだというのに」
「ゴメンナサイ」
「もう1度教えてやらなきゃいけないようだな」
その時、エリックが声を上げた。
「お待ちください、ザレジオ様」
紳士はそこで初めてエリックに気づいたようだった。
「おや、生きていたのかい? 衰弱死の1歩手前まで行ったと思ったんだが……敬服するよ、君の害虫並みのしぶとさにはね」
軽蔑するような声にエリックは歯を食いしばった。
「ザレジオ叔父様……」
半分身を起こし、イザベラが口を開いた。
「エリックが衰弱死……? 一体、何をご存知ですの?」
「何を知っているかって? フフッ……フハハハハッ!」
彼は愉快そうに肩を震わせた。
「全てさ!」
「……!?」
「私はここで起きた全てのことを知っているよ。君たちは私の脚本通りに動くだけの単なる人形にすぎないのさ」
「てめぇ! さっきから黙って聞いていれば……調子に乗りやがって!」
グロリオはザレジオを睨みつけた。
彼に抱えられたチニは苦しそうに喘いでいた。
「俺の仲間に、この屋敷に、何をしたんだ?!」
ザレジオは静かに手帳を閉じた。
「君、その台詞は脚本にありませんよ」
「……っざけんな! 皆をこんな目に合わせやがって!」
「君」
ザレジオがグロリオを遮った。
「黙れ、と言ったのが聞こえなかったのかい?」
彼はそう言うや否や、マリーラを羽交い締めにしていたスラウの襟首を掴んで放り投げた。
「君たちが天上人ですね。全く……話には聞いていたが、本当に邪魔をしてくるとは」
その言葉に隊員たちは思わず凍りついた。
ラナンが思わず声を上げた。
「何で?! 何で、アイツは俺たちのことを知ってんだ?! 人間は俺たちのこと、知らないんじゃなかったのか?!」
「分からないわ……」
アイリスもありえないと首を振った。
「1回立て直すぞ!」
隙をついてグロリオが煙幕を起こした。
ザレジオが咳き込んでいるのが聞こえる。
多少の時間稼ぎにはなるだろう。
ラナンは防壁の中に隊員たちを呼び入れた。
「アイツが何故俺たちのことを知っているのか、それを考えてる暇はねぇ。ラナンとスラウはここでイザベラさんとエリックさん、チニを護ってくれ」
「うん」
「とにかく今はフォセの暴走を止める必要がある。奴が俺たちのことをどこまで知っているのか分からねぇが……ハイドと俺が突っ込む。俺らが奴の気を引いている間にアキレアとアイリスでフォセを助けて欲しい」
「了解!」
「じゃあ、行くぞ!」
4人が防壁から飛び出していった。
ザレジオはふと気配を感じて顔を上げた。
煙の中から剣が突き出されている。
だが、彼は微笑むだけだった。
「話は済んだようですね……では、第2幕へ移りましょうか」
ザレジオの腰を弄る仕草にグロリオとハイドは警戒して剣を構え直した。
彼は小さくふむ、と頷くとポケットから手を出した。
手には握り拳ひとつ分の大きさの赤黒い木の実が乗せられている。
表面には無数の深い皺が刻まれていた。
「はい」
握った拳を掲げる彼に2人は思わず顔を見合わせた。
マリーラもフォセも糸に吊られたまま、静かに漂っているだけだ。
アキレアもアイリスも戸惑った表情を浮かべてこちらを見ている。
「お前、何がしたいんだ?」
首を捻るグロリオに彼は相変わらず微笑んだままだった。
「案外、我慢強いんですね」
「だから何が……」
グロリオが言いかけた時、背後でガンと鈍い音がした。
「スラウ!」
ラナンの声にグロリオは勢いよく振り返った。
スラウは剣を床に突き立てて身体を支えていた。
ゾルダークの要塞に行った時の記憶が蘇る。
射手が居るのか?
慌てて部屋を見回したが、今回はそのような敵の姿はどこにもいなかった。
「どうしたんだよ、スラウ?!」
ラナンがスラウの肩に手を伸ばした瞬間、彼女は身体を大きく仰け反らせた。
「グ……アアアァァァッ!」
地面に転がって胸を掻きむしるスラウにラナンは思わず身を引いた。
「何……だよ?! どうしたんだよ?! おい! スラウ!」
だが、ラナンの声も聞こえないようだった。
スラウは肩で荒い息をして、自分の胸をつかんだまま虚空を睨んでいた。
「さあ、取引をしましょう」
愉しそうなザレジオの声にグロリオは反射的に彼の首元に剣を突きつけた。
ザレジオは困ったように眉間に皺を寄せると静かに両手を挙げた。
「……何をした?」
剣がザレジオの首に食い込む。
「おやおや……随分と気が短いですね。私の脚本では君はこの交渉に乗るんですよ」
「ふざけんな! 誰がてめぇなんかと!」
彼は片目を薄く開けた。
灰色の瞳がグロリオを射抜く。
「君はそうせざるを得ない」
木の実を握る拳に力が入り、再びスラウが叫ぶのが聞こえた。
「……っ!」
思わず振り返ったグロリオの肩に手を乗せ、ザレジオが囁いてきた。
「選択肢を2つあげましょう。このまま彼女の心臓が握りつぶされるのを見ているか、君が交渉に乗るかです」
「てめぇ!」
固めた拳を大きく振りかぶったグロリオの腕が突然、強く掴まれた。
「ハイド! 離せっ!」
ハイドはもがくグロリオの腕を掴んだまま、ザレジオをまっすぐに見据えていた。
「お前、この状況で何もするなって言うのか?! フォセも、チニも、スラウも! 仲間がやられてるっていうのに?!」
腕の中で喚くグロリオに彼は黙ったままだった。
「君は物分かりが良いようですね」
ザレジオは満足げに頷いた。
グロリオの腕を握る力が強くなった。
「……要件は?」
ハイドの問いにザレジオは胸元から手帳を取り出して答えた。
「私の脚本に付き合ってもらいます。そうすれば君たちの悪いようにはしません」
「分かった」
「では、武器を捨てていただきましょうか……君たちもね」
ザレジオはフォセの糸を斬ろうと苦心していたアキレアとアイリスに顔を向けた。
2人は名残惜しそうに片手だけ糸の外れたフォセを見つめていたが、目を瞑ると彼女に背を向けた。
弓矢をザレジオの足元へ放るアキレアにハイドも続き、自分とグロリオの剣を投げ捨てた。
剣が互いにぶつかって空しい音を立てた。
それを見ていたラナンにザレジオが指を突きつけた。
「君も。そのよく分からない壁を消すんだ。私の脚本に必要ないからね」
防壁が解けたのを確認すると、ザレジオは人形を振り返った。
「さあ、マリーラ。部屋の片づけ方を教えてあげよう。まず、彼らに糸を通しなさい。今度は逃げないようにしっかり繋ぐんだよ」
彼女が手を挙げて振り下ろすと、糸は隊員たちの身体を貫いた。
「マリーラ。まだ居るぞ」
エリックがイザベラを抱えたまま、おぼつかない足取りで部屋から出ようとしていた。
マリーラは再び手を動かし、糸が容赦なく2人の身体を貫いた。
ザレジオは自分の目の前に吊るされた隊員たちの姿を満足げに見上げた。
「スラウ」
ラナンは囁くと彼女を見つめた。
今は意識を失っているようで吊るされるままになっている。
自分の結界に不備は無かったはずだ。
「何で……?」
やりきれない思いを隠せなかった。




